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君は素敵なレディになれる

「お母さん、頭が痛いの」
 今朝も宏美はぐずりだした。ぐずりだすといつもひと悶着もふた悶着もおきる。それだけで朝から疲れてしまうのだ。智子は宏美の額に手をやったり、おでこをつけたりして、
「大丈夫。熱なんかないのよ」
 と励ましていると、今度は、
「おなかが痛いの。吐き気がするのよ」
「それは宏美ちゃんがそう思うだけで、いつも学校にいったらなおるじゃないの」
「今日はほんとうに痛いの。今日はなおらないよ」
「大丈夫よ。お母さんぜったいに保証するわよ」
「お願い、今日は休ませて」
「ねえ、宏美ちゃん。今月はもう三日も休んでいるのよ。このままじゃ自分でもこまるって言ったじゃないの」
 それまで学校を休むようなことはなかった。学校が楽しくて、ちょっとぐらい体調が悪くても飛んでいったものだった。それが三年生になってから、朝になるとおなかが痛いとぐずるようになった。それが次第にひどくなり、先月などは七日も休んでしまったのだ。小児科に連れていったり内科に連れていったり、典型的な登校拒否の症状だと診断されてしばらくお茶の水にある大学病院の精神科にまで通ったりしてみた。
 それはほんとうに病人のような状態になるのだった。高熱にうなされたようにぐったりとなり、顔も青ざめ、下痢の症状になるのかばたばたとトイレにかけこんだりする。そんな様子をみて、今日はお休みしなさいと言って学校を休ませる。するとみるみるうちに元気になり、一時間もするとベッドから抜けでて、蝶の標本づくりをはじめたりするのだった。
 その朝も智子は宏美を励ますことからはじめていく。朝だけでしょう、いやだと思うのは。学校にいってしまえば楽しくなるじゃないの、と。宏美はかしこい子だった。そんなことは言われなくともわかっているのだった。しかし声をかけるたびに宏美は体を海老のように縮めて布団のなかにもぐりこむ。智子はだんだんいらだってくるのだった。そしてベッドから宏美をちょっと乱暴にひきずりだすと、
「宏美ちゃん。だめよ。自分との戦いでしょう。自分でもそう言ったでしょう。ここで負けたらずるずるとどこまでも崩れてしまうって。そんな宏美ちゃん、いやだからね」
 智子はその朝は断固としていた。今日はぜったいに譲りはしないとでもいうように。そういう母親を宏美はよく見ていた。そんなふうに断固として言われると、もうこれ以上抵抗できないと思うのか、のろのろと立ち上がって、しくしく泣きながらつらそうにパジャマを脱いで、学校にいく支度をはじめるのだった。
 宏美がつらそうに玄関をでていく姿は、なんど見てもいたましく胸がしめつけられる。いったいどうしてこんなことになったのだろうか。どうしたらこんな状態からぬけだせるのだろうか。智子の心はいつも灰色にぬりつぶされるのだった。
 しかしどんなに胸をしめつけられようとも、沈みこんではいられない。今度は彼女が出かけていく支度をはじめなければならなかった。
 智子はいま一週間のうちに三日ほど、大森にある貿易会社につとめていた。貿易会社といっても叔父が経営する小さな会社だった。最初はその会社が取り扱っている商品のカタログやら説明書を翻訳したり、日本語のパンフレットを制作したりする仕事を、自宅に持ち帰ってしたりしていた。しかし次第に取り扱う品物も多くなりその量も増えていくと、正規の社員となって定期的に通うようになったのだ。いまでは彼女の机が運河が見下ろせる場所にあり、在庫を管理したり発注業務までもしていた。
 その日、智子が宏美をきつい調子で学校にいかせたのは、どうしても休むことができなかったからだ。彼女の仕事を手伝う新人がはじめて出社してくる。その新人に仕事の段取をつけてやらねばならなかった。
 智子はシビックにのりこむと、かたわらにバッグをおいてシートベルトをつけた。そしてキイを差し込みぐいとエンジンをいれると、もう登校拒否の子供に苦しむ母親の顔ではなく、仕事に打ちこむ女の顔になった。その会社まで車で十分もかからなかった。
 ひと仕事終えて、コーヒーをすすりながら運河を見下していると、社長の石塚秀雄が智子を呼んだ。秀雄は智子の母親の弟であった。
「どうかな。今度の新人は使えそう?」
「まだよくわかりませんけど、語学力はあるみたいですよ。でも、それを日本語にする力はもう少しという感じですね」
「英語がわかるということと、それを日本語にするということはまったく別の才能なんだね。英語がぺらぺらだからきちんとした日本語に訳せるかというとそうでもない。日本語を書くということと、英会話ができるということとはぜんぜんちがうからね」
「そうですね。でも、あの子はなんとかなると思いますよ。性格もよさそうですし」
「そう。じゃあそこはうまく教育してくれよ」
「ええ」
 この叔父の人生というものはずいぶん奇妙だった。大学二年生のとき突然ヨーロッパに渡ってしまった。それからあとはばったりと消息が絶えて、それが何年も続き、もう彼の生存を家族が半ばあきらめかけていたとき、
「ただいま!」
 と真っ黒に陽に焼けた姿を玄関にみせたのだった。なんと五年の月日が流れていた。
 秀雄はまずヨーロッパの国をあちこち放浪し、さらにジブラルタル海峡からアフリカに渡った。そのアフリカは彼には衝撃的だったようだ。なにか魂がすいこまれるようにアフリカ各地を転々としているうちに五年たっていたというわけだった。
