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トランスジェンダーだったSくんの職務経歴書を書いた話
このイベントは、全国的にも稀有だと思う。
名前は「グラデーションキャンパス」。
主催は「わたプロ」という学生団体で、ジェンダーやセクシュアリティの多様性を発信する催しだ。
私は日々、全国のダイバーシティ(DE&I)なイベントやコンテンツのスケジュール情報を収集している。その数は、直近一年で約480ほど。
しかし学生がDIYで運営し、公共空間をおさえて屋外ブースやステージを組み、ストリートで発信するイベントを私は他に知らない。
この「グラデーションキャンパス」の大きな特長は、家族連れが楽しめるということだ。これも珍しい。
スタンプラリーやわたがしの提供、ポップなステージパフォーマンス、正確なのに分かりやすいトークセッションなどなど。
子どもが喜び、親は学びを持ち帰る。そんな工夫が施されており、去年はファミリー客で溢れかえっていた。
運営スタッフの学生さんたちも、子どもに親切。私の娘がスタンプラリーに迷っている時も、わざわざしゃがんでヒントをくれたことを覚えている。
![去年の様子。青空の下、受付テントに長蛇の列。スタンプラリーとわたがしの順番を待っている。家族連れが多く、子供の姿がたくさんみられる](https://assets.st-note.com/img/1728391524-nBOFTJGZySev7aERmM5lWUjN.jpg?width=1200)
娘にとって「あのわたがしのお祭り」といえば、グラデーションキャンパスだった。
私たちもう一度あの空気に触れたくて、そしていろんな人がいることを知るために、今年も会場へ向かった。場所は去年と同じ、横浜・象の鼻パーク。
当日は、9月最後の日曜日だった。
雨で去年ほどの賑わいはなかったものの、学生さんたちの熱意とホスピタリティは健在。
彼らは今年も、娘の目線の高さまでかがんで微笑みかけてくれた。
「スタンプラリーやる?わたがしと交換できるよ!」
娘は台紙を受け取り、LGBTQAPXCH(順不同)のスタンプをコンプリート。わたがしをもらっていた。
そして
「LとGは知ってる。男の子が好きな男の子、クラスにいるよね」
と話してくれた。
そりゃ背が高い子もいれば低い子もいるよね。そんな自然体。小二のリアルが頼もしい。
普段、娘と愛や性について語り合う機会は少ない。なかなかキッカケがないのだ。本当は彼女たちにこそ必要な知識なのに。
だからこのイベントは、私たち親子には貴重だった。やっぱり今年も来て良かったな、と。
雨に溶かされまいと、わたがしを秒食する娘。
その背中越しに、潮風にひるがえる旗が見えた。ブルーとピンク、ホワイトのボーダーフラッグ。トランスジェンダーのシンボルだった。
そして足元には、労働相談のブース。
そういえば、Sくんの職務経歴書を書いたっけ。今から15年くらい昔の話。
Sくんは私の母親の彼氏で、トランス男性だった。6〜7年ほど一緒に暮らした。
「結太、ライターだべ?職務経歴書、書いてくんね?」
だべ。古い湘南弁。Sくんが用紙を食卓にのせた。
たった一行、「19XX年〜2009年 アパレル勤務」とだけ。あとは、砂漠のような白紙。
「プロに頼むということは、分かってるよね?」
「そこをなんとか」
「じゃハーゲンダッツね」
「ガリガリ君でどうよ」
「値切んな、店長」
アパレル勤務といっても、彼は店長だった。都内郊外エリアに2店舗。エリアマネージャーまでもう一歩。
