自己紹介〜闘病から回復までの道のり〜
はじめまして😊
くるみと申します。
はじめに簡単に経歴をお話しすると、
・2020年〜管理栄養士として、
病院・特別養護老人ホームに勤務
・2022年8月にコロナ罹患
自律神経失調症・脳疲労等、
13以上の症状が現われ、
最終的には約半年間寝たきり状態に。
↓
病院へ5件受診するも異常なしと言われる。
↓
そこからセルフケア中心で医療にほぼ頼らず、
3ヶ月で日常生活を無理せず過ごせるまで回復
・医学に関する書籍をこれまで100冊以上読み、情報を収集し日々更新
・2023年11月~
「コロナ後遺症」の存在を知ってもらうために、
150人以上様々な職種の方に伝える
(現在も更新中)
・自分と同じような境遇の方が、
医療難民にならず適切に医療を受けられるように、
クリニックで働きながら
管理栄養士の知識を活かして原因不明の不調で悩む方の個別サポート
・1997年生まれ、青森県出身の田舎娘🍎
こんな感じで、ごくごくふつーうの人間です。
読み始める前に、まず
「あやしい!」
「この人信用できるのかな…」
そう思っていただいて構いません。
私も
「この人あやしいかも…」
と思いながら情報収集してたので、
その気持ちはよく分かります。
逆に、最初からなんでもかんでも
情報を信じてしまう方が、
今の時代は危険だと思うので
ちょっと警戒心をもって接するくらいが
丁度いいかもしれません。
半信半疑のまま最後まで読み進めてもらい、
私が本当にあやしいかどうか
あなたの目でしっかり判断していただけたらと思います。
私を通して、
●不調に悩む日々からの解放
●あなたが理想とする生活を送れるようになる
●あなたの周りの人が不調で悩んだ時に
大切な人を守れる
●単に身体が健康な状態であるだけでなく、
精神的、環境的、社会的に幸せな状態になる
そんな状態を手に入れていただきたいと思います。
よく
「管理栄養士だから回復できたんだね」
とか、
「元々才能があったんだね」
と言われることもあるのですが、
管理栄養士として就職してからは
主に調理をすることが多く、
専門知識を生かす場もなく、
知識があるだけで、その知識の使い方が分からない…
そんな状態からのスタートでした。
まして、高校時代は工業高校に通っていて、
医療とは全く無関係のところからの進学でした。笑
なので化学や生物等、普通科で学ぶような
医療に関連する知識も0の状態です。
そんな田舎に住んでいて
特別大きな才能もあるわけではない凡人な私が
どんな知識をどのように活用して、
理想の健康を取り戻すことができたのか
知識0から積み上げるお手伝い
が出来たらなぁと思います😊
同じような内容で
書籍を出版されている方もたくさんいるので、
有料で出しても良いと思ったのですが、
私としては、
より多くの人のきっかけになりたい
同じ境遇の人が私にも出来そう‼と思ってほしい
と思ったので
ここで全てを
お話しすることにしました。
この記事をきっかけに
人生が変わる人も出たらいいなと思っています(*^_^*)
すらすら読める内容なので、
ぜひリラックスしながら
最後までお楽しみください‼
第1章 終わりの始まり
これは、
2020年、東京に上京して、
新しい社会人生活の幕が上がるはずの年に
世界中がかつてないパンデミックに見舞われた時のこと。
私は管理栄養士として、
「患者さんに寄り添った食事を提供したい‼」
「食事管理がきっかけで元気になってほしい」
そんな強い想いで
4月に総合病院へと就職したが、
そこから始まる日々は、
想像を遥に超えるものだった。
コロナウイルス感染症拡大のため、
入職式は縮小。研修会なども中止。
「普段の会話は最小限に」
「4人以上の外食は避けてください」