 しかしそれでもまだ彼の放浪の旅は終わったのではなかった。しばらくしてまた姿がみえなくなったと思ったら、今度ははインドから中東をへて再びアフリカに渡っていた。定職ももたず、結婚もせず、世界各地をホームレス同然となって放浪している叔父にむける親戚の視線は冷たく、彼のことが話題になるたびにみんな顔をしかめるのだった。しかし智子はなにかこの叔父に惹かれるものがあった。なにかがあるのだとずうっと思っていたのだ。
 それは智子が中学生のころだった。たまたまその叔父の話になり、彼女の祖母、すなわちその叔父の母親が、
「秀雄がまるで自分を捨てるようにあちこち放浪するようになったのは、好きな娘がいてね、その娘に裏切られたというのか、その娘が他の人と結婚してしまったのよ。そのことからなの。その心の傷がずうっとあの子のなかにあったのよ」
 という話をきいたとき、智子には叔父の放浪のすべてがわかったような気がしたものだった。
 一族のつまはじき者が四十を前にしたとき、一族から金をかき集めてアフリカや中東の国々と取引する買易会社をつくった。その会社がだんだん大きくなっていくと周囲の目が一変していって、今度は一族の誇りだともち上げられはじめたが、人の評価というものはずいぶん現金なものだなと智子は思うのだった。
「実はね、智ちゃん」
 会社でも秀雄は智子を智ちゃんと呼ぶ。
「わが社もどんぶり勘定的経営から多少は脱皮してきたつもりだがね。しかしどうもこのあたりでもっとしっかりした機構づくりというのかね、そんなものが必要なのかなという気もするんだよ。まあ別にこれ以上会社を大きくしたいとも思わないけど、そろそろ考えなくちゃならん時期にきていると思うんだね」
「それは私もそう思います」
「そこで、いままで智ちゃんのやっている仕事をきちんと独立させてね、広報業務課といったものにしたいと思うのだがね」
「ああ、それはいいですね。もうそういう段階にきていると思います」
「そこでその課を統率する仕事を智ちゃんにやってもらいたいんだ」
「そうですね」
「ぼつぼつ宏美ちゃんからも手が離れていくだろうし、できたら週五日、いやそれが無理なら四日でもいいんだがね。完全な社員となってその仕事をおさえていく。今度新人を雇ったのもその布石なんだが。まあ、考えておいてくれ」
 その日、智子はいつものように四時になると仕事を切り上げ、シビックを駆って家にもどってきた。ランドセルが居間のソファーの上に投げ出されていたが、宏美の姿はなかった。そうだ、今日は塾のある日だった、と気づくのだった。
 そこはなんだか奇妙な塾で、勉強よりも遊びや野外活動が大切だといって、大井埠頭で植物を観察したり、野烏公園にいって鳥のスケッチをしたり、日曜には郊外にでかけて蝶の採集をしたりする。智子がそんな塾にいれてみようと思い立ったのは、宏美が学校にいくのをぐずりはじめたあたりからだった。いまの宏美には勉強することよりも、もっとちがったものに興味をむけることが必要ではないかと思いはじめていたのだ。
 宏美はその塾に入るとがぜん蝶の採集に熱中しはじめた。いまでは専門家なみの高価な補虫網などを買いそろえ、毎日のように採集してきた蝶を展子板にはりつける作業に没頭していた。
 蝶を採集するという活動を通して、宏美の生物とか自然とかにたいする関心の向け方が広く深くなっていくのが手にとるようにわかる。動物や生物の番組があると必ずそこにチャンネルをまわして、智子にあれこれと解説をするが、それが次第に高度になっていくのだった。
 夫の邦彦の実家は福島にあった。その家のすぐ近くを川が流れ、庭の背後には林がひろがっていた。だからさまざまな昆虫やら野鳥やら小動物が実家や庭にまぎれこんでくる。ときには蛇が天井にはりついているというところだった。今年の夏だった。三人で実家を訪ねたとき、ヤモリがするすると廊下をはって智子の目の前をよこぎった。智子は思わずぎゃっと叫んで飛び上がってしまった。するとそのとき宏美が飛んできて、そのヤモリを大事なものを抱きあげるようにすくいとると、かわいいかわいいと言って頬ずりするのだった。
 それをみて負けたなと智子は思ったものだ。命あるものはすべて大切にしなければならないとか、小さな生物が生息できない自然はやがて人間も住めなくなっていくとか、自然を破壊してはいけないとか、そんな思想はすべて頭から入ってきたことだった。頭だけでつくられ、頭だけで理解されたものだった。自然の大切さや自然の豊かさを知っていくには、宏美のように生物や植物をその手の上にのせて愛撫することからはじまる、そんな当り前のことを痛感するのだった。宏美がヤモリを愛撫しているのをみただけでも、宏美をその塾に入れたのは間違いではなかったと思うのだった。
 今晩は宏美の大好物である特製のハンバーグをつくってやろうと流しに立つと、
「ただいま!」
 玄関に明るい声がした。ぱっとひかりがともったような明るい声だった。朝のぐずぐずした態度が嘘のようだ。その声をきいて智子はほっとするのだった。
「ねえ、お母さん。二十二日の日曜日あいてる?」
「今月の?」
「そう。今月よ」
「あいているわよ。どうして?」
「また丹沢にいくのよ」
「あら、そうなの」
「お母さんってわりと人気あるのよ。長太もきてくれって」
「ほんとうにそう言ったの」
「そうよ。言ったよ。楽しくなるって、みんなが」
「お母さんがいくとかえって邪魔になるんじゃないのかな」
「そんなことないよ。たけし君なんて、お母さんがくるんだろうって訊くよ」
「ほんとに。お母さんももっと蝶のこと好きにならなければだめね」
「だめだめ。お母さんみたいな短気な人は」
「あら、お母さんって短気かしら」