私からしたらヤリ手に見えたのだけれど、実は不安だらけだったらしい。
定年まで働き続けられるか。ちゃんと給料が上がっていくのか。そして、いつかお婆さんになる私の母を養えるのか。
転職は35歳で限界、が定説だった平成の半ば。「俺もそろそろ」と思い立ったらしい。
私は純白の用紙を手元に引き寄せ、さっそくインタビューをはじめた。
職務経歴書に書くべきは、職務じゃなくてスキルの経歴。それも一つじゃなくて三つは欲しい。転職経験者でもあった私は、そんなことをアドバイスした気がする。
「それじゃSくんの強み、年代順に挙げてこうか」
「俺、中卒じゃん?」
彼が天井に向かって笑った。
「今まで就職とか転職とか、誰かに相談したことある?」
「ねえっ!わはは」
今度は腰に手を当て、胸を張って高笑いした。
彼はいつも猫背だった。コーディネートもジャケット、あるいはオーバーサイズ。すべて、スポーツブラでバストを押し潰すためだった。
だから胸を隠さないのは、彼なりに私を信用してくれていたのだと思う。
そんな私とすら、ごまかし笑いで目をそらす。よほど気後れしている証拠だった。
作戦変更。私はバッグからPCを取り出し、Illustratorを立ち上げた。
「友だちだから安くやって」という人間に、ろくなヤツはいない。しかしSくんは家族だった。私は、家族だから作れる職務経歴書を作ろうと思った。
あらためて最初のキャリアから聞き出していく。
「中学出た後。最初の職場って、いつの何のどこ?」
「いや、そのあと美容師の免許とってっから」
「じゃ、最終学歴は中学卒じゃなくて、美容師学校卒でしょ」
「まぁな」
Sくんはマルボロ・メンソールのソフトボックスから一本くわえた。、得意げが分かりやすい。
彼の実家は母子家庭で、高校進学のお金はなかった。
しかも、母親は彼のジェンダーを認めることができず、かたくなにS子と呼び続けた。
行く宛ても居る場所もない。15〜16歳のSくんは中学卒業後すぐに、友だちと共同生活を始めた。
朝から晩までバイトで稼ぎ、さらに生活費を切り詰めて美容師免許を取得。
「美容師、何年やったの?」
「1年もたなかったよねぇ」
頬杖をついたSくんの、笑った鼻から煙がふき出る。言えない何かがくすぶっていたのは、聞かなくても分かった。
「大丈夫。アピールにならないことまで書く必要はないよ」
人が生きていくための自信は、家族がつけなければならない。私だ。
1年とはいえ美容師と、アパレル店員。共通しているのは、人にたくさん会うこと。初対面も多いはず。
そしてどちらも、顧客の好みと似合うものの接点を、限られた手がかりから瞬間的に洞察する。しかも経験を積むほど精度は上がる。
これは立派なスキルだ。
「じゃさ。今まで何人の接客した、とかある?」
「んー。数千人じゃん?」
いや、少ない。最低でも約10,000はいるはずだ。
お客は一日3人と少なめに仮定。一年は約250営業日。それを専門卒業後の18歳から35歳までの17年間つづけたとすると、単純計算で12,750人になる。
常連客や有休を差し引いても、10,000人はくだらないだろう。
【美容師とアパレルの職務を通じて10,000人以上にスタイリングを提案。即座に顧客のニーズと特徴を見極め、それに応える経験とノウハウあり】
私は、職務経歴欄の冒頭にこの一文を打ち込んだ。一つめの強み。
「これはね。Sくんが店で足を棒にして勝ち取った財産だし、マネのできない武器だよ」
「おお。なんか自分でもスゲーって思えてきた!」
ノせればノる。それはSくんのいいところだった。
ふたつ目の強みは、いたって簡単だった。
で。がんばった結果どうなった?
