数学のテストはいつも白紙提出だった
このところ60枚から80枚の中編小説を連続で書き込んでいるが、この作品群を「草の葉ライブラリー」の四作目として九月に刊行する、そこで文章の校閲、校正という魂胆があり、校閲とか校正はいわば閉ざされた空間と時間のなかで行われるものだが、noteに書き込むということは、その行為を他者の目にさらしながら行うということになる。こんな文章を読む人などごくわずだが、それでも他者にさらすわけだから緊張した行為になる。その緊張に支えられて文章がよく見えてくる。そんなわけで、数学のテストはいつも白紙で提出する中学生を描いたストーリーの後半を一挙に書き込んだ。そしてそのあとに小さなエッセイ「最後の四つの歌」を。これが今日のウオーデンの布陣です。
こうして達也はゼームス塾の生徒になったのだが、彼に教えることはなにもなかった。独力で教科書程度のことはわけもなくわかっていく。勉強のやり方もよく知っていた。わからないことも参考書を開けばたちどころにわかっていく。
そんなわけで長太は、まったく別の課題を達也にあたえたのだ。それは彼の第一の親友だという成田一夫と、同じ学年の富山恵子の勉強をみてやるという課題を。教えるということはもっとも高度な勉強だった。
達也は二人に教えはじめた。できない子に教えるには大変なエネルギーと技術を要する。彼は一生懸命だった。わからないとノートを何ページもつかい、ときには黒板の前に連れていって、ああだろう、こうだろう、とさまざまな例を上げて、ときには机をたたき、どうしてこんなことがわからないのだと怒りながら懸命に教える。そして二人がわかったと言ったとき、達也はなんともいえない、誇らしげな、満ちたりた笑みをつくるのだった。
一学期の中間のテストがやってきた。そしてその中間テストが終わった日、塾にきた達也がふと長太に言った。
「あの先生。泣いたんです」
「あの数学の先生が?」
「ええ」
達也はその中間テストで、あんなに抵抗していた数学の答案用紙になんのこだわりもなく答えを書きこんだと言うのだ。そしてその答案用紙の下に、長いこと白紙でだしてすみませんでしたと書いたらしい。するとその翌日だった。浜村というその数学の教師は達也を呼んで、よく書いてくれたな、ほんとうにうれしいよと言って泣いてしまったというのだ。
「それ、みろ。やっぱりそうなんだよ」
「そうですね」
「先生たちだって大変なんだよ」
夏休みが近づいてくると、がぜんゼームス塾は盛り上っていく。夏の合宿がはじまるからだった。その合宿は親を説得し納得させるために、勉強もするということになっているが、ほとんど朝から遊びでつぶしていた。遊びといってもいろんな活動をするのだ。山に登ったり、川の上流をどこまでもさかのぼったり、昆虫採集をしたり、工作活動をしたり。あっという間に一週間がすぎていく。そんな合宿に達也の親は、達也を参加させるのだろうかと危ぶんだが、彼は一番最初に参加申込書をだしてきた。そして、
「この合宿が終わったあと、先生はニューギニアにいくんでしょう?」
「うん。そうだけど」
「中村を連れていくと聞いたけど」
「そうなんだ。前から約束なんだよ」
「ぼくも連れていってくれませんか」
長太は毎年、仲間と蝶の採集に海外にでるのだが、その採集ツーリングに長太は毎年、塾の子供を連れていくことにしていた。今年は中村稔という学校をしばしば休む中学一年生を連れていくことにしていた。
「しかし君のお母さんもお父さんも認めてくれるのかな。きっと絶対反対だと思うよ。塾の合宿にだってよく出してくれたなと思ったもの」
三年生の夏休みともなると、夏休みに受験の勝敗が賭けられているとか、夏を征服するものだけが栄冠に輝くとか言って、あちこちで受験のための夏期講習がひらかれている。そんな宣伝にわけもなくのせられて、ほとんどの三年生は夏期講習に通うのだ。たぶん達也の親も、大手の進学塾の夏期講習に入れたいと思っているにちがいなかった。
「君のお母さんもお父さんも、ニューギニアヘ蝶の採集に行くなんて言ったら、受験生がなにを考えているんだって叱られるんじゃないのか」
すると達也は、
「いいえ、親はもうぼくを見限っていますから」
その夏、達也は塾の二つの大きな行事に参加して、それだけで達也の夏は終わってしまった。受験勉強の夏ではなかったのだ。そんな夏を許した達也の両親の心の動きといったものを推測すると、それまでの最大のガンであった数学が一から急激に五になった、そのことだけでも大いに評価してやろうと考えてのことかもしれなかった。
