手術から一年、新たな旅立ち
CT検査の結果は異状なし。再発の兆しは見られないとのこと。「再発するなら大体2年以内だから、2年まで行ったら大丈夫でしょう。 100歳まで生きられますよ 」
ほっとした。100歳まで生きたいとは思わないが、とにかく健康で長生きできれば嬉しい。
「4月に異動することになりました。後任には後輩のNさんに来てもらいます。きちんと引き継ぎますから安心してください」
内科の先生もいなくなった。主治医のドクターもいなくなる。人と人との巡り合いはすべて点なのだ。その時の縁で出会い、時が来たら離れる。決して線にはならない。
わたしがナーバスになり主治医に不信感を持ったこともあった。でも、振り返ると、優しい、当たりの柔らかなドクターだった。何よりも、手術が成功したのだ。ありがとうございます……後任のドクターもこの先生の友人というから、やはり、穏やかな、柔和な人だろう。
この日はタクシーで帰った。
今日、長女のパートナーになる男性(ひと)が荷物を運びに車で来てくれるのだ。はるばると県境を二つまたいで。コロナ禍のなか、彼とも彼の家族とも顔合わせも会食もできなかった。引越し業者の手配もつかず、彼が車で運んでくれることに。
あわただしく彼の車に乗り「スエヒロ」で食事。これが初対面。娘にぴったりの性格のようだ。配偶者は性格が優しいことがいちばん。後はどうでもいい。わたしの若いころは、学歴が高くて大会社に勤めていて、一生、妻を養っていけること。これがオンナたちの望む最高の結婚だった。
そんな条件はまったくバカバカしいことだとしみじみ思う。性格が穏やかで優しくて協調性があれば十分。二人の娘は良い人に出会った。
それでわたしは十分幸せ。
長女はわたしの癌手術に合わせて帰国、一年間、在宅の仕事をしながら夕食を作り、わたしを朝の散歩に駆り出した。どこでどう出会ったかは知らないが、良き男性と出会った。キャリアウーマンとしてシングルスタイルを貫くと思っていたのだが。
計算したかのように手術後ちょうどまる一年。わたしの傍を離れることに。
すべては川の流れのように流れ流れてこうなった。明日から一人で散歩しなければならない。寂しいけど、がんばろう!
22日の毎日新聞全国版に、また、短歌が掲載された。前と同じく健康路線のテーマ。選者はこれも前と同じ米川先生。ただし前回は最後尾だったが、一首上に進んでいた!
ピンボケですみません。内容は:
~朝食は外でと決めて歩く道五千歩の先の牛丼定食~
娘とのひとときを詠った二首が立て続けに掲載されたのも川の流れだろうか。去りゆく車を見送りながら方丈記の冒頭が頭に浮かんだ。
『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず……』
わたしはこれからも人生の川を流れてゆく。娘二人がそれぞれに居心地の良いパートナーを得たから、もう後はどうでもいい!そんな心境。
『淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし……』
これからどんな泡が湧き出ても、流れが激しくなっても、わたしはひたすら前に進む。流れてゆく。
あたらしい自分へ、エールをこめて。