「短気短気、たんきもそんきってことがあるでしょう」
 なんだこいつ、その格言の意味を知っているのか。
 智子は話したくないことだった。できればこんなことにふれたくないことだった。しかし今日もまたたしかめなければならないことだった。
「宏美ちゃん。おなかが痛いのどうだった?」
「大丈夫だったよ」
「学校にいくとなおっちゃうんだ」
「まあ、そうね」
「学校ってどうなの」
「どうなのって?」
「つまりどんなことがあったかってことよ、今日は」
「まあ、いろいろとあったわよ」
「宏美ちゃんにいつもたのむのだけど」
「もうわかっているわよ」
「わかっていないわよ。だから訊くのだけど、学校であったことはなんでも話して欲しいのよ。いやなこととか、くやしかったこととか」
「わかってるってば。お母さんにも言うし、長太にも言うことにしているのよ。そういう約束なんだ」
 長太というのは宏美のいっている塾の先生のことだった。長太長太などと呼びすてにするものだから最初はびっくりしたが、どうやらそれは尊敬と親しみの表現だということがわかるのだった。
「どんな約束なの?」
「もし、だめだなあ、もうこれ以上がまんできないなあと思ったときは、必ず長太に言えって」
「ふうん」
「長太ったらね。君はきっと素敵なレディになれるって」
「なあにそれ」
「君のお母さんが素敵な人だから、きっと君も素敵なレディなれるぞって」
「なんなの、それ」
 と智子はちょっと顔を染めて言った。
 邦彦が八時過ぎにもどってきた。いま新しいプロジェクトの中心にいて、帰りがこのところ連日深夜だった、その日は珍しくはやかった。
「宏美はどうだった?」
 と訊いてきた。それがいま夫婦が最初にかわす会話だった。
「今日はいったのよ。でもやっぱりすごく大変なの。毎朝、宏美と格闘することでぐったりとなって。気分を切り変えるのがたいへんなの」
「どうしてなのかな。まったく」
 と邦彦はためいきまじりに言った。
「あなたがためいきなんてつかないでよ。こんなときこそあなたがしっかりしてくれてなくちゃあ」
「木村部長のところの二番目の子がやっぱりそうだったらしいんだ。なんでも五年生のときに突然学校にいかなくなったらしい。それがちょっと続いたらしいけど、受験塾の特訓教室にいれて中学受験に打ちこませたら、登校拒否も自然になおってしまったらしい。そういう方法もあるんだな」
「それも一つの方法かもしれないけど、宏美にはむいていないわ」
「昔からいじめというものはあったんだ。おれたちのときにもよくいじめられてたやつがいたよ。しかしそんな体験をくぐり抜けて子供たちは強くなっていく。だからあまり深刻に考えることもないんだろうがね」
「でも宏美の場合はよくわからないのね。ときどき仲間はずれにされることはあるらしいけど、だれか特定の子にいじめられているような様子もないのよ」
 宏美ははっきりと自己を主張する子だった。たとえばホームルームで会議があったりすると、彼女だけがいつも孤立するらしい。しかもその意見をなかなかゆずらず最後まで押し通そうとする。担任は彼女のそんな個性を話すときいつも運動会の話をする。運動場に整列して、先生が右向け右と号令を下したとき、たった一人宏美だけが左をむくと言うのだった。
 それはたまたまそういうこともあったということなのだが、担任がそのことをいつも一つの象微として語るのだった。そして学校生活のいろんな場面で、宏美はそれに似たようなことをたびたび引き起こすと言うのだった。担任はそんな宏美の性格を、どう表現していいかわからず、ユニークで個性的だと評するのだった。
 智子も邦彦もそれぞれ自分を個性的な人間だと思っているが、しかし運動会で右向け右の号令がかかったとき、たった一人左を向くほど個性的ではない。邦彦がアメリカ支社に転勤になって、一家で二年ばかりニューヨークで暮らしたことがあった。もしかしたら宏美のそのユニークな個性は、その時つくられたのかもしれないと思ったりするのだが、しかしそのとき宏美はまだ四歳だった。
「部長も言ってたけど、いまではその登校拒否した子が一番がんばるそうだよ。なんでもねばりづよくやっていくそうだ。いじめというのが、まあ、その子の精神を鍛えたということなんだろうね。宏美もそうなってほしいものだ」
「そうね」
「いま甘やかせて、学校から脱落したら親も子も負けだな。とにかくどんなことをしても学校を休ませてはいけない。それは敗北なんだ」
 宏美の登校拒否がはじまってから、どことなく疎遠になっていた夫婦の会話がまた昔のように密度の濃いものになったようだった。二人の結論は同じだった。とにかく学校にやること。宏美を学校のなかで生活できる強い子にすることだった。社会にでればもっと苛酷な争いが待っている。そんな社会に乗り出すために負けてはならないのだった。
 智子はその夜、叔父からもちかけられた話を切り出そうかと思ったが、しかしそれは思いとどまった。邦彦はいまの勤務もこころよく思っていないのだ。彼の本心は世の多くの男たちのように、いや彼の同僚たちのように、妻は家にいなければならないと思っているのだった。妻が働いていることは彼の会社では恥ずかしいことであった。だから邦彦は会社では智子が働いているなどということを一言も漏らしていないはずだった。そんな邦彦に勤務する日をさらにふやしたいという話をもちだしたら争いになるだけだった。
