「縫い方」と「生き方」はリンクする
一枚の布から、一着の服を作る。
同じようなことを繰り返しつつも、いつも同じではない。
「今ここ」に意識を集中して、これから進む道を気にしつつ、辿ってきた道を確認する。
現在、未来、過去…まさに、人生の縮図だ。
ハサミで裁断する
ミシンで縫う
アイロンで整える
いずれの作業も一瞬たりとも気は抜けない。
ひとつひとつの場面で、どこに意識を集中させているか…そこが肝となる。
洋裁教室をしていて、幅広い世代、様々な性格、暮らしぶりの生徒さんたちと、マンツーマンレッスンをしながら気づいたことがある。
マンツーマンなので、プライベートな話題になることもあり、その方の内面的な部分を感じ取れたのだが、それと縫い方の特徴が重なるのだった。
縫い方というのは、前述の、縫っている最中どこに意識がいっているかということ。
ある人は、数センチ進んでは縫い終わった部分ばかり何度も何度も見る。
また、ある人は縫い始めたところなのに、縫い終わりの端っこを一生懸命合わせて握りしめ、そこばかり気にしている。
動いている針しか見ない人もいる。
必要以上に自分で留めたピン(マチ針)が、自分の進む道を不自由にしていることもある。
つまり、過去ばかり振り返る人、遠い未来を気にする人、今しか見ない人、失敗したくないあまり、見動き取れなくなっている人…
意識がどこに行きやすいか、普段の会話とリンクしたのだ。
わたし自身、過去や未来やどうでもいいことが心を占領して、頭の中が忙しい日も多いのだが、服を作り始めた途端、すーーーっと凪の状態になる。
ソーイング瞑想とでも言おうか。
裁断にしても、ミシンにしても、全体を俯瞰しつつ、緊張感を持って「今」に集中し、近い将来のことを視野に入れながら、辿ってきた道もあとで振り返り、修整のきく限りはやり直す。
瞑想しようとしても邪念だらけでどうにもできないわたしでさえ、服をつくる作業は、自然と「今ここ」に意識が行く。
考え事で頭ん中がぐるぐるしがちな日も、ふわっと別のところに移れる感覚に、これまでもずいぶん助けられた。
服つくりには、いろんなドラマが詰まっている。
そして、それは「今」の連続なのだと、知る。