
きこえない男とあわてる男
受講者にろうの方がいるなんて、きいてなかった。
説明会まで、もう1週間もない。どうする。
私の会社は、企業向けにITツールを販売している。その取引先から、ユーザーである社員のみなさんへ、操作方法をレクチャーしてほしいという依頼があった。ワークショップというか、実習形式の説明会を、と。「マニュアル読んでください」の一言は、グッと飲み込んだ。
実は、そういう要望はちょくちょくあるのだ。しかも、使いやすいと思ってもらえれば、追加受注もありえる。私は、脊髄反射的に請け負った。
「はい!では準備いたします!」
準備などするつもりはなかった。いつものルーティンをこなすだけだ。
と、油断しきったまま、開催まで1週間を切ったある日。先方からメールが届いた。
「来週の説明会についてですが、参加する社員には耳の不自由な者がおります。ご配慮のほどよろしくお願いします」
不自由かどうかは、ご本人が決めることだろう。むしろメールが自由すぎる。そんな大事なことを、なんでこのタイミングで?出入り業者へのご配慮など皆無だった。
私はこれまで、聴覚に障害のある方に向けて、説明会を開いたことはない。というのは勝手な思い込みで、きっとこれまでも、聴こえづらさを抱えた方はいたはずなのだ。それに無頓着だった不覚に、「あ゛〜〜〜!」と髪をクシャクシャしたくなった。
私はすぐさま先方に電話をかけた。
「どうも。草冠です。今お電話よろしいですか?」
「あぁメールの件?いきなり送っちゃってスミマセン。そうなんですよ」
なにが”そうなんですよ”なのか、わからない。
「こちらが先入観で準備する前にですね、まずは受講されるご本人にニーズを聞いていただけるとありがたいのですが」
「うーん。もう来週ですからね」
わかってるじゃないですか。そうなんですよ。もう来週なんですよ。だから急いで聞いてほしいんです。受話器口の笑顔はこわばり、額に脂汗が浮くのが自分でもわかった。
「障害の度合いは人によって違いますし、普段使ってらっしゃるツールもあったりするはずなんです。やりやすい方法は人によって千差万別なので」
「それでいうと、まったく聴こえないみたいです。他は聞けたら聞きますけど、ちょっと返事くるかわからないです」
聞く気ゼロ。面倒がっていることを隠そうともしない。返事が来ないとしたら、時間の問題ではなくこの担当者の問題だろう。ご本人はこんな無理解の中で働いているのかと思うと、こっちの気が塞いだ。御社のツールにバグ仕込んだろか。
結局、聞き出せたのは受講者はろうの方で、お名前をKさんという、それだけだった。
やむなし。できる限りの準備をしたら、あとは当日Kさんと擦り合わせるしかない。やる気のない他人より、やる気のある自分。人はこうして孤独に慣れていく。
私はさっそく準備にとりかかった。満たさなければならない要件は3つ。
1.Kさんが私の説明を受け取れること。
2.Kさんが質問できること。
3.Kさんがワークショップ中にグループメンバーたちとやりとりできること。
一言でいえば、Kさんの興を削がない、ということだ。
まず最初に考えたのは、手話通訳だった。説明会は2時間30分かかるから、二人は必要だろう。しかし予算がない。依頼したこともない。もしあったとしても「Kさん一人のために」となれば、ご本人の居心地はどうか。仰々しいのは避けたい。さり気なさ、までが配慮だ。
ならばということで、WEB会議システム「Zoom」を使うことにした。この字幕機能、もしくは文字起こし機能を利用する。
当初から、私はパワーポイントを投影するためにパソコンを使う予定ではあった。それとKさんのパソコンをZoomでつなげば、私の喋りに字幕がつくはずだ。質問がある場合は、チャット機能もある。
しかしちょっと調べてみたところ、会社のセキュリティ設定によってZoomが使えなかったり、使えたとしても機能に制限があったりするらしい。チッ。
取引先がどうなっているのか、検討がつかない。社員のことも教えてくれないのに、Zoomの設定など教えてくれるはずがなかった。