そんな状況での社会人生活がスタートした。
「コロナ陽性者が緊急入院です」
「ディスポ食器(使い捨て食器)での準備をお願いします」
直接的に患者さんと関わることが少ない厨房でも緊張が走る。
「またコロナ陽性者…」
「いつになったら流行が落ち着くんだろう」
そんなことを思いながら厨房で、
マスクやゴム手袋の着用をして
食事の管理を行っていたが、
それらの備品も流通が滞っているため
十分に使う事が出来ず、
ぎりぎりの状態で毎食約300食を作っていた。
遅番の日は夜の20時過ぎに仕事を終え、
帰宅は21時30分。
急いで夕食を作って食べ、
寝る準備をして23時に就寝。
翌日は早番のため、夜が明ける前の
3時には起きて出勤するという
過酷なシフトの日も多々あった。
身体を酷使してでも我慢して働き続ける選択肢もあった。
でも、
「このままではいつか倒れてしまう」
そう思ったのと、
自分自身が成長している未来が全く見えなかったため、
思い切って転職した。
次に転職した特別養護老人ホーム(以後:特養)では
利用者さんとの距離が近く、私がやりたいことが出来る‼
と思い新しい環境で働けることが楽しみだった。
しかし、転職後すぐにクラスター感染が発生。
いざ入職して蓋を開けてみると、
様々なマニュアル等も整ってなく
体制がきちんと整っていない施設で、
管理栄養士も私1人。
右も左も分からない状況の中、
厨房と施設と連携しながら対応する毎日。
利用者さんが熱を出し、
血中酸素濃度も下がってきたとなると
救急搬送の対応も行った。
救急車が到着してから受け入れ先をさがして、
搬送されるまで2時間かかったこともある。
人手不足のため、
栄養士業務に加えて、
請求作業や総括など事務の作業や宿直(泊り)
もこなしていた。
厨房と施設の板挟みになって、
精神的に削られることもあったが、
なにより
認知症で笑顔が減った利用者さんが、
自分で作った料理やイベントに参加して
「おいしい‼」
「楽しい‼」
と笑顔になっている姿を見て、頑張ろうと思った。
業務はとてもやりがいがあったが、
残念なことに上司のパワハラがひどい施設だった。
「施設長の私が言ってるのよ‼」
「恩を仇で返すつもりか‼」
怒鳴り散らして
一瞬で凍り付く職場。
平気で権力を振りかざすような上司であった。
かと思えば、時間が少し経ってから
「さっきはごめんね」
と言われる。
これを1度や2度ではなく何度も繰り返す。
毎日逆鱗に触れないよう、
機嫌を取るのにみんな必死だった。
バラバラ…
と自分の心が崩れていくのが分かった。
ごめんと言うくらいなら
最初から言わなければいいのに…
と思いつつ、
「何か伝えても、また色々言われるのではないか?」
「いつ・何をきっかけに怒鳴られるのか分からないから怖い…」
と、いつもビクビクして
本音は心の中に
しまうことが多くなり、
自分の意見が言えない
“ロボット”のようになっていった。
そんな気持ちを持ちながらも
表面上ではそれなりに
上手く付き合っていたと思う。
今考えると、
この時から後遺症になりやすい環境が
出来上がってしまっていたと考える。
知らぬ間にこの環境に染まってしまっていた私は
すでに終わりの始まりに
一歩足を踏み入れてしまっていた。
第2章 運命の分かれ道
パワハラにビクビクする日を耐えながらも、
なんだかんだで気づけば特養で働き始めてから
1年以上の月日が流れていた。
だが、突然
プツンッ…
と糸が切れるように身体も心も限界が来た。
そのきっかけが、
忘れもしない、2022年1月13日
3回目のコロナウイルスのワクチン接種であった。
1回目と2回目の接種では
打った方の腕が激痛で、回数を重ねるごとに
症状が長く続いたがそれ以外は症状が出なかった。
3回目の接種では腕の痛み、頭痛が1週間続いた。
