画一的なレビューが世界をつまらなくする
アマゾンプライムビデオを開く。
無限にも思える作品の数々。
ピンとくるサムネイル。いいなと思うあらすじ。
でも★の数が3.5。
★4つ以上ないということは、なにかが足りないのだろうか。
と思い、やめてしまう。
私のような人間、基準を人に委ねる人間ばかりになれば、
世界は画一的で、つまらないものになるだろう。
ネットフリックスを開く。
無限にも思える作品の数々。
ピンとくるサムネイル。いいなと思うあらすじ。
私とのマッチ度は97%。
そこには私も知らいない、私の基準がある。
見てみるとたしかに面白い。
ただ、徐々に同じような作品ばかり見ている自分に気がつく。
これで良かったのだろうか。
行動、注意、嗜好に基づき最適化されている時代。
その効率化は画一的な基準による閉じられた世界、
居心地の良い同質的な場所に自分を閉じ込めるフィルターバブル、
同じような意見を持つ人の意見だけが大きく聞こえる、エコーチェンバー
へつながる。
仕事においても効率化は進む。
無駄なコミュニケーションは削減、テレワークで用事のあるときだけ人と関わればいい。無駄話は不要だ。
こうして効率化の結果、偶然のない、
なにかにコントロールされているかのような日常が訪れる。
快適でつまらない世界へようこそ。
そんな世界への抵抗が、
キャンプという不便さの追求や、瞑想というつながらない時間、サウナという身体性への回帰なのかもしれない。
偶然性や予定不調和を織りこんだ、
ほどよい最適化があれば、もう抵抗すら必要としないかもしれないが。