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服薬を始めて2ヶ月ㅣはじめてのnote


適応障害の診断が下りて休職し、服薬を始めて2ヶ月が経った。 

ただ薬を飲み続けていたらもう2月になっていた。
実家で動けなくなっている間にクリスマスもお正月も終わっていて バレンタインまで過ぎていた。
世間はもう2ヶ月も進んでいるのに わたしはなにも変わっていない。

悪化していないだけマシだと思って過ごしている。


2024年10月頃、国際線の乗務が増えるにつれて不規則な生活リズムに身体がついていかなくなっていった。
身体は疲れ切っているのに布団に入っても眠れず 睡眠不足で免疫力は下がり すぐに風邪を引くようになった。

お風呂に浸かるといい、ストレッチをするといい、ハーブティーを飲むといい、ビタミン剤を飲むといい、いろいろ試しても眠れないものは眠れない。


風邪薬で騙し騙し乗務を続けている中、当時の恋人が職場で受けていたパワハラがひどくなっていった。

帰宅しても食事を摂ろうとしない彼のために アメリカから帰ってきたクタクタの体で彼の好きなカレーをつくった。作り置きも何種類か用意して 面倒なときはチンして食べてと伝えた。
世界中、日本中から お土産でスーツケースをパンパンにして帰ってきた。いっしょに食べる時間が幸せだったし 少しでも前を向いてもらえたらと思っていた。
できることはなんでもしたかった。
しかし追い詰められていた彼は わたしを侮辱し見下すことで自尊感情を保とうとするようになった。

耐えきれなくなったわたしは別れを告げたけど 彼に言われた言葉の数々は 真実ではないとわかっていても心に傷として残ってしまった。
彼のためにばかり時間を使って 自分の心や身体の疲労には全く気づけていなかった。

そんなタイミングで意地悪な先輩とのフライトが続いた。彼に言われたような言葉を機内でまた繰り返された。

使い物にならない、人としておかしい、考え方がまともではない

頼れる上司に相談しようと思ったけど わたしが話し出す前に 仕事があまり得意ではない同期のことでいっぱいいっぱいだとわたしにこぼした。
がんばるしかなかった。
もともと行きすぎた完璧主義ではあったけど そのフライトだけはミスもなくスムーズに終えなくてはとがんばった。その子の分も動いたしできることは全部やった。わたしは手がかからない子だと評価されたかった。褒められたかった。ずっと気が張っていた。


日本に帰ってきてから また眠れなかった。
家にいると涙が止まらなくなっていた。
食べたいものもわからずスーパーやコンビニを何十分と徘徊し続けた。

数日間は乗務ができたが、更衣室に戻ると涙がとまらず過呼吸になり 立てなくなってしまった。

だいすきな友人とのクリスマスディズニーを直前でキャンセルし クリニックへかかった。
診断がおりた安心感なのか泣き疲れたからなのか クリニックを出た途端お腹が空いて 目の前のパン屋さんに入った。
お腹が空いて安心した。生きていけるかもしれないと思った。

「ガーリックトーストあっためたりできますか」
って聞いたらちょっと嫌な顔してあたためてくださった


それがちょうど2ヶ月前のことだ。
その後クリニックを変えたり気分の波があったりしたが とりあえず2ヶ月間ずっと薬を飲んでいる。
抑鬱状態になるたびに「ほんとうにこの苦しみは終わるんだろうか」と思いながらも薬はきちんと飲んでいる。
というかもうそれしかできることがない。


モンスターズインクでブーを誘き寄せるときにサリーがスナックひとつずつ並べるみたいな感じかも
毎日毎日薬を飲み続ければ いつかこの真っ暗なトンネルの出口が見えるかもしれないと信じている。



あと2週間ほどで2月も終わる。
2月末はだいすきな友人が誕生日を迎える。
閏日に生まれた彼女をこれまでに2回もお祝いできていることに気づいてうれしくなった。


診断書も一旦、2月末で切れる。


わたしが機内に戻れるのは これからまた2ヶ月、3ヶ月、もしかしたら1年先になるかもしれない。
でもとりあえずは生きて、薬を飲んで、調子のいいときは日記を書いてみたり雪かきをしてみたりしながらその日を待ってみたい。

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