ゲルニカの事件は、実際にあった事件だった。
ゲルニカの事件は実際にあった事件だった。卒業式、その日のために子どもたちが制作したゲルニカの大壁画が外された。そのことに一人の少女が憤然と抗議した。教育委員会はその少女の担任教師を処罰した。長い長い裁判闘争が起こった。大人たちの闘争に巻き込まれた少女。「ゲルニカの旗」は子どもが担うべきことではない悲劇を、胸に貼りつけて歩いていかねばならなかった少女のその後を、しびれるばかりに深く描き込んでいる。子どもたちの悲劇、そして明日をめざす教育を描いた屈指の作品である。
やがてこの挑戦は卒業制作として、六年生全員で取り組むことになった。一クラス六人の代表からなるゲルニカ制作実行委員会がつくられ、私もその一人になった。スケッチブックや画用紙や模造紙に何度も下書きをして、ゲルニカの荒々しい構図を再現しようとした。そしてそこに色彩をつけていく。色彩といってもグレー一色だが、しかしそのグレーが微妙に変化していく。その微妙な色調の変化を再現することがとてもむずかしかった。そんな段階をへて、百六十人の子供たちが見守るなか、体育館の床に縦三メートル七十センチ、横八メートル四十センチの布きれを敷いた。それは巨大な布だったが、しかし百六十人もの子供たちに取り囲まれてみると、とても小さく感じられた。
模写とはいえ大画面に再現するのはとても大変だった。正確に再現しようとするとどんどん構図が歪み、何度も何度も描き直していった。ようやく構図がきまると、百六十人の子供たちがペンキで彩色していくのだが、ばらばらに塗りこめられていたり、乱暴に塗られたり、線からはみだしたりしていて、制作委員が毎日遅くまでかかって修正していった。
その日の放課後、制作委員が体育館に残って、ゲルニカを描いているときだった。新田さんという一組の子がバタバタと体育館に入ってくると、
「ねえねえ、みんな聞いて。ゲルニカは卒業式には飾らないって」
ゲルニカは私たちの卒業式の日に正面ステージに飾られる。そのゲルニカを前にして、私たちは卒業する決意表明をして巣立っていく。それが私たちのゴールだった。思いもよらぬ新田さんの言葉にみんなの手が止まった。
「どうしてそんなことになるの。だってみんな卒業式めざして描いているんじゃないの」
「そうよ。それじゃあ、なんのためにかいているかわからないよね」
「それって裏切りだぜ。そんな裏切って許せねえよ」
「そうよ、そんなことぜったいに許せないよ」
そこに制作の進行を見に二組の野島先生がやってきた。その日の製作担当の先生が野島先生だったのだ。私たちは猛然と野島先生にかみついた。野島先生は困惑の色を浮かべながら、
「その問題はね、明日の制作委員会で吉永先生から話しがあるわよ。そこで吉永先生が説明してくれるはずだけど。そうね、ゲルニカは難しいのよ。ゲルニカに対する批判がでてきたり、学校の事情も変わってきたりして、いろいろと難しい問題がいっぱいでてきているの」
「その難しい問題ってなんですか」
「詳しくは明日、吉永先生から説明があるけど、今年の卒業式はちょっと特別なのよ」
「特別って、なにが特別なんですか」
「今年の卒業式の中心になるのは日の丸なの。日の丸を中心に飾って、君が代を歌う。校長先生たちはそういう卒業式にしたいっていうわけ。それでそういう卒業式にするためには、ゲルニカはちょっと邪魔になるんじゃないのかな。とにかくゲルニカは大きな絵でしょう。こんな大きな絵をもってくると日の丸が隠れてしまう。そのことを校長先生や教頭先生はすごく問題にしているのよ」
翌日の放課後に、美術室で制作委員会が開かれた。四クラスの制作委員二十四人の痛いばかりの視線をうけて、吉永先生はなんだか申し訳がないといった様子をただよわせて説明に立った。
「昨日もまた校長先生や教頭先生たちと遅くまで、ゲルニカをどのように展示するかという話し合いをしました。そこで幾つかの案がでたけど、その一つはもちろん卒業式に飾るということだね。最初の計画ではそういうことだった。しかしちょっといろんな事情ができて、それができなくなるかもしれないんだね」
