実は生きていた父親と16年ぶりに再会した日
今月、娘が8歳になって、「あ。」と思い出したことがあった。
私の父親が蒸発したのも、ちょうど私が8歳のことだったっけ。
それから死んだことになっていた彼が、どっこい生きていたと知った時、私はすでに社会人。
まさか再会することになるとは思っていなかった。
携帯電話に、母からeメールが届いた。
「お父さんが出てきました。驚いています」
私は会社からすぐに返信した。
「たまげた」
私の父親は、腐れ縁の仲間にハメられ、数千万の借金をこさえてトンだ。
失踪者は生死不明が長く続くと、法律的に死亡とみなすことができる。消息を絶って16年。彼も、戸籍上はとっくに死んだことになっていた。
そんな父親が、裁判所を通じて連絡をよこした。戸籍を返してほしいという。
私が帰宅すると、母は動転していた。
「どうせオンナとかそんなとこでしょうよ。ソープに沈めてやりたいわ。わたしは会う勇気ない。アンタ行って」
ものすごい剣幕で、弱音を吐く。
風呂のカビ掃除から違法なブツの発送まで、面倒ごとはいつも私。だから今回もそんなこったろうと覚悟はしていた。
むしろ彼女は会わない方がいい、とすら思っていた。裁判所で刃傷沙汰なんて、場所が悪すぎる。
父親が生きていたことにも驚いたが、通達がすぐ近くの裁判所からだった、ということにも家族一同ひっくり返った。そんな近くにいたの?
後日。私は母を家に残し、三つ下の弟と埼玉の家裁へ向かった。
面会へは、ダウンコートを着込んで行ったのを覚えている。
底冷えするエントランス、影がちな廊下。窓が北風にガタガタ震えていた。
受付を済ませた私と弟が通された会議室も、寒々としていた。
定員6名程度の白い部屋。椅子と机と時計しかない。ブラインドが数本、ひん曲がっている。
事務室とか調停室とかだったのかもしれない。ここを笑顔で出ていく人なんているんだろうか。
弟が腰を下ろしたのを見計らい、わざと真向かいに座ってみる。笑いだけで正気を保ってきた生活の習い性。
「今はそういうのやめろよ」
弟は目を伏せたまま言った。
だよね。私は隣に座り直し、やがて約束の時間になった。
しかし、そこからが長かった。
いっこうに誰も入ってこない。
事務員さんから
「開けておいてくださいね」
と言われたドアの向こう側を、弟とじっと見つめる。
部屋の前を人影が通るたび、二人してビクッとするものの、みな私たちなど見えないかのように行き過ぎるだけだった。
廊下からの冷気が、床を這って流れ込んでくる。
待ち構える身体は、末端から感覚がなくなっていった。指先が冷え切っていたのは緊張のせいだとしても、つま先がかじかんで痛むのはこたえた。
どこかで電話が鳴っている。業務のやりとりが聞こえてくる。父親の足音が近づいてこないか、ずっと耳を澄ませていた。
父は、優しい人だった。ということだけは覚えていた。正しくは、それ以外のことを、ほとんど知らなかった。
嗜められたのは、一度だけ。私がお漏らしを隠したから。
「嘘はいけないぞ」
眉を八の字にして、笑っていた。
「手紙書こう、手紙手紙。ママにはナイショな」
ひらがなを覚えたての私と二人、母の日に”かんしゃじょう”を書いたこともあった。
覚えているシーンは、他にいくつもない。弟にいたっては、何も覚えていないという。
恨めるほどの思い出も、憎めるほどの愛情も、なかった。
むしろ私は
「あのオフクロとよく8年も続いたな」
と、半ば感心すらしていた。
それくらい私の母は、メチャクチャな人だった。
ホスト、風俗嬢とその娘、元ヤクザ、アパレル店長。いろいろな人が我が家で暮らし、そして出ていった。どれも惜しむような別れではなかった。
産みの祖母ですら
「あたしゃ結太たちのパパの気持ちがわかるよ」
と陰口を叩いた。
私の父親は借金から逃げたのではなく、母から逃げたのだと、思春期には気づいていた。
コンコン。
グッと力んだ目線の先。ノックして入ってきたのは、職員の男性だった。
席に腰を下ろすなり、小慣れたお辞儀。取りつくろった笑顔で顔を上げる。
「草冠さんですね。お父様については、いろいろな思いがおありでしょうが、これは人権の問題です。ご本人と確認ができたら、感情はいったん横においておいて、戸籍の復活にご同意ください」
”いったん”に透けて見える流れ作業感。実はきっと、ありふれた話なのだろう。
そそくさと出ていく職員さんの背中を見届ける。
閉じられそうになったドアが、半開きで止まった。
そこに父親が入ってきた。
彼もまた、ずっと廊下で待っていたのかもしれない。
彼は、深く長く、こうべを垂れた。
私はじっとその姿を見つめた。口が、勝手に動く。
「頭、どうしたの?」
