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11月4日 奈良県は大阪府だった??

視野を広げたい、が、どうしても自分が携わっている仕事中心になってしまう…
そんな問題意識をお持ちの方に、その日にちなんだ過去の事象をビジネス視点で掘り下げています。普段の仕事や興味の範囲を超えて、視野を広げ、ビジネスの頭の体操をするのにぴったり。

 →部分は、頭の体操する上での自分に対する質問例、です。


1887年のこの日、大阪府から分離して奈良県が再設置されました。全く不勉強だったのですが、一緒だった時期があったんですね。

そもそも奈良県はその名称が頻繁に変わっています。以下まとめてみました(出典:東洋書籍HP)。

1868(明治元)年5月奈良県が置かれる。
1870(明治3)年2月に,奈良県の字智,吉野郡と堺県の錦部,石川両郡をあわせて五條(ごじょう)県が成立。
1871(明治4)年の廃藩置県により大和 の郡山・高取・小泉・櫛羅(くじら)・芝村・柳生・柳本・田原,本県と飛地のあった和歌山・津・久居・大多喜壬生の各藩がそれぞれ県名をとなえる。
同年11月大和全域を管轄する奈良県が成立。
1876(明治9)年4月に府県の統廃合で,奈良県は堺県に組み込まれる。
1881(明治14)年2月,大阪府に編入される。
同年12月に地方税の支出が奈良には少ないという不満をきっかけとして,奈良県再設置運動が始まる。
1887(明治20)年大阪府から分離して再び奈良県設置。

奈良県が大阪府に編入された経緯は、当時大阪での治水事業の支出が支えきれなかった大阪府に明治政府もお金がなかったため、奈良県を編入して税収を増やす、というなんとも安易なものだったようです。住民投票、などという発想もなかったのでしょうね。

→なぜ治水事業の調達のために奈良県を併合、などということができたのだろうか?


最後までお読みいただきありがとうございます。
過去の投稿は以下にまとめていますので頭の体操ネタに覗いていただければ幸いです。




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