そこで私たちの鋭い声が飛んだ。
「いろんな事情ってなんですか」
「君が代と日の丸のためですか」
「君が代、日の丸ってなんなんですか。私たちによくわかりません」
「そのことでゲルニカは犠牲になるんですか」
「まあ、ちょっとみんな興奮しないでくれよ。うん、そうだな、日の丸、君が代の問題にふれるとね、話がすごく複雑になるし長い話になるので、いまそのことにはふれません。問題はゲルニカをどうするかということだからね。それで第一の案として、あくまでもゲルニカは卒業式のステージに飾ることだね。しかしいろんな事情でそれができなくなったとき、第二案というものも考えなくてはいけない。そこで第二案として、君たちに提案するのだけど」
「第二案ってなんですか」
「うん、第二の案というのは、この絵をこの学校に永遠に飾っておくためにパネル板をつくる。ゲルニカが完成したらそのパネル板に貼る。そして全校集会を開いて、ゲルニカを在校生に贈る伝達式を行うという案なんだ。そういう案はどうだろうね」
「それって、ゲルニカを卒業式には飾らないってことですか」
「うん、そうなんだ。しかしそのパネル板は美術室の前に置いておく。この学校が続くかぎり、君たちの残した記念碑として、いつまでそこに飾っておくんだ」
「どうして美術室なんですか。どうしてゲルニカは卒業式に飾ってはいけないですか」
「ゲルニカって、卒業式には迷惑なものなんですか。私たちは迷惑なものをかいているんですか」
「私たちは卒業式という目標をたててやってきました。その目標に向かってみんな頑張ってきたんです。その目標がなくなるということです」
「これは約束違反です。先生たちってそんな簡単に約束を破るんですか」
「これは裏切りです。こんな裏切りを私たちはぜったいに認めません」
吉永先生は子供たちから発せられる抗議に顔を苦しそうにゆがめていく。いま先生はとても苦しい所に立っている。しかし私たちは譲れない。私たちは断固として卒業式にゲルニカを飾ってもらいたいといった。やがて吉永先生は、そんな私たちに全面的に降伏するよういった。
「わかった。君たちの意見はよくわかった。君たちが強く主張するように、ゲルニカはやっぱり、卒業式に飾らなければいけないね。ぼくもそう思う。君たちの意見を校長先生や教頭先生に伝えるよ。ぼくもそうなるように頑張っていくから、君たちも最後のスパートをかけてゲルニカを完成させて下さい」
そのゲルニカは刻々と完成に近づいていく。しかし先生たちからの返事がなかった。それは先生たちの間に激しい対立があるからだった。六年生の先生たちのなかにさえ、吉永先生を批判している先生たちがいた。校長先生や教頭先生はゲルニカを卒業式から排除すべきだと主張している。君が代斉唱と日の丸掲揚を中心にするか、それともゲルニカを中心にするのか、その二つの主張が激突しているのだ。
制作委員会では、ゲルニカ制作ニユースという新聞を毎週発行していた。制作の進行を報告したり、どんなことを応援してほしいか、これから活動はどう展開するかといったことを記事にしていた。その新聞を発行するたびに校長室にも届けていたが、その週は私が校長室に届けることになった。私は校長先生にいっぱい話したいことがあったからだ。
校長室に入り、大きな机の向こう側にすわっている校長先生に、その日刷り上った新聞を手渡すと、
「私たちの制作ニュースを読んでくれていますか」
と私はたずねた。
「毎号毎号しっかりと読んでいるよ」
「ゲルニカを卒業式に飾って下さいというのが私たち全員の意見です。この意見を聞いてくれますか」
「そうだね、それが君たちの意見だ。先生たちもその意見をできるかぎり実現させなければならないと思っているけどね」
「もうゲルニカは、卒業式に飾らないってみんないっていますが、なんだかそれがだんだん本当になっていくように思えますが、本当はどうなんですか」
「まだそう決まったわけではないよ。これから決めていくことなんだ。これからも先生たちと話し合って、一番よい方法で展示したいと思っている。先生たちもいまそのことを一生懸命考えているところなんだ」