 智子はいま宏美の問題をかかえていた。さっぱり展望がなかった。どんな風にしていいかまったくわからなかった。今日はなるほど学校にいった。しかしそれも強引におどかすようにして学校に送りだした。宏美のためではなく自分のために。自分が会社にいくために。そんな卑劣なことをしているいまの状態では、とても叔父の話にはのれなかった。その話を本気で考えるにば、まず宏美のことをきちんとしてからなのだ。
 その翌週だった。その朝のぐずり方はちょっとひどいものだった。それだけ 智子が強引だったこともあるが、ベッドからひきずりだしても、また智子の手をふりほどいて布団のなかにもぐりこむ。智子は負けまいと、また力づくで宏美をひきおこすと、宏美はばたばたトイレにかけこんで錠をおろしてしまったのだ。そんなことははじめてのことだった。ドアをどんどん叩いても、なかから嗚咽があがるばかり。この新たな展開に智子はすっかり動転してしまった。
 智子はいらだちと悲しみのないまじったためいきをつくと、気分をかえようと宏美の部屋にもどり、窓をあけた。すると窓の外にめぐらせた柵にぼてっと水を吸った教科書とノートがたてかけてあった。本やノートはたっぷりと水をすっていてずしりと重たい。おなかが痛いの、下痢なの、と泣きながらもどってきた宏美に、
「どうしたの、これ?」
 と智子は訊いた。
「なんでもないよ」
「なんでもないじゃないでしょう、いったいどうしたの、これ」
 宏美はじれったそうに、昨日お掃除のとき水のはいっているバケツのなかに落としてしまったのだと言った。しかし智子はピンとくるものがあって、
「だれかが、宏美ちゃんの教科書やノートをバケツのなかに放りこんだんじゃないの」
 宏美は涙をぽろぽろ流しながらはげしく首を振った。
「いいわ。今日はお休みにしなさい。でもそのかわり、お母さん、学校にいって先生に会って、最近の宏美ちゃんのことを聞いてくるわね」
 宏美の担任は宮崎という三十前後の独身の先生だった。どこか茫洋としていて、小さなことにこだわらないスケールの大きな先生だという印象だった。しかしこのごろはただずぼらで、感受性の乏しい先生ではないかという印象にかわってきていた。そんなイメージを抱いてはいけないと思いながらも、会って話しをするたびにその思いを強くするのだった。
 その日の放課後、がらりと職員室をドアをあけると宮崎が手で招いた。
「さあ、どうぞ、そこに」
 智子が躊躇していると、
「いや、高橋先生はもう帰られましたから、そのイス空いてます。どうぞ」
 そうではなかった。まだ部屋には先生たちがたくさん残っていた。そんななかでこみいった問題を話すことなどできなかった。こういうところが無神経なのだと智子はまた思ってしまうのだった。
「ちょっと個人的なことですので、どこか静かなところでお話ししたいのですが」
「ああ、そうですね。それなら教室にでもいきますか」
 そしてくたびれる話はいやだなあという表情をあらわにして、ぱたぱたとスリッパの音をたてて教室にむかうのだった。
 小さな椅子にすわると、智子は教科書のことを話した。
「ほお、そんなことがあったんですか。しかしそれは宏美が言うようなことではなかったのですか」
「でも私のカンですけど、なにか隠しているような様子です。もし宏美の言うようなことでしたら、すぐに私にそのことを話すはずなんです。バケツに教科書とノート落としちゃったけどどうしたらいいって。それをこっそりと窓の外にだしているなんて、おかしいんです」
「それは、お母さんの考えすぎではないんですかね。お母さんのカンというのは、だれかうちのクラスの生徒が、宏美の教科書やノートをバケツのなかに投げこんだということですか」
「いえ、そういうわけではありませんけど」
 そうあからさまに言われると否定する以外にない。
「そこまでする生徒はうちのクラスにはいないと思いますがね」
 そう言われてしまうと、もうそれ以上のことは言えなかった。智子は仕方なく話をかえて、宏美はいまクラスでどんな生活をしているのかを訊いた。それは宮崎の感受性がどこまで宏美をとらえているかということなのだ。
「宏美はとにかくユニークな子ですね。自分をしっかりと主張しますから。そんなことでクラスからちょっと浮くということがありますけど、でもそれがいじめにつながっているとは思えませんがね」
「そうでしょうか。でもいじめられているという噂は、宏美のお友達からもよく聞くんですよ」
「それはお母さんから言われましてぼくも注意してみているんですが、それらしきものはみえないんですがね」
「でも、子供たちってとっても利口だから、先生に見つからないようにするんだと思うんですよ」
「しかしみえてくるものは、どんなに隠していたってみえてくるもんですよ。お母さんもかつては先生をなさっていたんですから、そのへんのことはわかると思いますが」
 なにかそれは嫌味を言われたように響いてきてしまう。そんなふうに受け取ったらいけないのだと思い素直に言ってみた。
「そうですね。みえてくるものはみえてきますね」
「宏美がいじめられている光景は、少なくとも学校では、というよりも教室ではみえませんね」
「それはきっと宏美が弱音を吐かないからだと思うのです。あの子はちょっとぐらいのことではへこたれたり泣いたりしません。どんなにくやしいことがあっても泣かない子なんです。そういう子が朝はほんとうに泣虫になって、めそめそして、学校にいくのをいやがるんですね。いったいどうしてなんだろうと……」
「それはぼくに言われてもわかりませんね。精神科医ではないんですから。まあともかく、ぼくはお母さんの考えすぎだと思うんですが。たしかに宏美はちょっと目立つ子です。はっきりと意見を言うし、仲間とちがったことを平気でやりだすこともある。群れのなかに入れないというよりも、入らないで超然としているというか、入れないでも平気でいられるんですね。そういう個性はもちろん貴重であり、悪いとは言いませんけど、しかしみんなとなにかをしていくときには、協調することも必要だと思うのですね。そういう努力も必要なんですよ」
