小宮山量平さんに送った最後の手紙 同胞(とも)よ地は貧しい
例えばつぎのような物語である。
同胞(とも)よ 地は貧しい
理論社などと、もっともらしい名はつけたものの、いわばホームレスや難民のように住所不定であった。東京駅の正面玄関からまっすぐ皇居に向かう大通りの濠(ほり)端に面した左角に、日産はじめ大小の自動車メーカー本社の合同ビルのような岸本ビルがあった。たまたま級友の一人がN自動車の社長養子で若き取締役となっていた。その縁故で、私たちはこの一階の廊下に机を二つ置いて仮の事務所を勝手に名乗った。 今では信じられないことだが、その廊下の不法占拠のままで、わが《季刊理論》の二号刊行迄の一年近くが過ぎた。電話はN自動車の老社員が取り次いでくれた上に、お茶まで恵んでくれた。だが最初の冬が来ると、廊下に忍びよる寒さの厳しさに私たちは萎えた。居たたまれず、小さなコンロを仕入れ、返品の創刊号をちぎってくべては暖をとった。その煙は忽ち廊下を通りぬけ、ゆるりと階段廻りを上昇し、全八階の各部屋へと侵入するのだった。 幾日が過ぎたころ、くだんの老社員A氏が、炭俵一俵という当時の貴重品を届けてくれた。だが、その炭を使い切ったころ、A氏は申し訳なさそうに私たちの立ち退きを宣告した。大恩あるA氏には抗し切れず、早速返品雑誌の梱包などを開始したものの、未だ行く当てはなかった。 丁度そのとき、古雑誌の買いあさりに現れた藤原さんが「その雑誌売るの?」と声をかけてくれた。「売る分もあるが、とっておきたい分を預かってくれる?」そう答えたのが縁で、行き場のない私たちに藤原さんは玄関の土間を提供してくれることとなった。
同胞(とも)よ 地は貧しい
われらは豊かな種子(たね)を
播かなければならない
──天から降ったような新事務所に向かうトラックの荷台で、そのノヴァーリスの詩を私は口ずさみ、農夫の如く大地を耕さねばと思いつづけた。
ところが「千曲川」は、マサ叔父の涙の一滴も、丸の内のビルの各部屋にもくもくと流れ込む廊下でたかれる返本の焚火の煙も書かれなかった。それらの風景が登場するはるか以前に、ピリオドが打たれてしまったのである。なにか裏切られたような思いが、その祝賀の集いの日の私のスピーチになったのだ。
私は以前、小宮山さんにこういう提案をしたことがあった。「千曲川」四部作を読む読者だれもが漏らす感想は、第一部が一番面白かった、第一部にわくわくしたと。したがって第五部に取り組むとき、第一部で試みたように「草の葉」に委ねてみてはどうだろうかと。それはこういう意味であった。第一部は連載形式で発表され、一章ごとに読者の手に渡された。そのとき読者の力が、「千曲川」に流れ込んでいったのだ。それは少しも不思議な現象ではなく、読者から送られてくるパワーが、作家の精神を支え、その作品をより豊穣にしていくものである。おそらくそういう現象がおこったのだ。だからもし第五部に取り組むときは、書き下ろしではなく連載形式で発表すべきだと。
長編小説とは、建築物にたとえたら五十階の高層ビルに匹敵する創造であり、この建設を成し遂げるには大変なエネルギーを要する。この巨大な建造物に立ち向かう小宮山さんに、「千曲川」を愛する読者から流れ込む力が必要である。その力がなければ書き切ることはできないだろう。しかし同時に、私が強く連載形式の発表を勧めるのは、読者の側もまた小宮山さんから放たれる力のエネルギーを必要としているからなのだ。小宮山さんは時代の最先端に立つ人だった。未知なる領域を先頭に立って切り開いている人だった。いままた九十にして、五十階の高層ビル建設に取り組んだ。果敢に巨大な創造に挑む小宮山さんの背中から放射される熱いエネルギーが、私たちを励まさないわけはない。
昨年の夏に、上田駅前に「小宮山量平の編集室──エディターズミュージアム」が創設された。編集者のミュージアムというのは、おそらく世界に例のない壮挙なのであろう。しかし小宮山さんは、このミュージアム創設は「ゴールではなくスタート」と位置づけている。それは当然だった。ゴールにしてしまったら、安曇野の堀金村にある「臼井吉見記念館」と同じ光景になってしまうだろう。小宮山さん自身がこの記念館で講演したことがあるから、この記念館の惨状をよくご存知のはずである。閑古鳥が泣いているどころではない。訪問者は年間数えるばかりで、さりとて解体することもできず、村はこの建物の運営に苦慮している。それは臼井吉見記念館だけではない。日本各地に文学館というものが数多あるが、どこでも同じ惨状の光景をつくりだしている。どんな大作家でも、どんなに華やかなベストセラー作家でも、あの世に去ったら、人々はあっさりと忘却の底に投げ捨てる。
だからこそ「ゴールではなくスタート」なのだ。しかしこれは容易なことではない。スタートとは、新しい創造を生み出せということなのだ。かつて小宮山さんが、創作児童文学という新しい分野を切り開いたように、そのエディターズミュージアムと名づけたその編集室から、世界を切り開く新しい文芸の波を引き起こせということなのだ。これから私たちに投じられる「希望」は、小宮山さんの白鳥の歌となるはずである。希望と祈りの歌である。そしてその歌の底に、「ゴールではなくスタート」だという問いが縫いこめられているはずなのだ。それぞれがスタート地点に立てと。そしてそれぞれが、それぞれの地で、新しい創造をはじめよと。
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