私は自分の会社からパソコンを持ち込むことにした。KさんのパソコンでZoomが使えるならヨシ。もしダメでも私が持参したパソコンがあれば安心。
これで「1.Kさんが私の説明を受け取れること」と「2.Kさんが質問できること」はクリア。なんか大丈夫な気がしてきた。
あ。嘘。ぜんぜん大丈夫じゃない。パソコン、足りない。
ワークショップは、1グループ3名。Kさんのグループメンバー全員がZoomを使えないと、やりとりに支障が出てしまうかもしれない。かもじゃない。出てしまう。
さらにウッカリしていたことに、ネットに繋がらないと意味がない。鉄の箱だけ3台運び込んでどうする。ポケットWi-Fiもセットで必要だ。
私は総務部に掛け合い、余っているパソコンとポケットWi-Fiをかき集めてもらった。足りない分は、代休消化の同僚から借りて工面した。セキュリティ、コンプラ、ライセンスの3アウト。でもとりあえず、これで必要な台数は揃ったことになる。
ちなみに。Zoomは周囲の音を拾ってしまうことがある。さらにはポケットWi-Fi同士も、至近距離で使うと電波が不安定になることがある。というか、なった。すべての端末を同時接続し、挙動が安定する間隔を把握したうえで、当日に向けてバッテリーを満タンにした。
ここまでで、1営業日経過。
さて、自らちゃぶ台返しをしてみる。
そもそも、Kさんがパソコンを使わなかったらどうする?筆談の方がいいと言われたら?アナログがデジタルに勝る、ということはよくある。
私は営業回りの合間を縫って、文房具屋に駆け込んだ。大きめのメモ帳とポストイット、ぺんてるペン。Kさんのグループだけに用意すると、氏が気後れするかもしれない。なので他のグループのぶんも購入した。筆談でなくても、メモとして使ってもらえるだろう。私の説明が退屈だったら、紙飛行機でも折ってくれれば。
これで2営業日経過。
説明会前日。どうも何か大切なことを忘れている気がしてならなかった。当日の流れを綿密にシミュレーションしてみる。
そうだ。挨拶だ。最初の最初が抜けていた。
私は知らず知らず「Kさんと喋る」というシーンを想定していなかった。アンコンシャスバイアス。せめて簡単な一言と自分の名前くらいは、手話を覚えていこう。いや、思い出そう。昔、娘と読み親しんだ手話絵本を押し入れから引っ張り出した。
両手の人差し指を立て、二本を向かい合わせながら、ひっかくように曲げて指同士をおじぎさせる。
「こんにちわ」
人差し指で自分を差す。
「私は」
4本指を揃えて親指を立て、真横に倒した手の甲を相手に見せる。影絵の犬みたいな。それが
「く」
グーをつくり、手のひら側を相手に見せる。
「さ」
人差し指と中指で直角をつくり、小指側を相手に向ける。
「か」
片方の拳を鼻にあて、天狗のジェスチャーから手を開き、前に手刀を押し出しながら頭を下げる。
「よろしくお願いします」
説明会直前に覚えられる手話は、これが精一杯だった。
当日の朝。パソコン3台。ポケットWi-Fi3個。メモ帳12冊。ポストイット12個。ぺんてるペン30本。パワーポイントの出力資料30部。そしてわずかの手話。
背負い込んだリュックと手提げが、両肩両手に食い込む。ほぼ行商。フラつく足をどうにかふんばりながら、私は会場となる取引先へ向かった。
会場といっても椅子とテーブルだけの、殺風景な会議室だった。
行列のできないサイン会のように、ちょこんと講師席に座る私。受講者たちを待ち受けるその目の前に、Kさんが腰を下ろした。スラリと引き締まった長身。サイドを刈り上げたヘアスタイルがよく似合う、精悍な若い男性だった。爽やかで、かすかに甘い香り。フレグランスのセンスも良い。
私がKさんだと気付いたのは、勘ではない。まして匂いでもない。「Kさんの席は、私に一番近いところへ」と、担当者に前もってお願いしていたからだった。氏は私の唇の動きを読まれるかもしれない、と考えてのこと。読唇されてもいいように、髭と鼻毛の手入れも怠らなかった。
私は彼に近づき、覚えたての手話でご挨拶をした。
「こんにちは。く さ かです。よろしくお願いします」