 そしてもう話は打ち切りたいと言うように、
「まあ、ぼくもいっそう注意して彼女をみていきますが、ご家庭でも学校にいきたくないような原因というか、状況をつくりださない努力が必要だと思いますね」
 宏美が学校にいけないのは、家庭に原因があるような口ぶりだった。智子はちょっとかっとなったが、しかしそんなふうにしか受けとれなくなった自分が、みじめでなさけなかった。人の言葉を素直に受けとれないなんて。
 その日曜の朝、智子が品川の駅のホームにいくと、小学生八人に中学生が四人、それに大学生がきていた。長太は五分ほど遅刻してきた。すると小学生たちが遅刻遅刻と大合唱をはじめて、これで百円もうかったなどと言っている。どうやら遅刻したら、一人に百円払うという罰ゲームがあるようだった。
 智子はこの塾の野外活動に参加するのは、これで三度目だったが、とても楽しみにしていた。邦彦はゴルフだったし、宏美のことで、毎日が気がめいるばかりの智子にとって、大自然は命の洗濯になるのだ。
 彼女は学生時代よく山に登った。あの苦しい登りがなんともいえず心地よかった。登りはじめていくと、どっと汗が吹き出てくる。都会の生活でたまっている、さまざまなストレスといったものが、あの苦しい登りのなかで一斉に吹き出していって、代わって新鮮な血液が、体のなかをかけめぐっていく。
 教師時代も、彼女はよく子供たちを山につれていった。長い夏休みや春休みになると、八ケ岳、南アルプス、北アルプス、ときには北海道の大雪山まで連れていったこともあった。彼らはそのきつい登りにあきれかえる。気が狂っちゃうとか、どうしてこんな苦しいことが面白いんだとか、なにが自然が素晴らしいんだとか、もうぜったいにこんなところにくるもんかとか、ぶつぶつ言いながら登ってくる。しかし苦しければ苦しいほど、山は高度をあげていく。壮大な景色が眼下にひろがっていく。そうやって彼らは、大自然のふところに抱かれていくのだ。彼らの心が次第に変化していく。自然の大きさ素晴らしさに、次第にひきこまれていくのだ。どんなに手のつけられない子でも、どんなに心の通わない子でも、山につれていくとたちまち深いところで交流できた。山小屋の粗末な食事、沈む太場、夜にまたたく星空、そして朝の日の出。その山登りは、まだはじまったばかりの彼らの人生に、たしかにある痕跡を残すのだ。
 それは彼女が、中学の教師であった二十三のときから二十八までの、わずか五年にすぎなかった。しかしその五年間が、どんなに輝いていたか。ときどきそのときのことが、胸をしめつけるばかりによぎってくるのだった。
 丹沢は晴れ渡っていた。のんびりとした風景が、どこまでも広がっている。草がうるさく繁り、木立の緑がまた鮮やかだった。自然の豊かな恵みが、智子をよみがえらせる。宏美もまた生き生きとしていた。友達とぶざけたり、けらけらとかぎりなく笑ったり、いたっ! と叫ぶなり網をふりかざして畑や林のなかにかけこんだり。毎朝みるのあのぐずぐずとした宏美とは別人のようだった。そんな宏美の姿をみるだけで智子は健康になるのだった。そうだった。宏美も私も健康なのだ。
 川についた。そこで昼食をとることになっていた。たきぎを集めて、火をおこさなければならない。子供たちは、焚火づくりが大好きなのだ。二つのグループにわかれて、火をおこすことになった。智子のまわりに、小学生たちが寄ってきた。智子は子供たちに人気があるのだ。
「まず薪を集めましょうよ。さあ、みんな。山のなかに入って、薪になる木をいっぱい拾ってきてちょうだい」
「やろうぜ」
「おれ、ナイフ使うからな」
「ぼくにも貸してよね」
「いこうぜ」
 と小学生は口々にこたえる。彼女の命令に、小学生たちは喜々としてしたがうのだ。そして、両手いっぱいに、技打ちで落とされた枝などをかかえてもどってくる。あかあかと燃え上がった焚火のなかに、智子はリュックに入れてきた、ジャガイモをアルミホイルにくるんで投げ入れた。
「焼きいもかよ」
「そうよ。おいしいんだから」
 その焼きジャガイモは、子供たちに大受けだった。智子はまた塩とバターとマヨネーズも用意していたのだ。どれをつけると一番おいしいかを試食させるために。
「うめえ。弁当よりもうめえよ」
「塩あじもいいな」
「バターがやっぱりいいよ」
「ぼくはマヨネーズだね」
 ほかほかしたジャガイモを、みんなふうふうしながら食べるのだ。のんびりとした自然のなかでは、豪快な食事がよく似合う。
 智子のまわりに、小学生だけでなく中学生も大学生もやってきて、ぐるりと取り囲んだ。
「ねえ、おばさん。これ食べたらさ、川で遊ぼうよ」
「またずぶ濡れになるわけ」
「そうだよ。あれおもしれえよな」
「お前、おぼれそうになったんだろう」
「ねえ、遊ぼうよ」
「でも長太先生は、みんなを蝶をとりに連れていきたいのよ」
「もうおれ、蝶なんていいよ」
「ぼくもいいよ。ねえ、川で遊ぼう」
「じゃあ、長太先生にきいてらっしゃい。ぼくたち、川で遊んでいいかって」
 子供たちは、長太! と叫びながらどどどっとかけだしていった。そしてまたどどどっとかけもどってくると、
「おばさん、いいって」
 とだれもが飛び上がるような、弾む声をあげる。長太もやってきた。
「お母さん、いいですか」
「ええ、かまいませんよ。でもなんだか目的からそれるんじゃありませんか」