その採集旅行は、長太の仲間の高校の先生がやっぱり二人の生徒を連れてきて、総勢十人の編成になった。一行はまず成田からマニラに飛んで、そこからニューギニア国営航空でポートモレスビーに入った。達也はまったく旅なれていた。商社マンの父の移動にともなって、小さいときからヨーロッパの国を転々としているせいか、英語はもちろんフランス語だってできる。長太も高校の先生もまた仲間である美術館の学芸員も、めんどくさい会話になると達也にたのむのだった。
一行はバニモ空港から車で最初の目的地バタンガスにむかった。なんでもそこは岡本という学芸員が二年前にナカルリアゲハという非常に珍しい蝶を採集した地帯だった。ところが車で入っていくと、岡本は呆然となって、ここではない、こんなところではないと言った。あたりの景観が二年前にきたときと一変していたのだった。なんでもH系企業が、太古そのままの熱帯林をバリカンで刈りあげるように伐採したようだ。
そんな環境の激変から、もはや蝶は一匹も生息していないように思えた。その夜、ホテルでビールを飲みながら、
「なんということなんだ。根こそぎじゃないか」
「チップにされて、ダンボールになるらしいね」
「そのほとんどが日本にいくんだろうな」
「もちろんさ。たぶんあの日系企業の背後には、日本の巨大商社がからんでいるはずだ」
「これは開発などというものではなく暴力だね」
「熱帯雨林というのはある意味では、地球が地球であるべき姿をとどめるいわば最後の砦なんだよね。これがこんなふうに破壊されていくと、間もなく地球の息の根も止められるということかもしれないね」
岡本たちはしきりに日本企業の海外進出のあり方に批判を放つのだった。それは長太もいつも感じることだった。例えば、アジアの若者たちにとって日本の商品はあこがれの的だった。その商品がほしいために村を捨て町にでていく。そして安い賃金で酷使されたり、女の子たちは売春したりする。商品の大量の流入が村を破壊していくのだ。
その旅から帰ったあと、毎月の課題である作文に、達也はそのことを書いた。パプアニューギニアの旅と題されたものだったが、日本の資源のかかわり方を論じて、さらにそこから環境破壊のテーマまでに発展させている。
「なかなかいいね、今月の作文は。ちょっとした論文になっているよ。しかし商社をこんなにあっさりと切っていいのかな」
「いろいろと悪いことを沢山やっているんですよ。あんなものではないんです」
「お父さんの働いているところだよ。そんなに悪く言っていいのかな」
「だからよくわかるんですよ。父の背中からそのことがよくみえるんです。あの南の国々の環境破壊を大規模にやっている影の力は商社ですから」
子供というものは親をのりこえていく存在であった。とりわけ男の子は父親をのりこえていくものだか、なんだかこんなにあっさりと否定された達也の父親がかわいそうに思えた。
「まあ、お父さんたちだって良心というものがあるんだから、そのあたりは人間としてきちんと考えていると思うよ」
「そうは思わないですね。あの人たちって、まったく別の原理で動いているわけですから。つまり、ひたすら金を稼がなければならないという原理で」
その作文は、親に対する抵抗の第一章というものかも知れなかった。第二章がはじまるとその反抗はただならぬ様相をていしていくのだ。
十月に入って、達也の母親がゼームス塾に姿をみせた。
「いつもお世話になっています」
とかたい表情で言った。そのかたい表情の下に、敵意のようなものがあって、長太は思わず身構えていた。
「いろいろと教えていただくのはいいのですが、あんまり変なことを教えてもらいたくないんです」
「変なことですか?」
「ええ」
その変なこととはなんだろうと思いをめぐらした。まず思いついたのは商社を批判したあの作文なのかと思い、いや、あれはだれにも見せていないのだから日曜日にたびたび丹沢に連れ出すことかなと思ったりした。すると、
「いろいろと変な知恵を吹きこんでもらいたくないんです。若い頃はなんでもそれがすべて真実だというふうに思いこんでしまうものですから。いろんな見方があるし、いろんな価値判断がなされていいはずですね」
「それは、そうです」
「どうして達也がA校なんですか。そういう考え方はいったいどこから出てくるんでしょうか」
「はあ?」
と長太は間の抜けた声をあげていた。なんのことかさっぱりわからない。
「だいたいA校にいけという発想が、どこから生れてくるんでしょうか」