なにかを食べたり、水を飲んだだけでも水下痢が続いた。
3回目の接種をきっかけに次々不調が出てきた。
朝起きるのがつらくなり、
月経前後で数日寝込むようになっていった。
これまで遅刻がなかったのに、
1ヶ月の間で数回遅刻するように。
相変わらずの上司のパワハラも加わり、
ついには精神的にもしんどくなって
最終的に
悲しさ
虚しさ
悔しさ
色んな感情が複雑に
入り混じって、
最後は”無”になっていた。
そして、
身も心もボロボロで免疫力も低下していた私は
2022年8月コロナウイルスに感染してしまった。
こうして3回目のワクチン接種が
大きな運命の分かれ道となり、
私の人生はさらにどん底まで突き落とされていく。
第3章 見えない敵との闘い
自分のつばも飲み込めない…
息が出来なくて苦しい…
喉に激痛が走る中、
試しに期間限定のゆず塩味のカップ麺焼きそばを食べてみた。
全く味がしない…
コロナ陽性になってから
そのまま隔離期間の目安である10日が経っていた。
感染後も針に刺されるようなのどの痛み、
疲労感・倦怠感が続く。
なにより人と関わることが怖くなってしまっていた。
このタイミングでそのまま退職。
この時はまだ
「コロナ後遺症」
について詳しく分からず、
まだまだ認知もされていなかったため、
メンタルクリニックで
軽度の適応障害と診断された。
私は幼稚園の頃から
男の子に混ざって一緒にスポーツをするくらい
アクティブで活発な病気知らずの女の子だった。
水泳、吹奏楽、料理、裁縫、物づくり…
なんでも挑戦してみる
怖いもの知らずの好奇心旺盛な子だったと思う。
自分が作ったもので相手が喜んでくれる
その「笑顔」を見るのが好きだった。
人の話を聞くのも好きで、
うつ病とか、適応障害とか
大きな病気もしてこなかったし、
これからも無縁な人生を送るんだろうなぁ…
と思っていた。
でもこの頃から
人と関わるのがだんだん怖くなって、
スマホを開こうと思うだけで、
手が震えて触れない日もあった。
本当にこれは適応障害なのか…?
身体の中がおかしいと思いながらもそのまま過ごし、
気が付いたころには、
以下のような13以上の症状が現われていた。
・疲労感
・倦怠感
・めまい
・うつ様症状
・関節痛
・動悸
・ブレインフォグ
・記憶障害
・集中力低下
・不眠
・脱毛
・低血圧
・低体温 等
そして2023年3月末、
朝起きた瞬間に
めまい
冷や汗
腹痛
微熱
嘔気
これらが襲ってきて病院を受診し、
1件目では「食中毒かな?」という事で胃薬を処方してもらう。
その後も改善する気配が全くなく、
特にめまいと倦怠感が酷かったため、
2件、3件…と様々な病院へ受診するも
結果は…「異常なし」
このときにようやく
「コロナ後遺症っていうやつなのかも?」
と改めて知り、
コロナ後遺症外来があり、
ネットで予約できるところを探して受診。
ここで初めて詳しく血液検査を行ってもらい、
コロナ後遺症と診断され、点滴をしてもらった。
すると、身体が軽くなり、1週間くらいは動けるようになった。
だがこの時はまだ、私は見えない敵を軽視していた…
第4章 心からお祝いできない悔しさ
コロナ後遺症の存在を知り、
治療を初め少し経った5月に
姉の結婚式が地元の青森県であった。
そのためゴールデンウィーク期間中の
新幹線で帰る必要があったのだか、
すでに満員で指定席のチケットが取れず、
立席で帰省した。
この時すでに
トランクケースを杖のようにして歩かないと
しんどい状況であったが、
無理やり帰ったことで
その反動が来て動けなくなってしまった。
いわゆるクラッシュ(PEM)という状態だ。
(当時はクラッシュという概念を知らなかった)
実家に帰省し、親に話しかけられても、