彼の頭は、シワクチャだった。
寝癖とか髪が傷んでいるとか、そういうんじゃない。
丸刈りの頭皮がたるんで、うねっている。こう言っちゃなんだが、梅干しに似ていた。
私に話しかけられたことで、きっかけが掴めたのだろう。
父親が一歩踏み出して、浅く腰掛ける。
「お前たちには、本当に申し訳ないと思ってる。どれだけ詫・・・」
かぼそく消え入りそうな謝罪が、まったく耳に入ってこない。
「だからどうしたの?その頭」
久しぶりとか、生きてたのかよとか。そんなことよりも私は、頭が気になって仕方がなかった。
いや、それにすがった。自分たちを捨てた肉親への一言目なんて、見つけられていなかった。
「頭に膿が溜まっちゃて。パンパンになって。膿が退いたら皮が余っちゃって」
疲れやストレスが高じると、吹き出物がひどくなる体質。頭全体がひとつのオデキになってしまった、ということらしい。
父親は、かつて走り屋だった。たっぷりのデップでテカらせた、ダックテールのリーゼントがこだわり。
その彼が、頭の輪郭が歪むほどの16年を生きていた。それじゃ、街ですれ違ってても気づかないよ。
さっきから声もよく聞き取れない。ささやくよりも頼りない、ガラスを曇らせるような、息のこぼれる喋り方。
「え?その声は?」
「働いてた工場で結核が流行って。病院にもいけなくて」
片肺がなくなってしまったという。結核は昔の病だと思っていた。
戸籍がない。それでも住める住居や働ける職場を、どうやって見つけたのだろう。医療保険が使えない病床を、どうやって耐えたのだろう。働けない間は、働けていたとしても、どうやって生きてきたのだろう。
弟と私はもう、同じ父親の声を思い出すことはないのだな、と思った。
頭を撫でる指は、絆創膏だらけ。
猫背を包むMA-1はきっと偽物。ジッパーを上まであげていたけれど、中はTシャツか下着だったんじゃないか。
シミだらけのスウェットパンツ。素足につっかけサンダル。その足指は真っ白にひび割れていた。
私の唇は、一気に凍えた。
しかし、弟は違った。
「どうして今さらなんですか」
怒っていた。意気地のない兄に代わって、家族のために怒ってくれていた。父親の記憶がないかわり、母や私の苦労を間近で見てきた彼らしい、毅然とした横顔だった。
「二人には悪いけど、本当に申し訳ないんだけど、こんなこと言う資格ないんだけど、結婚したいんだ」
うすうす想像はついていた。これほど痛みを引き受ける人が、誰にも愛されないわけがない。誰も愛さずにいられるわけがない。
すべてを捨てて逃げ、逃げた先で死ぬような思いをして、それでもまだ人を愛せたのだったら、それは希望だ。私たちが父親から受け継いでいるかもしれない、唯一のものだ。
「ああ。戸籍ね。大丈夫。認めるよ」
私は弟に確認しないまま告げた。ここは年長者の強権をふるわせてもらう。
弟が小さく頷いたのを、気配で感じた。
「娘もいるんだ」
父親、ワンツーをキメてきやがった。そういえば彼はボクサーでもあった。
「会ってくか?」
「会わねーよ!」
思わず揃ったツッコミに、私と弟は笑った。
父親も表情を崩した。
眉が八の字になった。
あぁ。パパだ。
彼はきっと、私たちを忘れたことなど、なかったのかもしれない。
面会はこれで終わり。
待機していたように職員が部屋に入ってきて、気が変わらぬうちに同意の言質をとると、そのまま解散となった。
署名らしきものをした気もする。父親はいったん死んで、いったん生き返った。
親子三人で部屋を出る。
父親は私たちの背丈を見上げ、何も言わなかった。あらためて他人として生きていく覚悟に、また少し体温を奪われた気がした。
廊下のずっと先。赤ん坊をゆすってあやす女性の影に、父親が近づいていく。彼女のシルエットは、私たちの母とはまったく似ていなかった。やっぱりね。
あれから20年。
私も娘に恵まれた。彼女は8歳になり、私が父親を失った頃と同じ歳になった。
娘はこれまで一度も「パパのジージにも会ってみたい」と口にしたことがない。きっと察してくれている。かたじけない。
あの父親の優しさを受け継いでいるのは、私なんかよりも、彼女なのかもしれない。
今度、父親の思い出を話してみようか。
「パパのパパはね、一度死んじゃってね、生き返る時ね、頭がシワシワのブヨブヨになっちゃってね、小さぁぁぁな声でしゃべるんだけどね、一人むすめをとってもあいしていてね」
娘はディズニーのような物語が大好き。孫が喜んでると知ったら、彼もきっと笑ってくれるに違いない。
(終わり)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。よろしければこちらもご一読ください。