おそらく私は緊張で無表情だったはずだ。口を大きく動かせていたかも、心もとない。そんな私とうってかわり、Kさんは大きな笑顔でこんにちはを返してくれた。耳にピアスの穴が見えた。
ここからは筆談。丁寧に字を書こうと思ったのなんて、中学の書き初め以来か。
「今日はどんな進め方がよいですか?PCあります。Zoom使えます」
Kさんは自分のパソコンを取り出して、私に見せてくれた。
「Zoom使えますか?字まくは?」
彼が指でOKマークをつくり、うなずく。
「ワークショップはどうします?」
机の上にあったペンをとって
「これで」
と書いてくれた。
わずか5分たらずのやりとりで、早くもひと仕事終えた疲労感だった。
場数は踏んでおくものだ。多少グッタリしていも、ひとたび説明会を始めてしまえば、口が勝手に動いてくれた。私は、KさんとZoomで繋がったパソコンに向かって、いつもより丁寧に語りかけた。
スライドを送るたび、会場に目をやり受講者の反応をうかがう。Kさんはパソコンの画面に集中してくれていた。要所々々で、小さく頷いている。どうやら字幕の文字変換も問題なさそうだ。
そのままワークショップのパートへ進んでも、スムーズに筆談が始まった。きっと日常業務でも多用しているのだろう。Kさんが自身愛用のボールペン、たぶんジェットストリームをよどみなく走らせていた。達筆だった。
安心したのは、グループのメンバーたちも、積極的に紙とペンで会話していたことだった。メモ帳がビリリビリリと音を立てて、次々に切り離されていく。静かで賑やかな会話のラリーが途切れない。
私の説明も、どうやら理解してもらえているようだった。この時点で、全身から力が抜けきった。
しかし。不意打ちというのは決まって、ガラ空きの腹を狙ってくる。
「ではご質問のある方は挙手、チャットでお願いします」
とはいうものの、質疑応答の時間なんてあくまで形式的なもの。たいがいは気まずい沈黙が流れ、それを断ち切るように閉会するのが常だった。
この日もそうなると思っていた。のだが。
パソコンの画面に目をやると、Zoomのチャットにコメントがついていた。
Kさんから。
商品の仕様に関する、かなり鋭い質問。というか、設計上の弱点を突いた、胃にこたえるツッコミだった。
「えー今、ご質問をいただきました。仕様についてです。実は今後のアップデート要件でありまして・・・」
私はKさんの質問を復唱し、回答した。Zoomの向こうのKさんはきっと、私が少し笑っていたことに気づいたはすだ。
私は自社商品の弱みを苦し紛れに、しかしあんなに嬉しく話したことはなかった。たんなる使い方だけでなく、仕様にまで疑問が及んだということは、それだけ深く理解してくれたということだから。結末が少し皮肉だ、というだけのことだ。
「そのような感じなのですが、答えになっていますか?」
私は大きく口を使い、ゆっくりと、Kさんに問いかけた。感謝を伝えたくて、最後は目を見てしまった。Kさんもこちらを見て、大きくうなづいてくれた。そしてOKマーク。
説明会が終わり、受講者のみなさんが三々五々、会議室を出ていく。私は、自分の手荷物を片付けながら、彼らを見送っていた。
Kさんが目の前を通りかかり、両手でまな板と包丁のような動きをした。左手のひらを胸の前に構え、床と平行にする。その甲に右の手刀を軽くバウンドさせる。
手話の「ありがとう」。
私もとっさに同じ手話を返した。今度は自分でも満面の笑顔だったと分かった。
彼は最後まで、いい香りがした。
Kさんはきっと気を使ってくれていた。分かりづらいところ、至らないことだらけだっただろう。だから私は手放しに喜んでいいわけがない。そこを勘違いしちゃいけない。
しかし、それでも。私は特別な何かをもらえた気がした。
アップデートが必要なのは、私の方だった。
帰り道、ネクタイを緩める。首元に入り込んだ冬のビル風が、火照りを心地よく冷ましてくれた。
ちなみに。追加受注は、今のところ、まだない。
(おわり)
最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければこちらもご覧ください。