「私たちがゲルニカに取り組んだとき、これを卒業式に展示すると決めました。その目標に向かって私たちは描いてきました。いまその目標がなくなると、いったい私たちは何をしてきたかがわからなくなります」
「そうだね。そのことは先生たちにもよくわかっている。君たちの意見がまた今日届けられた。しっかりと先生の心のなかに届いているから、今日はこれで帰りなさい」
私たちはその問題を真剣に話し合いたいのに、またそういって追い返されてしまった。いつもこうしてはぐらかされてしまう。こういう校長先生の態度に、私たちはいよいよ敵意を深めていくのだった。
ゲルニカが完成した。そして最後の制作委員会が開かれた。その会議には六年担任の四人の先生と教頭先生も同席した。ゲルニカをどうするのか、どのように展示するのか、吉永先生がその問題について説明した。
「ゲルニカをどのように展示するか、先生たちは真剣に話し合ってきました。そして最後の結論が出たから、そのことを報告します。ゲルニカは卒業式に飾ります」
ときっぱりと先生がいった。そのとき子供たちから、やったといった歓喜の声が上がり、パチパチと拍手が起こった。それほどうれしかったのだ。しかしその笑顔もだんだん曇っていった。その話はこう続けられていったからだ。
「卒業式に飾ることは決まりました。しかし正面にではなく、会場の後ろにゲルニカを貼ったパネル板が置かれます。正面のステージではありませんが、しかしゲルニカは後ろから君たちの姿をしっかりと見守ります。君たちはゲルニカに見守られて卒業していきます。そういうことになりました。そういう方法でゲルニカを展示します」
卒業式がやってきた。その朝、卒業式の会場となる体育館に入っていくと、ステージの上に日の丸が飾ってあった。ずらりと椅子がステージに向かって並んでいる。生徒の席があり、その背後がPTAの席だった。その華やかな式典の片隅にゲルニカが置かれてあった。まるでみんなの目から隠すように体育館の片隅におしやられていた。そのゲルニカをみたとき、私の目に涙がにじんでくるのだった。あんなに情熱をこめて、あんなに膨大な時間をかけて、あんなに希望に燃えて描いていったゲルニカが、こんな片隅に、こんな卑屈に、こんなにしょんぼりと置かれている。なにが私たちの卒業式を見守っているだ。
卒業式がはじまった。司会をする教頭先生がいった。君が代斉唱、全員ご起立をお願いしますと。みんながどどっと立ち上がった。私も立ち上がった。しかしそのとき私は叫んでいたのだ。
「私は歌えません。私は君が代は歌えません!」
そしてすとんと席にすわると、三組の子供たちもどどっと座っていった。式場にざわめきが起こった。吉永先生がびっくりして私たちの席まで飛んできた。しかしどうすることもできない。もっと驚愕していたのは教頭先生だった。なにかその様子はパニックに陥ったといった風だった。そのピンチを音楽の先生が救った。ピアノが奏でられると、体育館にはなんだか気の抜けたような君が代が斉唱された。
私たちの卒業式は、卒業生の一人一人の名前が呼ばれると、校長先生の前に進み出て、卒業証書を受け取る。そしてマイクの前に立って、感謝と決意の言葉を述べることになっていた。
「倉田佐織さん」
とうとう私の名前が呼ばれた。私は立ち上がり、校長先生の前に進みでて、両手で卒業証書をもらった。マイクの前に立つと、私は校長先生をひたとみつめていった。
「校長先生、どうしてゲルニカをステージの正面に飾ってくれなかったのですか。私たちは何度も何度も校長先生にお願いしました。しかしとうとうゲルニカを飾ってくれませんでした。ゲルニカは私たち六年生全員が、この小学校でのたくさんの思い出をこめて描いていったのです。この六年間は楽しい思い出ばかりではありませんでした。苦しくて心が夜のように暗いときがありました。朝がもうこないのではないかと思うほどのどん底がありました。だからゲルニカは遠い国でおこった悲惨な事件の絵だと思えませんでした。私たちの心がちぎれていました。私たちの心が叫んでいました。私たちの心が救いを求めていました。だからゲルニカは私たちの心の歌だったのです。私たちの希望の旗だったのです。その私たちに心の歌を歌わせないで、どうして君が代だけを歌えというのですか……」