「ちょっと待って下さい。どういうことなんですか。ちょっと意味がわかりません」
「あの子の第一志望校がA校だということですよ。そんな馬鹿なことっていったいどこにあるんですか。A校といったらこう言ってはなんですけど、劣等生というか、勉強ができない子がいく学校でしょう」
「達也がA校にいきたいと言ったんですか」
「あなたは、ほんとうになにもご存知ないのですか?」
「ええ、知りません」
昨日、達也の担任から自宅に電話が入って、達也の第一志望がA校になっているが、それは家庭でも認めていることなのかとたずねてきた。とんでもないことと大騒ぎになって、その夜、両親と達也の間にちょっとした争いがあったらしい。
「A校なんてゴミため場だって言うじゃありませんか。どこにも入ることができない子が仕方なく入ってくる学校だって。なんでも一年目でクラスの生徒が半分になって、三年になるともう三分の一になるって。そんなひどい学校にどうして達也がいかなければならないのですか」
どこか宮様のように整ったその顔が、はげしく苦悩していることを語るかのようにゆがみ、話す声も怒りでふるえている。
「達也にぼくからもたしかめてみますが、まあ、それも彼の反抗の一種だと思うんですよ。なんにでも反抗したい年代ですからね。お兄さんが麻布にいかれていますよね。それにお父さんも東大だし、お母さんも聖心だし、そういう環境に抵抗しているんだと思います。数学の答案を白紙で出していましたが、ああいうことと同じだと思うんですよ。じっくりと話せばわかります。ですからいま事を荒らだてると、かえって彼はかたくなになっていきますから、いまはそっとしておくほうがいいと思いますよ。ぼくからも達也を説得してみますから」
そう言ってその場を一応おさめてみたのだが、母親のいらだちは募る一方らしく、こんな塾に入れなければよかったとか、いますぐにでもやめさせたいとか、達也をもとのままにして返してもらいたいなどということまで言い出していた。
思い当たることがあった。三年生になると進路を決めなければならない。成績のいい子には、実際に入学できる確率の高い志望校は何校もあるのだが、偏差値が四十あたりをうろついている成田一夫や富山恵子には、私立高校といったら二、三校しかなく、都立高校といったらA校しかない。ところが一夫や恵子はA校なんていやだと言うのだ。そこは不良のいくところであり、屑のたまり場であり、あんなところにぜったい入ってくれるなというのがまた親の願いでもあると言うのだった。
悪意にみちた噂だった。どうしてこんな噂が世間をぬりつぶしていくのだろうか。事実はそうではなかった。長太のところからも、昨年もまたA校に入った子がいる。A校にしか入れなかったのだが、長太は少しもためらうことなくそこに入ることをすすめたのだ。なるほど最低のレベルの学校だった。事実入学した者の半数近くが脱落していくことも事実だった。しかしだからといってそこが不良のたまり場であったり、屑のはきだめということではなかった。行政側は世間に流布するそんな噂をはねのけようと、その学校に若くて優秀な先生を投入していた。そして事実そこで素晴らしい教育活動が行われていることを長太は知っていたのだ。
そのことを一夫や恵子に知ってもらうために、長太はA校にいっている村松昇と斉藤貴子を九月に入ってゼームス塾に呼んだ。二人は文化祭のパンフレットとか文集とか学校で発行された新聞とかをいっぱいもってやってきた。そして中三の生徒と雑談させてみたのだ。
「どうしてみんなやめていくんですか」
と恵子が訊いた。
「まあ、それはなんと言うか、みんな意志が弱いと言うか」
「結局、やる気がないのよね。やめていく子って」
「それにさ、すごく評判が悪いじゃん。それでいやだという子、結構多いんだよね」
「いる、いる、いっぱいいる」
「A校なんていうと、みんなゲラゲラ笑うからね」
「軽蔑してさ。なんかきたないっていう感じで」
「そういうのってあるよな」
「だから学校の名前を言わないって子、多いのよ」
「親もぜったいに言わないんだって。お宅の子はどちらの高校にいってらっしゃるんですかなんてきかれるとさ、まあ、ちょっとそのへんの学校ですなんて言ってさ」
「ある、ある、それってあるよ」
と貴子が言うと、みんな爆笑になった。
「とにかく印象よくないんだよね」
「そんな噂に負けていく子が多いの」
しかし負けない子もいる。そんな悪意に満ちた噂をはねのけて力いっぱい生きている子もまた大勢いると二人は明るく語るのだった。