店長になった。そして今や2店舗を任されている。
「それにしても店長になるの早くない?」
「働き始めるの早かったし。中卒だかんね」
「いや。それにしても」
「今のショップでは史上最年少っつーの?最短らしい」
Sくんにもちゃんとストーリーはある。努力が実るスピードに、自己肯定感が追いついてなかっただけだ。
【前社では史上最短、最年少で店長に昇格。2店舗の運営を手掛ける。予実管理からマネージメントまで、年齢以上に豊富なビジネス実績あり】
これは職務経歴書の最後の段落、つまり今現在のキャリア部分の見出しにした。
さて。Sくんの強み、残り一つが問題だった。
「Sくんさ。履歴書のほう、どうした?」
すべて言わなくても、私の気がかりは伝わった。
「女にマルしたよ」
やっぱり、そうだよね。私は頷くしかできなかった。
でも、彼がいわゆる“性規範に則った女性”でないことは、履歴書の写真ですぐに分かる。ネクタイ。ソフトモヒカン。ノーメイク。
当時「トランスジェンダー」という横文字は、今ほど広まっていなかったと思う。
その頃Sくんが自認していた、そして今はもう使うべきでない「性同一性障害」も、一般的と言えたかどうか。
世間は同性愛とごっちゃにし、嘲笑をまぶしてレズだオナベだと呼んでいた。
「男性」と書けば虚偽記載といわれ、「女性」と書いても珍奇の目。
やってらんねぇよ。私は、Sくんを履歴書だけで判断されたくなかった。本当の彼はそこにいない。
かと言って三つめの強みが浮かばない。私は、話題を変えた。
「今の仕事場の写真、使おうよ」
Sくんは人に好かれた。同僚からも、お客さんからも。
それがアピールポイント、というか次の会社の安心材料になるのではないかと考えた。
「多めに送って。選ぶから」
「職務経歴書に写真とか、ありなの?」
Sくんは訝しみながらも、職場の写メを一つひとつPCに送ってくれた。
売り場、展示会、飲み会に結婚式。次々と画像が届く。
私がディスプレイに集中していると、頭の上でガラケーをたたむ音がした。カチャッ。
顔を上げると、Sくんと目があった。
「結太、メモって。三つめ」
「どうぞ」
「【私には人と違う個性があります。そんな私だからこそ理解できる人の気持ち、解決できることがあります】
これっかねーべ。なんかコソコソするの、コイツらに、店長ダセーって言われるなって」
そして付け加えた。
「あと、コンプレックスは隠すと目立つ。むしろ出せ。これファッションの基本な」
生き様が、最後の強み。私は少し大きなQ数で、経歴欄の最後に書き足した。
後日。書体を厳選して全文を書き上げ、画像をレイアウト。字間も行間も余白も細部まで調整し、上質紙に出力した。
たったA4一枚だけれど、美しい職務経歴書だったと思う。それはSくんの人生の美しさだった。
彼は表彰状をもらう面持ちで受け取ってくれた。
結果、あっさり転職が決まったのには驚いた。しかも転職エージェント。
職務経歴書を見せたところ、面白いヤツだとスカウトされたらしい。そんなパターンあるのか。
「結太サンキュー!俺もビジネスマンデビューってか!」
そしてまたもやあっさりと、彼はアパレルへと戻った。
一年も経ってなかったと思う。理由が何だったのか、私は覚えていない。もしかしたら聞かなかったのかも知れない。
とにかく「わり。辞めたんだわ」と報告してきたSくんは、やっぱり笑っていた。
私にできることは夕飯を用意して、彼の帰りを待つくらいのものだった。
もしもあの頃、セクシュアリティに理解のある相談窓口が身近にあったら。私なんかを頼らずに、プロに相談できてたら。Sくんの可能性は、どこまで広がっていただろう。
私は、グラデーションキャンパスのブースに座る彼を想像した。横浜で全開になる湘南弁を。猫背で丸い背中を。潮風にゆれるソフトモヒカンを。
来年のイベントは、晴れるといいな。そして一人でも多くの人が、自分らしく働けるようになるといいな。そう願った。
ちなみに。
2008年に認定NPO法人虹色ダイバーシティが発表した調査によると、トランス男性は他の人たちと比べて、サービス職やブルーカラー職の割合が高かったという(岩波ブックレット「トランスジェンダーと性別変更」2024)。ちょうどSくんに重なる。ブルーカラーって言い方キライだけど。
干支が一巡した2020年。同法人がICUジェンダー研究センターと共同発表した調査結果でも、傾向はあまり変わっていなかった(下記資料P28)。
トランスジェンダーの人にとって、就業の選択肢が不当に狭まっていると言えそうだ。
私も誰かが就くはずだったポジションを、知らず知らず奪っているのかもしれない。それを忘れないでいようと思う。
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(おわり)
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