「わかった、わかった。もうやめろ!」
と鋭い怒号が私を突き刺すように飛んできた。そしてそれを契機にPTAの席から一斉に野次と怒号が上がった。
「お前はもう引っ込め、君が代が歌えないのは日本人じゃない!」
「神聖な卒業式を汚すな!」
「引っこめろ、その子供を引っこめろ!」
大人たちがこのような激しい憎悪の野次を浴びせたのは、君が代斉唱のとき私が君が代を歌えませんと叫んで着席してしまったからだ。大人たちを私に注目していたのだ。野次と怒号はどんどん激しくなって、体育館はなにか騒然となっていく。そのとき吉永先生が立ち上がり、PTAの席にむかって、野次を制止するように両手をふりおろしながら叫んだ。
「みなさん、静かに聞いて下さい。子供の声を静かに聞いて下さい。お願いします。子供の声をまず静かに聞いて下さい」
しかしさかんに制止する先生の声を打ち消すように、さらに野次と怒号は激しくなる。その野次は吉永先生にも向けられていった。
「お前のような教師が、子供を駄目にするんだ!」
「責任をとれ。こんな子供をつくりだした責任をとれ!」
「教育長、この先生を懲罰にかけなさい!」
いよいよ激しくなる野次と怒号のなかでおびえながらも、しかし私は最後までいいきった。
「ゲルニカは、ゲルニカは、ゲルニカは私たちの心の歌だったのです。私たちの希望の旗だったのです。その私たちの心の歌を歌わせないで、どうして君が代だけを歌えというのですか。私たちの希望の旗を後ろにかくして、どうして君が代だけを飾るのですか。私はこのような卒業式をぜったいに認めたくありません。子供の声や叫びを拒杏する校長先生のような人に、私はぜったいになりたくありません。私はいま強い怒りと悲しみをもって卒業していきます」
ゲルニカ事件――どちらがほんとうの教育か
さまざまなメディアが誕生し、あふれるばかりの情報の洪水ですが、しかしその核心たる日本人の精神は、いよいよ衰弱しているのは原田さんのご指摘の通りだと思います。情報の洪水とはすなわち言葉の洪水であり、言葉は一見あふれるばかりの豊穣さに満たされているように見えますが、しかし現代の言葉とはすぐに売れる言葉、すぐに伝播していく安っぽい言葉、なにか下半身だけをのぞこうとする刺激的で低俗な言葉があふれているのであって、それは言葉が成熟していくこととはまったく無縁なことです。ということは情報の洪水とは、荒廃の海をつくりだしていくということなのでしょう。
さて、原田さんにこのような長文のお手紙を差し上げる情熱にとらわれた主題ですが、しかしこの重く深い主題はこれから原田さんと二信三信のお手紙の交流のなかで、長い時間をかけて熟成していかねばならぬものだと考えますので、まずはその導入だけにとどめておきます。私は小さな塾を主宰して子供たちと生きております。そのこともあって「ひとりから」誌の第四号の特集にさまざまな啓示を受けるのでした。岡田さんや田淵さんが遭遇した出来事、小野さんの弁護活動や福田さんの子供の権利に対するまったく斬新な切り口。それぞれの報告に新鮮な驚きをうけましたが、しかしなんといっても私が深く思いをはせるのはゲルニカ事件でした(私ははじめてこのような事件があったことを知りました)。
小学六年生の卒業式でのあの一瞬、まさにゲルニカの絵そのもののような叫びは、はげしいいじめにあっていた彼女の魂の苦悩からきたものでした。そしてその一瞬は一瞬だけでは終りませんでした。彼女の町に右翼の街宣車がやってきて罵声をとばし、一家は村八分状態にされ、中学に進級するとそこでも陰湿ないじめにあう。その事件からすでに長い月日がたっているのに、彼女はいまだにその影を濃厚にひきずっているのです。彼女はあの瞬間、その胸に緋文字Aを縫いつけてしまったのです。