その席に達也もいたが、彼はなにか自分には関係ないことだといった表情で先輩たちの話をきいていた。しかしあのときに、彼はなにか感ずるものがあったのだろうか。
その夜、長太は達也に切り出した。
「今日、君のお母さんがきたよ」
「高校のことでしょう」
「うん。ぼくも驚いたがね。でもあれはちょっとからかったんだろう」
「そんな。からかってなんかいませんよ」
「じゃあ、あれは本気なのか」
「本気ですよ」
「君は本気でA校なんかにいくつもりなのか」
「本気ですよ」
「どうしてなんだ?」
「まあ、いろいろあるわけで。一夫も恵子もあそこが第一志望でしょう」
「彼らには入れるところって、あのあたりしかないからだよ」
「あいつらの勉強みていると面白いんだよね」
「君がふたりに一生懸命勉強を教えているのはわかっているけど、まさかそのために一緒の高校に入るというんじゃないんだろう?」
「まあ、いろいろとぼくは考えたんです」
「いろいろって、たとえば?」
「だから、たぶんA校みたいな学校に入るといろんなことができると思うんですよ。このあいだ先輩がきて言ってたけど、馬鹿やる面白いやつがいっぱいいるって言ってたでしょう。ああいうのってあこがれなんだよな。親のすすめる学校に入ると、もうすぐに東大めざして勉強勉強でしょう。そういうのって兄貴なんかの生活みているけど、いやなんですよね。それだけの生活では人間がさびしくなっていくような気がするんです」
「だったら、大学にストレートにいける私立の高校だって沢山あるじゃないか」
「いや、ぼくの実力では無理でしょう」
「達也に無理な学校なんてあるもんか。ちょっとやればどこにでも入る力をもっているじゃないか。人間ってさ、やっぱり少しでも上をめざしていくべきだよ。上ヘ上へと向上することも必要じゃないのかな。たとえば一夫とか恵子にはA校に入るためには、ものすごく勉強しなければならないんだよ。ぎりぎりのところにいるからね。しかし達也がそこに入るには、ただ自分のレベルを落とせばいいんだ。なんだか達也の選択って安易だと思うけどな」
「安易かな」
「みんな受験に一生懸命じゃないか。なんだか君だけはそこから降りてしまっているようにみえるけど」
「でもぼくがはじめて具体的に入りたいなというイメージがわいてきたのはA校なんですよ。この間あそこの先輩たちがきて話していたけど、ぼくはいいな、入りたいなって思ったわけですよ。ひたむきにみんな生きているって思って。いろんなことができる可能性があるということじゃないですか。勉強ということだけじゃなくて。たとえば先生が、高校の先生になれと言われてさ」
「まあ、そんなことはないけど」
「だから仮になれと言われたら、Q校の先生になりますか、それともA校の先生になりますか」
Q校とは都立のトップ校だった。
「ああ、それだったら、ぼくは断然A校の先生になるな」
「そうでしょう。そうでしょう」
と彼ははじめて、その奇妙な選択を理解できる人間に、出会ったと言わんばかりだった。長太はそれをきいて、なんだか達也の言っていることが、わかるような気がした。
十二月に入ってから、達也の母親から電話が入った。かたい攻撃的な口調だった。険をつくった女の表情がありありと浮かんできた。
「今日で達也はやめますから。今日から達也はあなたの塾にはいきません」
「はあ、どいうことですか?」
「ですから今日からいかせませんから」
「そのことは達也も了解しているのでしょうか」
「達也をそちらに入れているのは親ですからね。親がもうやめさせると決めたのです」
「どういうわけですか。ちょっとお話する時間をいただけないでしょうか」
「いいえ。もうお会いすることもありません。よくも達也の人生をめちゃくちゃにしてくれましたね」
と彼女は吐き捨てるように言った。そして、
「いいですか。今日でやめますから。達也が勝手にそちらにいってもお月謝は払いませんから。そのつもりでいて下さい」
と言うと一方的に電話は切るのだった。その電話から彼女の苦しみがわかるような気がした。多分彼女は気も狂わんばかりの混乱したなかにいるはずだった。
その夜、授業の終わったあと、達也一人残して彼の母親のことを訊いてみた。
「ああ、そう言ってましたか。甘ったれているんですよ。ぼくはやめませんよ」
「今日は三者面談だったんだね」
「そうです」
「そこで、やっぱり第一志望をA校にしたの?」
「そうです。それは前からはっきりと言ってあったことですから」
「学校の先生も反対しただろうね」
