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「もの食ふ」枕草子 ②

今では絶滅寸前ともいえる『能因本系統本』にしか見られない労働者の食事風景。こんな貴重なシーンは他の文学作品では出会えません。
枕草子は様々な伝本があり、本によってかなり違います。書店で購入できるのはすべてと言っていいほど『3巻本系統』ですが、ぜひ、図書館で探して能因本≪313段≫を読んでみてください!

短いので原文を紹介いたします。

たくみの物食ふこそ、いとあやしけれ。寝殿を建てて、東の対(たい)だちたる屋を造るとて、たくみどもゐ並みて、物食ふを、東面(ひんがしおもて)に出でゐてみれば、まづ、もて来るや遅きと、汁物取りてみな飲みて、土器(かはらけ)はついすゑつ。次にあはせをみな食ひつれば、おものは不用なんめりと見るほどに、やがてこそ失せにしか。三、四人ゐたりし者の、みなさせしかば、たくみのさるなんめりと思ふなり。あな、もたいなやのことともや。 (313段)

ある日、宮中でね、私、暇だったもんだからボケっと外を見てたの。そしたら、大工たちが食事するシーン見ちゃったよ。

大工が物食う様子ときたらすごくへんてこりん~。
寝殿を建てて、東に別棟の対を造る途中らしいんだ。腹空いたんだね、ずらっと並んで座ってた。東側の縁に座りこんでまじまじと見ちゃった。
下働きの男たちが食事を運んで来るやいなや、持ってくるの遅いぞ、と言わんばかりに手を出して、まず、お椀の汁物がぶ飲み!まったく下種ってあんな食い方するんだ。驚いたよ~

お椀と言っても、私の時代、陶器はないからね、土器なの。平安時代っていうのは、実は半分、弥生時代の続きなのよ。分かった?ものすごく優雅な文明的な時代じゃないのよ。あんたたちの時代の人、何にも知らないから、ちょっとあの世から出てきて教えてやるよ。

次に、お汁の土器をその辺に置いて、次は『あはせ』、おかずのことよ、あはせをぜーんぶ食っちゃった。これじゃ『おもの』、ご飯のこと。おものははもういらないはず、と思ってたら、な、なんと、山盛りのご飯に手を伸ばした!と思ったら、ご飯は全部消えちゃった。大工たちの腹のなかはどうなってるんだ?
三、四人座っていた男たちがみんなそうしたのだから、大工っていう人たちはみんな,多分、ああやって食うんだ、と思ったよ。ああ、なんてみっともない大食い!

以上、私、清少納言になりきって訳しました。
肉体労働者に近づくことも話しかけるける機会もない貴族階級の清少納言、大工が物食うありさまを目を丸くして見ています。
きっと、現代の私たちがパンダの食事シーンを夢中で見ているのと同じ心境だったと思います。
当時の貴族にとって大工は異次元の生き物ですから。このシーンを読むと、当時の大工さんたちが奴隷のように鞭で叩かれたり殴られたりして働くのではなく、けっこうたくさん食事を与えてもらっているようで、ほっとするのです。

ちなみにこの時代、庶民はジャポニカと呼ばれる赤米とか大麦入りの玄米を食べていたのではないかと思います。それを蒸した強飯(こわいい)におかずと汁。味噌も醬油もまだありませんから、お湯に塩を溶かし、カブと菜をたっぷり。おかずは、山芋の茹でたもの。茄子とウリの塩漬け、大工ですからスタミナがつくように山鳥の焼いたもの。すべて想像ですが、そんな御馳走だったかと思うと楽しくなります。

貴族たちの場合は少しづつ残すのがマナーで、唐から来た習慣だそうです。

この段のおかげで、平安時代の名もなき労働者の生き生きと食事する様子が垣間見えるようです。
清少納言様。よくぞ書き残してくださいました、ありがとう!


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