自分に話しかけられているのは分かったけど、
何を言われているのか理解できなかった。
身体を起した瞬間、
ぐるん
と回転性のめまいが起き、
気が付いたら枕に頭がついてて
元の寝ていた状態に戻っている。
これはおかしいぞと両親が気づいてくれて、
ゴールデンウィーク中でどこも病院がお休みの中、
小さい時からお世話になっている先生が診てくれた。
「自律神経失調症だね」
「ビタミンの欠乏症になっていると思うよ」
と言われた。
コロナ後遺症についても聞いてみると、
どちらかというと否定的だった。
地方の病院だし、科が違うため
認知されていないのはしょうがないと
分かりつつ、
理解を得られなかったのは正直悲しかった。
でも、ビタミン類の点滴を行ってくれたことで、
めまいや倦怠感の症状はかなり症状が緩和されたが、
やはり数日でもとの状態に戻ってしまった。
姉の結婚式の前日にも点滴を行ってもらった。
私は今、点滴に生かされているのか…
そう思った。
そんな心身ともに万全ではない中、
結婚式に参列した。
地方の結婚式では、
親族や知り合いがたくさん集まるため
人と関わることが怖くなってしまっていた
当時の私にとっては地獄の場所だった。
姉から
披露宴中の写真をたくさん撮ってほしい
と言われていたのが逆に唯一の救いだった。
カメラを構えて写真を撮っていると
スタッフに紛れ込むことができ、
話しかけられることがなかったから。
カメラレンズを通じて、
たくさんの人にお祝いされ嬉しそうに笑っている
新郎新婦を収める事ができて満足していた半面、
「なんでこの空間で私だけしんどい思いをしているんだろう」
と心からお祝いできていない自分がいて、
そんな自分がいることにも気づいてさらに嫌になっていた。
そして披露宴の次の日にはまたクラッシュしてしまった。
その後も点滴して動いてみてはクラッシュして…
を繰り返し、
そうしているうちに東京に戻れないまま6月に入ってしまった。
この段階で
栄養素がポイントになってくることは
体感済みだった。
脳に負担がない範囲で情報を集め続け、
「副腎疲労」
という言葉も知り、
このまま青森にいても
コロナ後遺症に特化している病院もなく
回復できないと思い、
少し無理してでも動けるこのタイミングで、
思い切って無理やり東京に帰った。
すると、これまでと比べ物にならないくらい
盛大にクラッシュしてしまった。
第5章 東京での孤独な闘病生活
東京に帰省してから、半年もの間
ほぼ寝たきり状態が長く続いてしまった。
トイレと布団の往復しただけで1日寝込む。
お風呂にも2・3日に1回、
座ってシャワーするのがやっと。
で、その後また1日中動けなくなる。
頭の中がぐるぐるして、血の気もない。
試しに血圧と体温を測ると、
血圧92/59、体温35.2℃
「ほらやっぱり低血圧・低体温状態だ」
このころになると、
自分の身体が低血圧・低体温になっている時が
分かるようになってきていた。
特に梅雨の時期、気圧の変動が激しく、
私自身は、気圧が下がる時に気持ち悪くなり、
力が入らなくなる、めまい・鼻炎・低血圧がひどくなる
などパターンが分かってきた。
真夏に入ると、外は38℃と焼けるような暑さ。
立っているだけでも汗が止まらない。
そんな地獄のような暑い気温のはずなのに、
私は家の中で
エアコンをつけずに布団をしっかり被る。
私の身体がおかしくなっている事が
間違いなく分かった。
動きたくても何もできずに終わる毎日。
貯金も底をついて、
手元にあるお金をかき集めて買う食材で何とか作る料理。
私はこんな生活を送るために生きているの?
体調がもとに戻ったとして、
また毎日を我慢しながら働くために私は生きているの?仕事ってなんだろう?
自分はどう生きたいんだろう?
自分にとって幸せってなんだろう?
