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【ショート・ショート】へそくり

「ねぇ、ねぇ、見て、見て」
 妻が息ききって居間に入ってきた。
「何だ?」
「じゃーん」
 妻は後ろ手に隠し持っていたものを、私の目の前に突き出す。
「どうしたんだ、その金?」
 一万円札である。
箪笥たんすの中を整理してたら、見つけたの」
「それは、見つけたも何も、元々あんたが隠したんだろう。また忘れていたんだな」
「そうだけど。それを言ったら元も子もないじゃない」
「じゃあ、それで何かうまいものでも、食べに行こうか?」
「だめよ。私のなんだから」
「だから旨いものでも……」

「嫌よ。だって、貯めるのに随分時間が掛かったのよ。ほら、よくうでしょう、へそくり三年、柿八年って」
 妻の鼻がぴくっと動く。
「上手いこと言ったって、思ってない?」
「そんなことないわよ」
 図星だったようだ。
「あんたは、リスみたいに、自分が隠した場所を忘れるんだね」
「本当? リスって、そんなバカなの?」
「えっ、そっちかい。そんなことはないさ。君と同程度の知力はあるはずだよ」
「じゃあ、十分お利口さんよね」
「それに、リスに忘れられたどんぐりは、やがて芽を出して、数十年後には大きな木となるんだ。森にとって大事なことなんだよ」
「そんなこと言って、私を丸め込もうとしても、だめよ」

「ははーん、さては……」
 妻は探るような目を向ける。
「ひょっとして、見つけたんでしょう、私のへそくり」
 妻に主導権を取られてはならない。
「だからさっき、余り驚かなかったのね。どこにあったの?」
 妻は波状攻撃を繰り出す。ここは受けずに攻めの一手だ。
「やはり他にも隠した覚えがあるんだな」
「ないわよ」
「それがどこだか、それも忘れたんだな」
「違うわよ」
 妻は言葉に詰まる。よし。上手く攻撃をかわすことができた。

「やっぱり、それで何か旨いものでも、食べに行こうよ」
「仕方ないわね」
 やっと妻が折れた。


 ところで、妻が仕舞い忘れたへそくりである。
 私はその一つを偶然見つけて、息子のサッカーのユニフォームやシューズを購入するのにてた。
 これも、へそくりの全うな使い方というものだろう。

 さて、来週の日曜日からサッカーの地区大会が始まる。
 息子は、まずはそこで芽を出し、そして葉を広げることができるだろうか。

 そうなれば、その時は次のへそくりの出番である。

<了>

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来戸 廉
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