「今日そのことにけりをつけてきました。ぼくははっきりとA校しか受けませんと言ってきました」
その次の日だった。長太が授業を終わって部屋を出ようとしたとき、一人の長身の男がやってきた。バーバリーのコートをはおって、襟に茶色のマフラーをのぞかせている。そのマフラーもいかにも高級品を思わせる。なかなかダンディな中年だった。彼は名刺をとりだして、達也の父親だと挨拶した。
「昨日は、家内が失礼な電話をかけたようで」
「いえ、あんな電話をかけたくなるような気持ちがわかりますよ」
「ちょっと家内もこのところノイローゼ気味なんですな。どうも泥沼のようなところにはまって、もがけばもがくほど抜けられないというか」
「そうですね。達也はぜったいに妥協しない子供ですからね」
「そうです。非常に頑固です。言い出したらぜったいに後にはひきません。そういうところはいいのですが……」
「意志の強い、どこまでもやりとげていく子ですね」
「まったく困ったものでしてね」
そしてふと話を飛ばしてきた。
「この塾に、恵子さんという生徒がいるようですね」
「ええ」
「どういう子なんですか?」
「とてもいい子ですよ。やさしくて、なによりも深いところで他人のことを思いやれる子です」
「なんでもその恵子さんという子が、A校志望らしいですね」
「ええ、そうですが」
と長太はなにを言いだすのだろうとちょっと警戒してそう言った。
「どうも達也はその子のことが好きなようですね」
そういうこともあるかもしれないと思った。彼が恵子と親しくしていることは事実だった。しかしそれは一夫に対する友情の強さと似たようなものであって、好きだとか恋とかいうものではないように思っていたのだが。
「どうやら達也はその恵子さんのあとを追ってA校にいくと言うんですね。どうもおかしな話だと思っていたが、それがもっとも深い動機のようです。なんとも馬鹿馬鹿しい話で、わが子ながらあきれてものが言えない次第ですよ」
長太もまたちょっと唖然なった。そんな話があるのだろうかという思いだった。ほんとうにそうなのだろうか。
「ここまでくると馬鹿を通りこして低脳児の考えることですね。それまでどうしてA校などにいきたいのかその理由がよくわからなかったが、それでわかりましたよ。しきりにああだこうだと理屈をこねてましたが、真相はこういう馬鹿げた理由だったんですね」
「そうですかね。しかしぼくはちがうように思いますが。達也は馬鹿でも低脳でもないですよ。中学生とは思えないばかりにしっかりした考え方をする子ですよ」
「いや。まだガキなんですよ。まだ十四ですよ。子供なんですよ。とにかくあの子をA校なんかに入れて、彼の人生をめちゃくちゃにするわけにはいきませんからね。あんなところに入ったら、彼の将来はめちゃめちゃになりますよ」
長太はなんだかその言い方にかちんときた。
「めちゃめちゃになるわけですか?」
「そうじゃありませんか。あそこの学校は極端に成績の悪い子がいく学校でしょう。不良ばかりいて、学校が荒れていて、大半がやめていくというじゃないですか。そんな学校に達也はやれませんよ。そんなことをさせたら私たち親は失格ということになる。達也の人生をめちゃくちゃにしたくありません」
「達也がA校にこだわる理由がわかるような気がしました。つまり、彼はそういうお父さんのような考え方に反発しているのではないでしょうか。そういう考え方というか価値観に」
「そういう考え方とは、なんですか?」
「つまり、お父さんは東大を出て、一流の商社に入って、ひたすらエリートの階段をあがっていく。そこから社会を眺めおろしている、あるいはそこからつくりだされた価値観で社会をみている」
「そういうあいまいなことを言わないで下さい。そういう甘いヒューマニズムというかセンチメンタリズムなんですよ、達也が毒されているのは。なるほど私は東大を出ているが、だからどうだと言うんですか。私は自分をエリートだなんて思ったことは一度もありませんよ。なぜ東大を出るとエリートなんですか。エリートというのはいったいなんなのですか。私たちがいま立っているところは激烈な戦場ですよ。平和だ、福祉だ、レジャーだと世間は呑気だが、前線では毎日が激烈な戦いなんです。ほんとうに倒すか倒されるかの戦いなんだ。そんななかでどうしておれはエリートだなどと、ふんぞりかえっていることができるのですか」
彼は激してくるのかさらに怒りをにじませて、