この時、はじめて自分自身の人生と深く向き合う時間ができた。
それから、
東京のコロナ後遺症外来へ
3回目の受診ができたのは、
青森から帰省して、3ヶ月後、
初診から約5ヶ月経った後だった。
第6章 医療に見放された私が考えたこと
東京のコロナ後遺症外来へ3回目に受診できたのは、2023年9月だった。
「今日はどうされましたか?」
という初めて診察を受けるときと同じような質問からはじまり、
これまでの経緯を表にしていたので伝えた。
3回目の診察時には、
栄養で治せる可能性を感じた私自身の推察と、
先生の見解が一致して
食事療法をメインに
どうしても症状がつらい時には点滴を活用した。
だが、点滴は自由診療の点滴であったため、
働けない私にとっては高額であったため限りがある。
そこで、自分が元々持つ管理栄養士の知識や、
新しい知識を身に着けてアプローチした。
具体的には
これを意識して行動目標を立てていった。
とある受診日にふと、先生に
「若い人で、ここまで後遺症が長期化している人はいますか?」
と聞くと
「40・50代で2回・3回感染した人が長期化している患者さんはいるけど…若い人はいないね」
と言われ、
やんわりだが断られているのが伝わった。
実際にコロナ後遺症に関する診療報酬もなくなり
コロナ後遺症外来の案内を無くしていたため、
潮時なんだなと思った。
それと同時に自分自身の使命は、
管理栄養士の知識を活かして、
自分の力で回復させて同じような境遇の人を救う事
これであると思った。
このタイミングが食事療法にさらに力を入れて
医療に頼らず回復しようと決意した時だった。
しかし、、、なんと言っても
とにかく習慣化が苦手な私。
脳疲労も重なり、
毎日漢方や処方された薬を飲むのもできないくらい苦手だった。
これまでの私はどちらかといえば完璧主義で
毎日続けると思って始めても
3日目で連続日数が切れると
そこで諦めてしまっていた。
そこで、
その考え方・思考を変える事から行った。
例えば、3日坊主という言葉があるが
3日坊主を1回で終わってしまったら
1ヶ月のうちで出来たのが3日間。
でも、
3日坊主を1ヶ月の間に4回、5回とできれば
1ヶ月で15日できた事になり
「3日坊主を5回行う」
という習慣化になる。
また、例えば1日10分運動すると目標を立てても
めんどくさく感じてしまっていたため、
「運動に関する動画を1日1回見る(自分はみたらやるのを知っているから)」
というように確実に出来るハードルまで下げて
行動を結びつけて行くことで
やらない→できる に変えていき
成功体験を積み上げることで
自己肯定感を少しずつ上げていった。
第7章 もう一歩のところで…
上述したように
これまでの自分とは違う行動を行ったことで
寝たきりの状態から
3ヶ月経った頃には
日常生活を無理なく過ごせるようになり、
単発で週1回〜バイトに行けるまで回復していた。
身体面の回復に合わせて
精神的にも安定していった。
精神的に一番しんどくなっていた時には、
橋にお花がお供えされている所を見て、
「私も落ちたら楽になれるかな…
悲しんでくれる人はいるのだろうか…」
今まで生きてきて死んだら楽になれるかな…
なんて考えたことが1度も無かった私が
こんな事を考えてしまっていた。
こう思ってしまうのは私ではなくコロナのせい…‼
思わされているんだ…‼
今の自分の状態は普通じゃないのは確かだ…‼
そう思うようにして乗り切った。
自分自身でネガティブ感情を受け止めて
発想を変えることが出来るようになった事で、
大きなストレスになること無く受け止められるようになっていた。
自分の身体の状態を
受け入れられるようになってからは
週2、3回と働けるようになっていた。
本来の週5回のペースで
仕事が出来るようになるまでもう少しのところで、
2024年2月頃、また倦怠感が襲ってきた。
このときは
たばこやエアコンの風
洗剤などの香りや
少しの刺激で
くしゃみが止まらなくなってしまい、
化学物質過敏症の症状があった。
鼻で息をするだけでも
粘膜が焼けるようなじりじりとした痛みが走る鼻炎が辛かった。
「もう一歩のところでまた…?」
第8章 栄養療法での逆転劇
この頃には人と関わるのも大丈夫になり
近くのコロナ後遺症外来に予約し
血液検査をおこなった。
結果は抗核抗体が基準値よりかなり高かった。
さらに、EBウイルスが再活性化している事が分かり、
ワクチン後遺症からくる
自己免疫異常を起こしている事が分かった。
この病院では、採ってすぐの血液の様子を見ることができ、
私の赤血球は
「たらこ」のようにギュッと固まっていることが分かった。
本来、たくさん見えるはずのミネラルがほとんどなかったり、
好中球が戦っていて
