kuu / ふくつくり職人

【 すっきり見えて動き心地のいい服で福つくり 】 デザインもパターンも完全オリジナル。 ふくつくりを生業にして37年。 制作枚数 約7,000着。 アパレルパタンナー、服飾専門学校教員、衣裳家を経て、暮らしに寄り添う服を追求。 🛒minne にて販売中

kuu / ふくつくり職人

【 すっきり見えて動き心地のいい服で福つくり 】 デザインもパターンも完全オリジナル。 ふくつくりを生業にして37年。 制作枚数 約7,000着。 アパレルパタンナー、服飾専門学校教員、衣裳家を経て、暮らしに寄り添う服を追求。 🛒minne にて販売中

最近の記事

「構想」と「実行」が一続きのモノづくり

年末近くに、たまたまテレビで目にしたマルクスの資本論。 仰々しくて難しい話かと思いきや、まさに、わたしの仕事スタイルそのものを解説してくれているような内容だった。 かつて、モノづくりというのは、構想と実行が統一されていたのだが、大量生産、分業スタイルが主流になって以来、構想と実行が切り離されてしまったのだという。 学校給食も例に出されていて、わかりやすかった。 給食室と給食センター。統一と分離。 ふむふむ、なるほど。 服作りに置き換えたら、うんと昔は、わたしのよう

    • 「のろま」で「せっかち」

      のろまでせっかち。 30年ほど前に、ある知人がわたしを言い表した言葉だ。 どんな場面で、どういう流れでだったのか、さっぱり憶えていないのだが、その瞬間、わたしのアタマの中はハテナマークで埋め尽くされた。 その言葉は、あとからじわじわと効いてきて、未だに真意はわからないまま、ずっと印象に残っている。 おそらく、これは、けなしたわけでも褒め言葉でもない。 ただ、ニュートラルに感じたままを口にしたのだろうと思う。 たしかに、わたしの中には相反するものが常に同居している。

      • 「天然のものがイチバン」とは限らない

        秋も深まってきて、身なりも寝具も冬支度が進んでいる今日このごろ。 ポカポカ陽気の昼の公園は、格別だ。 noteを書き始めてすぐのころ、気に入って買った靴は、その後ほぼ毎日、わたしの足を優しく包み込んでくれている。 なんとなく気分が上がらない日でも、この靴を履いた瞬間、ココロがふわわんと和らぐ。そのふっかふかな感触が履くたびに新鮮なのだ。 日々自転車に乗ることが多いので、結構手荒に履き続けているのだが、傷や汚れの一つもついていないし、シワもできていない。 撥水効果も抜群で、

        • 「縫い方」と「生き方」はリンクする

          一枚の布から、一着の服を作る。 同じようなことを繰り返しつつも、いつも同じではない。 「今ここ」に意識を集中して、これから進む道を気にしつつ、辿ってきた道を確認する。 現在、未来、過去…まさに、人生の縮図だ。 ハサミで裁断する ミシンで縫う アイロンで整える いずれの作業も一瞬たりとも気は抜けない。 ひとつひとつの場面で、どこに意識を集中させているか…そこが肝となる。 洋裁教室をしていて、幅広い世代、様々な性格、暮らしぶりの生徒さんたちと、マンツーマンレッス

          「ちょうどいい」は、うれしい

          一年に一度か二度ほど、何かを買いたい欲にかられることがある。 服はジーンズやインナーは買うが、ほとんどの服は自作のものだし、今は間に合っているので、服は要らない。 今回、わたしが無性に欲しくなったのは、メガネと靴。 メガネは必需品なので、いくつも持っているものの、わたしは周期的に新しいメガネで気分転換したくなるようだ。 ちょうど去年の今頃も、メガネを新調したんだった。 最近は、メガネは気軽に買える値段のものも増えたのでありがたい。とはいえ、探すとなると、なかなか気に入

          「ちょうどいい」は、うれしい

          「平凡」という言葉に涙した日のこと

          昨日の話を書きながら、もう一つ思い出した忘れられない記憶。 はっきりした目的もないまま入学した専門学校で、さぼっているのか真面目なのかよくわからない日々を過ごすうち、学内のコンテストに入選したことをきっかけに何かしら意識が変わり、少しでも人と違うデザインを生み出そうとし始めた。 紙に書いた絵を立体に起こすことが可能なデザインが得意だったわたしは、装苑大賞や大き目のコンテストで選ばれるような、突拍子もないデザイン画を描ける人や、ぶっ飛んだ色使いのできる人を羨ましく思いながら

          「平凡」という言葉に涙した日のこと

          遠い昔のせつないきもちが服づくりへと向かわせたのかもしれない

          なぜ服を作り始めたのかという問いには、これまでこう即答してきた。 「家がビンボーだったから」 んーーー…果たしてそうだろうか。 と、今更ながらに思い起こしてみる。 亡き両親は堅実で贅沢をしないたちだっただけで、裕福ではないにしろ、とんでもなくビンボーというほどではなかったような気はする。 おそらく、ひとりっ子のわたしを甘やかさないためでもあったのだろう。欲しがるものを簡単には買ってもらえず、我慢を強いられた。 真っ先に思い出す鮮明な記憶を綴ろう。 世間では引き摺

          遠い昔のせつないきもちが服づくりへと向かわせたのかもしれない

          「動き心地」を左右する意外なチェックポイント

          わたしは、服をつくる職人で、いわゆるファッションというものとは、似て非なる分野だと思っている。 昔は、流行りも追いかけたし、アパレルメーカーでパターンナーをしたり、ファッションを教える立場に居たこともある。 アバンギャルドな恰好で闊歩していた時期もあったし、スポーティカジュアルなスタイル、ナチュラル系、いろいろ変遷してきた。 風変わりなファッションショーを開催したこともある。 そうしてそのうち、時代に左右されない、オーソドックスなカタチだけど、在りそうで無いものを作るよう

          「動き心地」を左右する意外なチェックポイント

          「ちょうどいい」は移り行くもの

          昨日の話の続き。 「ちょうどいい」は一つ所に留まらない。常に変化し続ける。好みも体型もライフスタイルも、月日がたてば変わるし、気分なんて日々変わる。一日のうちにだって一定ではない。 それでも、ちょうどいい服を知ってしまうと、もう元には戻れなくなるようだ。オーダーしてくださる方々のほとんどが、超がつくほどのリピーターなのがその証かなと思う。 さて、服から話が逸れるが、最近、わたしにとっての「ちょうどいい」が変化した出来事があった。 一昨年までの十年間ほど生まれ育った町を

          「ちょうどいい」は移り行くもの

          「ちょうどいい」は最上級

          noteを始めてみよっかなーと思ってから二年の月日が流れた。 今夜は中秋の名月。お月様は小雨降ってて見られなかったけど、書き始めるのは、なんとなく今日だなと書き始めてみた。 わたしは服つくり職人。服を作るのを生業としている。 デザイン→パターン→生地(布)の仕入れ→裁断→縫製→販売までのすべての工程をひとりで行うスタイル。 このご時世になって以来、ネットショップや展示会などで作りたいものを作って売るということが激減し、こんなのを作ってほしいとか、既製服のこういうとこが

          「ちょうどいい」は最上級