「受験というのは、いわば社会の縮図ではありませんか。この社会は激烈な戦いで成り立っている。受験とはその社会に乗り出していくための一つの試金石ではないんですか。聞けばA校では一人の卒業生も大学に入れなかったというじゃありませんか。悪貨は良貨を駆逐すると言いますが、そんな環境ではあの子のもっている力がどんどん落ちていくはずですよ。どうしてそんなところで荒波にもまれていく力が養われるのですか」
とまくしたてた。なにか達也とのはげしい言い争いを彷彿とさせる。そして信之は内ポケットから封書を取り出すと、
「いや、あなたと教育論をするためにきたのではありません。実はお願いにあがったのですが、ここに来年三月分までの月謝がはいっていますが、これを納めていただきたいのです。それでですね、それはそれとして、今日で達也をそちらで退塾にするということにしていただきたいんです。退塾の理由は、私がこうしろと言ったからではなくて、先生のほうでそのへんのところはうまい理由を考えてもらって。とにかくあれの母親も最近はちょっとノイローゼ気味でしてね。私の一家を助けると思って、そうしていただきたいのですよ。受験までの残された日は、家庭教師なり、代々木あたりの講習でもいかせますから」
その次の日から達也はこなくなった。塾にこなくなっただけではなく、学校にも出ていないらしい。噂はさらに入ってきた。達也は家出してしまったと言うのだ。彼のクラスでも大騒ぎになって、先生もクラスメイトもあちこち探しまわったが杳として行方がわからないと言う。
三日たち四日たっていった。あっという間に日曜日がやってきて、彼が家を出てから五日たってしまった。長太もまた連日のように彼のいきそうな場所にでかけたり、もしかしたら塾にあらわれるかもしれないと深夜まで残って部屋のあかりをつけていた。
長太は思いきって達也の家を訪ねようと、何度も家の近くまでいったが、ついにドアをたたくことはできなかった。達也の母親が言ったようにある意味では達也をめちゃめちゃにしたのは長太なのであり、ゼームス塾に入らなければこんなことにはならなかったのだ。一家は悲嘆のどん底にいるのに、のこのこと自分が姿をみせたらさらに混乱させるにちがいないと思うのだ。
しかし長太がそんな思いで乱れていることを察したかのように、信之がその週のあけた月曜日に姿をみせた。不安とあせりで苦しめられている様子をその姿にきざみこんでいた。
「まるで居所がわからないのですか?」
「わからないのですよ」
と信之はいかにも策がつきたと言わんばかりだった。
「まあ、彼はしっかりしていますからね。中学生とは思えないほどしっかりした考え方をする子だし、旅なれているし、たった一人で世界一周できる子ですから、大丈夫ですよ」
「あいつの貯金通帳がありましてね、そこから三十万ほど引き出しているんで、その金でどこかをうろついているのでしょうが」
「その金がつきたらもどってきますよ」
「そう思うのですがね」
「だいぶきつく叱ったのですか?」
「きつくということでもないのですが。そういう選択は絶対に許さない、それがいやだったらこの家を出ていってくれという程度のことは言いました。そうしたらほんとうに出ていきやがった」
「彼らしいですね。彼の抵抗はしばらく続くかもしれませんね」
「まったくたまったものではありませんよ。あいつは言いだしたらきかない男ですからね」
「譲れないところは断じて譲らないというところがありますね」
「そうです。ですからもうあきらめました」
「あきらめた?」
「ええ、もうあいつの好きなようにさせます」
「A校でもいいということですか?」
「ええ、あいつの人生なんですからね。あいつの選択があいつにはねかえってくる。それがわかるだけでもいいのかもしれませんね。そこからまた立ち上がっていけばいいのですから。もし達也からなにか連絡がありましたら、そう伝えて下さい。もうお母さんも疲れ果てている。これ以上心配をかけたらお母さんは、ほんとうに病気になってしまう。せめて居所だけでも知らせろって」
達也のその低抗はなんと十二月の末まで続いたのだった。リュック姿の達也が、ぶらりとゼームス塾にその姿をみせたのは、二学期も最終日のクリスマスの日だった。彼はまっくろに灼けていた。なんだか野生人になったようなたくましさをからだ中にみなぎらせていた。この時期の子供たちの成長ははげしく、一週間も会わないとその成長ぶりがくっきりとわかるのだが、彼が家を出てから三週間、達也はひとまわりもふたまわりも大きくなったように思えた。
「これおみやげですよ。みんなで食べて欲しいんだけど」
「いったいどこをうろついていたんだ」