炎症を起こしていることもはっきりわかった。
これまでは検査を行っても
異常なしと言われてしまっていたこともあり、
今回の検査で
「これは倦怠感が出るよね」
と納得できる結果であったため
逆にはっきり結果が出てほっとした自分がいた。
ここまで分かると、そこからの回復は早かった。
むしろ
管理栄養士の知識を活かして
自分の力で回復させて同じような境遇の人を救う事
この使命の為に
もう一度自分のアプローチが正しいのか
実験してみようという気持ちでいた。
前回と同様
栄養療法も活用しつつ、
食べるものの質を意識し改善させたことで
以前のようにクラッシュすることなく、
働きながら療養することができた。
そして気が付いた時には
粘膜が焼けるような鼻炎の症状がなくなり
15年間使い続けていた点鼻薬も一切使わなくても
快適に過ごせるようになっていた。
以前は3日以上寝込んでいたPMSまで軽くなり
服薬せずに
自分の身体の治癒力で13以上の不調を克服していた。
2024年9月現在は、
自分のなりたいライフスタイルになるために
週4回のパートと週1回程度の夜勤で仕事している。
コロナ後遺症外来で受付スタッフとして働きながら、
管理栄養士の知識・経験を生かして、個別サポートを行っている。
ストレスがかかっていない
というわけではないが
不調として症状が出る前に
対処できる方法を身に着けることができたため、
無理なく毎日を送っている。
なんで
「コロナ後遺症」
を診ている病院を選んだのかというと、
SNSなどの情報を100%信じるのではなく
実際に起きている状況を自分の目で確かめる
それ以上に
受付できませんと強く言われる等、
怖くて病院に行けなくなった
という人が出ないように患者さんに寄り添いたい
この想いが強かった。
いまこの文章を読んでくださっているあなたは
もしかしたら、
周りに「コロナ後遺症」であることを
伝えられていないのかもしれない。
コロナに限らず、原因不明の症状で悩んでいるかもしれない。
周りから理解されず、
自分だけが置き去りにされているような感覚があるかもしれない。
でも、
コロナ後遺症や今の医療で回復できない不調を抱えている人を
置き去りにしないために、
辛い気持ちに寄り添えるように、
あえて現場に出ている人がいるという事を
頭の片隅に置いて、
療養して生きることをあきらめないでほしい。
結局幸せとは?
以上が
私の人生で起こった大きな闘病~回復
までの内容です。
これまで私は、
自分が幸せになるためにはお金が大切
だから、自分の身を削ってでも働かないと…
という思いが強かったのですが、
今回の出来事をきっかけに
幸せになるためには
「健康」であることが大前提である
これを身をもって感じました。
お金や時間があっても健康でなければ自由に使う事が出来ないし
健康であってもお金や時間がなければやりたいことができない。
でも、健康であれば、
自分の理想の幸せの状態に近づけるための努力が出来る。
これが私の価値観です。
そして、過去の自分の行動の積み重ねが
今の自分の健康状態を表す。
今の自分の行動次第で未来の自分の状態が変わる。
その方法や手段は個人差があるので、
自分で知識を身に着けて行動を選択していく。
そのために既成概念を持たず、
浅く広く情報収集する。
そしてやるやらないは自己責任。
結果がどうなろうと人のせいにしない。
私はこんな考え方なので、
って思う人には
私の発信内容は合わないと思うので、
自分の考え方に合う人を探して
回復して欲しいなと思います。
知識を身につけて
自分自身や周りの大切な人の為に用いたい
そんな温かい思いを持っている
優しい世界に住む人に、
私の発信が届いたら
嬉しいなって思ってます。
最後に
ここまでいかがだったでしょうか?
内容を読んでいただいて、
「難しそう」とか「自分には無理!」
と今思ってしまうのは
『圧倒的知識不足』です。
私もこの文章を考えて過去を見返しながら、
知識があったらこんなに遠回りしなかったのに…
と多々感じています(^-^;
じゃあこの圧倒的知識不足をどうすればいいか?
→知識をつければいいだけですね。
正しい知識をもとに
正しい方向に行動する。
私が回復できたのは、
ただ知識を入れて、素直に行動した。
本当に、ただそれだけです。
あなたも、きっと、できるはず。
数ある記事の中から
見つけてくれてありがとうございました。
この出会いが、
あなたにとってのターニングポイント
になることを祈っています。
そして、
あなたの挑戦を
心より応援しています。
追伸
①もし良ければ感想を投稿していただけたら励みになります♪
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