「いや、そんなことはありません。だいたいあの子たちは、まだ蝶に興味なんてないんですから。それはそれでいいんです。むしろ川で遊ぶことがほんとうなんですよ。 午後は遊ぶことになっていましたし。助かりますよ」
「じゃあ、思いっきり遊ばせますよ。そうじゃなくて、私が遊ばせてもらいます」
「いいなあ。そういう姿勢がすばらしいな」
 と長太は言うのだった。
 そんなわけで、昼食をとってからの行動は二組に別れた。一つは蝶の採集にいくグループと、もう一つは川で遊ぶグループに。うまいぐあいに七人づつになった。智子は、蝶採集にでかける長太や宏美たちを見送ってから、みんなに招集をかけた。子供たちを声をあげて呼び集めるなんて、ほんとうに久しぶりだった。
「みんな、これから川で遊ぶけど、どんなことをしたいか。一人づつ言ってみてよ」
 子供たちは歓喜の雄たけびをあげるように、泳ぎたいとか、ダムを作りたいとか、魚をとりたいとか、滝ですべりたいとか言った。
「わかったわ。じゃあ、まずこうしましょうよ。ここはちょっと面白くないみたいだからもう少し上流に上っていく。どこまでも上っていく。きっとどこかにみんなで遊ぶところがあるわよ」
「ぼく、水着もってないけど」
「みんなももってないよ」
「そんなの平気よ。パンツになればいいでしょう」
「ぬれちゃうじゃないか」
「だったら、パンツも脱げば」
「うえっ」
「いやだよ。おれふるちんなんかになんねえよ」
「なに言っているのよ。みている人なんかいないんだから。男でしょう」
「じゃあおばさんもふるちんになるのか」
 そう言うだろうと智子は思っていた。しかしいざそう言われてみると、ちょっと顔がほてってくるのだった。
「まあ、そのときばそのときだわ」
 そこは大きな岩の棚にかこまれ、たっぷりと水をたたえたなかなかよい水場だった。水尾は青く深そうだった。彼らは岩の上から飛びこんだり、川の流れに身をゆだねたり、もぐりこんだり、とさまざまな遊びをくりひろげている。夏を思わせる太陽がきらきらとひかっていたが、まだ水はぞくりとする冷たさだった。しかし元気な子供たちはその冷たさをものともせずに飛びこんでいく。
 岩の上に身をよこたえて、智子はそんな子供たちを見ていた。子供たちの体はよくしなりひきしまって若鮎のようだった。躍動していくその体は生にきらめき、まぶしいばかりだ。彼女の胸のなかにまた教師時代のことが悲しくつらくよぎってくる。いまさらのようにあっという間に過ぎ去ったあの五年間の生活が、彼女の生のなにやら原点のように思えてくるのだ。
 運動会があり、クラス対抗リレーがあった。クラスは燃えてぜったいに勝とうと誓い、そのためには練習だと言って、朝六時に校庭に集まって練習したものだった。借しくも一等をとれなかったそのときのくやし涙。合唱コンクールで彼女のクラスが「あの素晴らしい愛をもう一度」をうたって一等になったときのあの涙。妊娠した子がいてかえって智子がおろおろしたこともあった。学校にこない子を毎朝むかえにいってとうとう立ち直らせたこともあった。修学旅行のときに彼女のクラスの三人が十二時過ぎても戻ってこずに、あわや大騒動になりかけたこともあった。十年に一人の番長と先生たちにもおそれられた子を、彼女は涙を流しながらぴしゃりと頬をはったこともあった。そのあとその子との間に深い友情が生れたものだった。
 その輝かしい生活を智子は捨ててしまった。そのとき彼女に深いためらいがあったが、次の飛躍のためには仕方がないと思ったものだ。次なる飛躍とは結婚だった。邦彦との結婚だった。彼は仕事をやめてほしいと言った。それが欠かせない条件というほどのことではなかったが、彼はやめてほしいという気持ちをずうっと持ちつづけていた。智子は結婚にあこがれていたのだ。邦彦への愛はゆるぎようもなく、彼を失いたくなかった。彼のいない人生など考えられなかった。彼女は結婚するというだれもが納得できる理由によって退職したのだった。
 しかしそれは半分真実であり半分は嘘だった。彼女はそのとき教師として一つの厚く高い壁につきあたっていたのだ。その壁の前で彼女はたじろいでいた。今の宏美ではないが、なにか学校にいくのがちょっとこわくなっていた。朝になると深い疲労がおそいかかってくるのだった。それはいま考えるとけっして軽くない心の病にかかっていたのかもしれなかった。
 その最も大きなきっかけをつくったのは、赴任したばかりの音楽の若い女性教師が音楽室で三年生の男子三人に乱暴されるという事件がおこったことだった。その教師の引き裂かれた下着をみたとき、まるで智子の心と体に剃刀をたてられたような戦慄が走って慄然となった。彼女は急に男子生徒たちがこわくなった。彼らはもう女をあっさりと組み伏せて、暴力の牙を突き立てることができる年齢なのだった。それを知らずに彼女はいままでなんと無防備だったのかと思うのだった。
 無防備だって? 教師は生徒たちから常に防備していなければいけないということなのか。そうなったらもう教育ではないではないか。しかし事実は教師と生徒の間には深いこえられない溝があるのだった。そこからこえてはならない世界があるのだった。智子の恐怖はさらに女の子たちにもむけられていた。彼女たちは鞄のなかに平気でコンドームをしのばせたりしている。そしてあっさりと好きでもない男たちに体を開くというのだ。そして妊娠。教師の知らない見えない向う側には、子供たちの息ぐるしいばかりの濃密な性の世界があった。
