夜空の星をみあげながら、”まなぶ” を考える
学ぶ意味について、考えたこと、のお話。
歴史を、ひも解いていくと
きのう、Webであるセミナーをきいていました。
テーマは、『行動経済学とマーケティング』。数組の登壇者が1時間ずつ話をしました。面白い題材の話が多く(脳科学、「サピエンス全史」を語る、婚姻について…) 、今度アーカイブを見直したいところです。
余談ですが、『行動経済学』は面白いですね。人間にはバイアスがかかり過ぎです。バイアスを認知できることは、客観視するための能力を高めます。もう少し、勉強したいですね。
さらに余談ですが、『マーケティング』って、いまだによくわからないですね。(定義がひとそれぞれで) ”ヒトを知れば、モノを売りやすい” ってことなのかな、と勝手に思っています。
それらはさておき…、
「人間理解 x コロナ」が一番面白かったです。(”コロナの様子から、なにを学ぶことができるか” という内容だったと理解しています。)
そのなかで、ある問いに対する登壇者の答えが、印象的でした。
登壇者の方は、歴史のデータベースを作る事業を経営されている方で、とくに世界史に精通している方でした。
問い: 「歴史を学ぶことから、見えてくるものは、なにか」
答え:
比較 するという作業
「歴史を学ぶことで、”未来” がわかるわけではない
ただ、”いま” を理解することができる。
比較できるからだ。」
「わたしのいまの状況」これは、
過去のこの出来事や、人物と
どう違うか、
どこが同じなのか。
客観的に、世の中をみるには
より多くの理解が、必要だ。
客観的な理解
ちょっとだけ、例えとして、話されていたのが…
・武士の主君に対する忠誠心
・サラリーマンの会社に対する忠誠心
この忠誠心、の”質” の違いについてだった。
”わたしの思考” と、”過去に考えたであろう別の思考”とを、疑似的に比較する。それによって、わたしの思考の位置を、別の思考との比較から、より鮮明に理解することができる。
学ぶことの意義は、一般化され、いろんな言葉で言い表される。
あえてここで、わたしが一つを提示するなら
「自分の位置を図るための、対照となる座標をつくるため」
けっきょく、自分を知るためだ。
だから、学ぶのか。
あなたはそこにいます、では、わたしは?
わたしと他者との対照も同じだ。
わたしが、同僚と関わるとき、
彼らは、わたしを測る座標になる。
(わたしがいる場所は、どこですか?)
(あなたがそこにいるということは…。)
そうか、わたしの考えは、この位置にあったのか。
星座が写す世界
夜空の星のようなものだ。
北極星があの位置にあるから、あれは…
と考えることができる。
ほかにもいろいろ知っていれば、
より明確に、その場所がわかるようになるだろう。
座標と座標。
それらと自分を比べながら。
じぶんを知ろう。
だから、まなぶ。
こどもらにも、
いつかそんなことを
話してあげたい。
夜空をみあげながら。
___