長太の目はうるみ、ふるえる声でたずねた。
「ちょっと宝島までいってきたんですよ」
「宝島?」
「ええ。鹿児島にいって桟橋をぶらついていたら、宝島行きの船があったんです。名前がいいじゃないですか。それでぶらっと船に乗って」
「それでその島にずうっといたのか」
「ええ。楽しかったな。今度みんなであそこにいきましょうよ」
「そんな呑気なことを言って。こっちは大変だったんだぞ。どうして電話だけでも入れなかったんだ。もう家に連絡したの」
「いえ。まだですよ」
「じゃあ、すぐに入れろよ。お母さんは病気になったよ」
「うそでしょう」
「それほど心配していたということだよ。すぐに入れろよ」
「まあ、いいですよ、これから帰るから。一夫と恵子たちはちゃんとやってますか」
「やっているよ。二人はとっても君のことを心配していた。毎日毎日、君の話ばかりだったよ。どうしてあいつらだけにでも連絡しなかったんだ」
「男は孤独を背負うべきですから」
「なにを言っているんだ、この野郎。ともかくすぐに家に帰ってくれよ」
「はい」
「あの話だけど、もう君の自由にさせると言っていたよ。君がいきたい学校に入ってもいいって。君の人生だからって」
「それはそうでしょう」
となんだかあたりまえのように言った。
彼はあっけなくA校に入った。彼はついに初志を貫いたのだった。
それから二年ほどたったころだった。長太が授業を終えて大井町の駅前にでると、
「先生!」
とよびかける人物がいた。振り向くと達也の父親だった。
「ちょっとそのへんでどうですか?」
二人は駅前のごちゃごちゃとした路地にある居酒屋に入った。
「いま札幌にいましてね」
ウイスキーの水割をすすると信之はふと言った。
「そうですってね」
「まあ言ってみれば、左遷なんですがね」
「そんなことはないでしよう」
「いや、そうなんです。私の最初の挫折かもしれませんね。ひたすらかけ上がってきた私が味わった最初の屈辱ですかね」
「激烈な社会だといつか言ってらっしゃいましたね。しかしたまには休息というか、このあたりで一服するというのも必要ではないんですか」
「まあ、そうですね。そんなふうに自分を納得させるには、だいぶ時間がかかりましたが」
そして彼はまた水割をぐいとすすると、
「週に一度は帰ってくるのですがね、どうも帰ってきても、女房も上の息子もどこか冷たい。同僚たちが華やかな転進をしていくなかひとり都落ちですからね。そんな自分をみる女房の視線に、どことなくとげを感じる。自分のひがみかもしれませんがね。しかしそんななかで、ひとり達也だけの視線があたたかい。あいつと話していると、どことなくほっとするんですよ」
「達也は素晴らしく充実した生活をしているようですね。ラクビー部をつくって、なんでも部員の数を維持するために必死で、テストのときには全員の面倒をみなくちゃいけないと言ってましたよ」
「そうなんですよ。このあいだなんか、くるわ、くるわ、達也の部屋になんと二十人近くも押し寄せて、女房が悲鳴をあげたらしいですよ。翌日のテストに合格しなければ留年だって言われて、その二十人が一晩中どってんばったんとそれはもう大変だったらしい」
「あの子はすぐれた教師ですからね。天性の教師というか、人生の教師ですよ。すでにもうそんな素質をきらめかせているんです」
「そうかもしれません。そんなことで女房は悲鳴をあげていますが、しかし私はそんな達也の生活をみていると、実に美しいなと思うんですね。兄貴のほうはもう自分一筋というか、勉強一筋というか。私もまた女房もそういう生活だったものですからね。だから達也の生き方がまるでわからなかった。しかしいまはよくわかるのです」
「彼は本物のリーダーになれますよ。どんな社会に入ってもね。どんな一流高校や一流大学を出てきた人間だって、彼にはかないませんよ」
「あの頃、達也とよく議論したんですよ。エリートってなんなのだって。私はもうごく通俗的なエリート論ですね。そんなものを口角泡をとばしてやってたら、あいつはこんなことを言った。ほんとうのエリートというのは、この世の苦しみとかこの社会の矛盾を背負う人だって。私はかっとなって、そんな甘ったれたことを言っていては、この社会では生きていけないんだっていう調子でやりかえしたものです。しかしいまははっきりと、達也が理解できるのですよ」
「それはぼくも感じました。偏差値というものはまったくあてにならない尺度なんだと言いながら、知らず知らずのうちにそんな尺度で社会や人をみている自分に。あらためてそうじゃないよと達也から教えられましたね」