彼女の胸に縫いつけられた緋文字、それは苦悩と罪の徽。愚かな大人たちが刻印した大人たちの罪の象徴であり、日本の教育が強い覚悟で背負っていかねばならぬ日本の苦悩の象徴でもあります。なぜ一人の若者だけがこのような重い苦悩と罪を背負って生きなければならないのでしょうか。この若者の苦悩に出会った私たちは何をすべきなのでしょうか。原田さんが社会に送り出した労作「ゲルニカ事件――どちらがほんとうの教育か」はなぜ休刊なのでしょうか。なぜ日本の先生たちは教育の原点ともなるこの書を永遠のテキストとしないのでしょうか。ゲルニカ事件には日本の教育が必ずつきあたる根源的な問題がたっぷりと縫い込められているというのに。いまこそ私たちはゲルニカ事件を読まなければならないのです。
例えば、高校中退者の数は毎年十万人をこえ、それは一度に百の学校が地上から消え去ることに等しいのです。学校にいかない子供たちもまるでプームのように増えつづけています。そして学級崩壊です。これらの間題を根源的にさかのぼっていくとゲルニカ事件が鋭く提示した間題につきあたるのです。しかし教育の中枢にいる人々は決してこの問題に取り組まないでしょう。大多数の教師たちもまたこの問題を避けてしまうでしょう。それは日本の教育が体質的にこの間題を欠落させているからです。日本の教育とは集団を向上させることをその本質にしています。言い換えれば、日本の教育とはひたすら集団に個を埋没させることにあるのです。この体質を濃厚にもつ土壌のなかで、ゲルニカ事件があらゆる領域で敗退していくのはある意味では当然のことなのでしょう。そうであるならば、それだからこそ、私たちはゲルニカ事件の問題をくり返しくり返し社会のなかに投げこんでいかねばならぬと思うのです。
教育の本質とは集団を形成していくことではなく、個を創造し確立していくことにあるのだと。金住さんのいわれる自己決定権をつくりだすことのできる精神や魂をつくりだしていくことにこそ教育の本質があるのだと。そのことにしかと気づいた一人一人がそれぞれの領域でそれぞれのやり方で、地下水脈となって地中に深くしみこむまで、あきらめることなくその活動をつづけていくべきなのです。やがてその地下水脈は怒涛のように地上に吹き出してくる日は必ずやってくるはずです。
さて、私たちはどうすべきなのか。何をしたらいいのか。ここから新しい展開に入っていきますが、それには沢山の言葉が必要になりますので、最初のお便りはこのあたりでとどめます。原田さんとこのような深い交流ができることを大変幸福に思います。なにか深く大きなそして刺激的な果実がたわわに実っていくような予感がするのです。
一冊の本が世界を変革することがある。小さな出版革命はやがて草の生命力で大地に広がっていく。
誰でも本が作れる。誰でも本が発行できる。誰でも出版社が作れる。この小さな革命を生起させんとする「草の葉ライブラリー」は、「CAMPFIRE」に7月23日から9月7日までの46日間、高尾五郎作「ゲルニカの旗 南の海の島」をクラウドファンディングします。「CAMPFIRE」に掲載された私たちのサイトを訪れて下さい。 ウオーデンは間もなく「note」から立ち去ります。 新しい地平を開かんと苦闘するウオーデンの最後の戦いに力を貸して下さい。
高尾五郎著 ゲルニカの旗 南の海の島
四編の中編小説が、A4版360ページに編まれています。一冊一冊が手作りです。生命の木立となって、時代とともに成長していく本です。カラーの挿絵が六点挿入されていて、一冊一冊が工芸品のように造本されていきます。「草の葉ライブラリー」が読書社会に投じる革命の本です。たった一冊の本が世界を変革していきます。
目次
ゲルニカの旗
最後の授業
吉崎美里と絶交する手紙
南の海の島
「ゲルニカの旗」(二五〇枚)、「最後の授業」(一一〇枚)「吉崎美里と絶交する手紙」(六五枚)、「南の海の島」(二六〇枚)の中編小説で編まれている。日本の歌が聞こえる。さまざまな賛歌が聞こえる。
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