 そこにまた煙草があり、シンナーがあり、いじめがあり、たちの悪い無気力と無関心があり、暴力があった。体育系の教師が赴任してきて力でおさえこもうとする教育があった。三年生になると全校が受験一色におおわれ、子供たちはもう自分の点数だけにしか関心をもたなくなっていく。そんな子供たちの背後にひかえている教育ママたちの大軍。即物的で現金で低俗な母親たちの価値観に智子はどれほど苦しめられただろうか。
 そして智子が教える英語という科目にも深い疑問をもちはじめていた。英語にいっぱいの夢をふくらませて学びはじめる子も、二学期には半分の子が脱落していき、三学期になるともはや英語に興味をしめし授業についてくる子は、クラスの三分の一になってしまう。そしてその英語の授業といったら、まるで数式のように、やれ進行形がどうの、三人称単数のときはどうの、複数のときはどうのといった授業をえんえんと展開していかねばならなかった。言葉の授業ではなく、ひたすら文法の時間であった。
 あのとき結婚という次なる飛躍のために退職したのだと思った。しかしいまふりかえってみると、それは一つの挫折であったのかもしれなかった。いや挫折そのものだったといまは思うのだ。
 結婚はなるほど新しい世界だった。そこで新しい出来事が次々におこっていった。しかし年月とともに、彼女の生の中心がぽっかりと穴があいていく思いにとらわれるのはどうしょうもなかった。宏美が生れすべての時間が子育てに奪われていくとき、なにか生命の底がからっぽになっていくように思えたものだった。そして子供たちとすごしたあの五年の月日こそ生の輝きだったと思うのだった。
 帰りの道はのどかな田畑の中を通っていく。畑で老夫婦が働いていた。素朴な風景が智子の心にしみこむのだ。子供たちの後を智子と長太はならんで歩いていた。
「宏美がとてもむずかしいんです」
 と智子が言った。
「休みが多くなったみたいですね」
「そうなんです。今週なんか三日も休んだんですよ。毎朝、頭が痛い、吐き気がする、おなかが痛いって、もう大騒ぎなんです。たぶんに精神的なものでしょうけど、でもほんとうに頭が痛くなったり、おなかが痛くなったりするようですね」
「そうでしょうね。事実肉体がいうことをきかないと思いますよ。心の問題は体の間題でもありますからね」
「今週も学校の先生と会ってきたんですか、まるでわかっていないんですね」
「一クラスに四十人という生徒がいますからね。一人一人の子に目が届かないこともあるんでしょうね」
「でもこんなことを言ってはいけないんでしょうが、あの先生は子供をみていないと思うんですよ。少なくとも宏美のことをみていないと思うんです。なにか子供たちをみる感受性というものがないように思えるんですね」
「いじめというのはみえにくいですからね。とにかく先生のみえないところで行うというのが一つの絶対的なルールですから。そんなところは子供は天才的です。そういうことにかけては」
「そうなんですね。いじめって陰にこもったところで行われるから。でももう一つよくわからないのは、いじめというのはいじめっ子がいるわけですね。でも宏美にはある特定の子にいじめられているということではないようなんです」
「そうでしょうね。宏美はしっかりした意志の強い子だから。もしそういう子がいたらその子とタイマンで戦うでしょうね。宏美ってそんな子ですよ」
「そうかもしれません」
「つまり、村八分にあっているんだと思いますよ。だれか特定の子がそうするのではなくて、クラス全部がいじめる。いじめのネットワークといったものが」
「ネットワークですか」
「村八分のネットワークですよ。だからみえないんです、敵が。みんなで宏美のことを無視して、みんなでいじめていくんですよ。表だった敵はどこにもみえない。しかしクラス全部が宏美を排斥していくということかもしれませんね」
「おそろしいことですね」
「ある意味じゃいじめっ子にいじめられるより悲惨ですね。しかしこれが日本人のもう一つの姿なんじゃないでしょうか。村八分という言葉がいみじくも語っているように」
「バイキンとかエイズとか言われるらしいんです。宏美が通ると、バイキンがきた、エイズが通ったって。あいつがいるから空気がよごれるとか。ごほんごほんとわざと咳をしたり、結核になったとか、下痢がはじまったとか。わざと聞こえるようにひそひそと話したり、ときには大声でゲラゲラと笑ったり」
「バイキンとかエイズというのはいじめの常套句ですね。それに臭いとか、死ねとか」
「体が臭いって言われるらしいんですね。あなたとしゃべっていると息が臭いとか、近くにいるだけで空気がただれるとか。宏美が先生にさされて発表していたりすると、みんながさかんに臭い臭いと手を振るらしいんです」
「そういうことがおこるのはクラスが腐っているからなんでしょうね。クラス中が澱んでいるからだと思いますよ」
「そうでしようか」
「宏美はたしかアメリカの生活がありますね」
「ええ」
「そのアメリカでの生活が宏美の性格をつくったってこともあるんじゃないでしょうか」
「でも二年間ですよ、それも四歳から五歳まででした」
「でもよく言うじゃありませんか。子供の性格は幼児のときにつくられるって。自分の意見をはっきり言うとか、自分は自分他人は他人とか、付和雷同しない性格とか。なにかそういう個性を尊重する社会で育った子が、日本のもっともいやらしい部分と衝突しているようにも思えるんですけどね。ちょっと深く考えすぎかな」
「はあ」
「もしそれがちょっとでも当たっているとすると、いま宏美は二つのスタイル、二つの文化の衝突をもろにその体に受けているというふうにだって考えられないこともない」