「不思議ですね。北海道に飛ばされたとき、くやしくてね、飲みたくない酒をのんでずいぶん荒れぎみだったのですよ。しかしいまはかえってよかったと思っているんです。企業というものを、もっと広い視野のなかからみつめることができるようになったし、なによりも人間の生き方というものに思いをはせるようになりましたからね」
このお父さんは、左遷というはじめての挫析で、なにか人間として大きく深くなったように長太は思えるのだった。
四つの最後の歌
かつて小宮山量平さんと『千曲川』の仕事をはじめたとき、私は小宮山さんにリヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」のCDをお送りしたことがある。この歌を歌うことが、ソプラノ歌手の永遠の憧れなのか、名だたる歌手の盤があるが、そのとき私が選んだのはルチア・ポップであった。その盤でなければならなかった。
というのは、ルチア・ポップは一九九三年、五十四歳という若さで病のため他界するのだが、その盤は彼女がこの地上から立ち去る半年前に、病をおして吹き込んだ歌なのだ。そんなことを解説で読んで知ったせいなのか、なにかそのCDには彼女自身の白鳥の歌といった気配が漂っているように私には思え、そして、その気配に強いインスピレーションを得て、私は短編小説を書き上げたことがある。そんなことがあって、その盤を選んだのだが、しかし私が小宮山さんにその歌をお贈りしたのは、もっと深い理由があった。
「四つの最後の歌」は、R・シュトラウスの八十三歳のときの作品である。まさに彼の生涯の最後の時期にくる作品なのだが、この四つの歌は、なにかシュトラウス芸術の精華を思わせるばかりの見事な曲なのだ。迫りくる死の影を濃厚に縫いこめているのだが、木洩れ日がきらきらと森の奥に降り注ぐような黄金の旋律が奏でられる。三番目の「眠りにつくとき」の中で奏でられるヴァイオリンのソロなどは、これは天上の音楽にちがいないと思わせるばかりに美しい。そして最後の歌「夕映え」は、これが死なのか、とつぶやき、二羽のヒバリ(夫婦である)が、闇のなかに手をとりあって消えていく様子が、二本のフルートで奏でられる。そのさえずりが、闇のなかに消えていくとき、私たちは私たちの人生を思わずにはいられない。
私が感嘆するのは、これほどの曲が八十三歳の時にうまれたということだった。人間は八十三歳になって、かくも生命力あふれた創造をなしえるのだ。私が小宮山さんに「四つの最後の歌」をお贈りしたのは、このシュトラウスの生命力が小宮山さんの魂の中に流れこめという意味であった。そのとき小宮山さんは八十歳目前だった。
「そして、明日の海へ」という副題のついた『千曲川』が完成して、理論社より発刊されたのは小宮山さん、八十二歳のときだった。このような精神の行為というのは、目に見えないからそれがどれほどの偉業なのかなかなかわからないが、長編小説を一冊書き上げることは、この地上に五十階建てのビルを打ち立てるに等しいエネルギーを要することなのだ。空に聳え立つ五十階の高層ビルを、小宮山さんは八十歳のとき手がけて組み上げ組み立てていった。そして驚くべきことに、この「千曲川」はその副題どおり海に向かって大河となって成長していくのである。「青春彷徨」と副題のついた第二部が八十三歳のときに、「青春回帰」という副題のついた第三部が八十四歳のときに、そして「青春回帰」という副題につい第四部が八十六歳のときに、次々に刊行されていった。
巻を重ねるごとに枚数も増えていき、第四部などは七百枚にも及んでいる。饒舌にまかしての、過去を回想したという作品ではない。一行一行が、厳しく磨き上げられていて、その行間にさえ張り詰めた空気が漂っている。この小宮山さんの仕事を間近でみるとき、あるいはシュトラウスの「四つの最後の歌」を聴くとき、その生に対して厳しく対峙している人間にとって、老齢とはその人生を大地に返すために、さらに豊かな肥やしとならんとするための成熟のときなのだということがわかる。成熟するには火の格闘が必要だった。豊かな肥やしになるためには、さらなる絶望と、さらなる格闘を背負わねばならないのだ。シュトラウスや小宮山さんが私たちにつきつけているのは、人間とは、今はの際まで、それらの大いなる闘争をわが身に背負えるということなのである。
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