 智子はびっくりしてしまった。そんな見方をされたのははじめてだった。なるほどそんな見方だってできないことはないのだ。
「ぼくはこう思うんですがね。もし宏美がこれ以上学校をいやがるようでしたら無理にいかせることもないと思うのですよ」
「学校を休ませてしまうのですか?」
「そうです。無理にいかせることはないんですよ」
「でもそれは負けることになりませんか」
「勝つということはどういうことなんですか。彼女にとって勝つとはどういうことなんでしょうかね」
 智子はそれにまったくこたえられなかった。
「ぼくがこんな生意気なことを言うのは、藤沢で登校拒否の子供たちを集めてフリースクールのようなものを開いている谷岡さんという方の影響なんですがね。その谷岡さんはごく普通のお母さんだったのですが、その方の子供がやっぱり登校拒否をおこして、さんざん苦しんだあげくに、自分で登校拒否の子供たちが集まる場をつくったんです。そこに集まってきた人たちが実にすばらしい活動を展開していった。その谷岡さんを一度たずねるといいですよ。紹介しますよ」
 七月に入って、宏美の朝はひどくなる一方だった。それまで智子が勤務する日は、ぐずぐずしながらも学校にいっていたが、その週は月曜から全滅だった。どうしても会社を休めないときは、智子の実家が自転車で五分とかからぬところにあったから、母親に宏美の世話をたのむのだが、さすがにたび重なるとそれもためらわれるのだった。先日も母親に言われた。こんなに宏美が苦しんでいるときにお勤めでもないでしょうと。そのことで母親と争ってしまったのだ。
 さすがに邦彦もほおっておけなくなったのか、その朝は出勤の時間をずらして宏美を学校にいかせようとした。いままで暴力などつかったことがない邦彦が、その朝はただならぬ勢いでベッドから宏美をひきずりだしてきた。そして階段を抱きかかえておろそうとしたが、宏美は狂ったように柱にしがみつき足をばたばたさせて抵抗する。
「宏美。昨日お父さんと約束しただろう。どうして守ってくれないんだ。どうしてなまけるんだ。いま負けたら終わりなんだぞ。いってごらん。勇気をだしていってごらん」
 邦彦は怒鳴っている。しかしそれはまた泣いているようでもあった。
「泣くのはやめろ。泣いたって今日は駄目だよ。今日はお父さんといくんだ。ぜったいにお父さんは連れていくからな。泣いてごまかしたって駄目なんだ。人はいやなときでもいかなければならないときがあるんだ」
 しかし宏美はさらに泣きじゃくり、邦彦がむきになればなるほど抵抗するのだった。邦彦は宏美を突き飛ばした。そしてまたむんずと抱き上げると宏美をたたいた。
 もう限界だった。もう智子はたえきれなかった。
「あなた、だめよ。暴力なんか。暴力なんかでこの子がいうことをきくと思うの」
「だったら君のようにいつも甘く、はい、わかったわ、いかないでもいいわ、お部屋で寝てらっしゃいということにはならないだろう。この廿さをどこかで断ち切らなければならないんだ。そういったのは君じゃないか」
「でも暴力はいけないわ」
「暴力じゃないよ。これがどうして暴力なんだ。宏美に立ち上がってくれと言っているんだ。泣かないで立ちむかってくれと言っているんだ」
「静かに言えばいいのよ。宏美はわかる子よ」
 と智子は言った。それは邦彦の言う通りなのだ。すべてわかっていることだった。だが思い通りにいかないではないか。邦彦はそのいらだちを今度は智子にぶつけてきたのだった。
「だいたい君がきちんと宏美に接していなかったからなんだ。大学病院の医者が言ってたじゃないか。愛情に飢えているって。もっと親密な接触をして下さいって。君は宏美が生れたときからほったらかしにしていた。アメリカでもそうだった。週の何日も宏美をあずけて、やれ講座だ、やれパーティだ、やれボランティアだ、やれ大学の聴講だ、と始終家をあけていた。いまでもそうじゃないか。いまでも君はとびまわっている。いまでも君は家をあけっぱなしなんだ。君の目が宏美にむいていないからなんだ」
 こうして二人の間に絶望的な争いがはじまるのだった。汚れた言葉を吐いて、言わなてもいい言葉をまきちらして争うのだった。そして邦彦はどこにもぶつけることのできない怒りを、どんとドアにたたきつけて会社に出かけていった。あとにのこるのは絶望と疲労だった。なにか家庭がこわれていくようだった。家庭とはこうして崩れていくものなのだろうか。
 智子はぐったりと椅子にすわりこんでいると、すすり泣いている宏美がやってきた。
「お母さん、ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい」
「今日もお休みしなさい。いけないものはしょうがないわね」
 と智子は力なく言った。なんだか智子の頬にわけのわからぬ涙が一筋こぼれていく。
「前はなんとなく学校にいったらなおったけど、いまは学校にいくとおなかがかえって痛くなるの。すごくトイレにいきたくなるの。でもトイレにいけば、みんなゲラゲラ笑うんだから。だからがまんしているの。でも、がまんできないほどになって、おもらししてしまうのよ。そんなことできないでしょう。でもあしたばがんばってみるから。あしたはいけるようになるから。お母さん、泣かないで」
 そうなのだ。この子は弱い子ではない。逃げようとしているのでもない。この子は戦っているのだ。毎朝毎朝戦っているのだ。なんて強い子なのだろう。智子のなかに悲しみがこみあげてきて、思わず宏美を抱しめるのだった。


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