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②Audible『HSPブームの功罪を問う』飯村周平(2023・岩波ブックレットno.1074)第2章 HSPブームの功罪

人々はHSPの何に惹きつけられたのか?(可能性)

・HSPの考え方がもつ「物語性」
・「障害」ではなく「性格・気質的特性」としてのラベリング
・HSS型HSPなど直感的にわかりやすいタイプ分け
・5人に1人という割合

上記の可能性に関する議論を踏まえた上で、HSPラベルとそれに分類される人々の相互作用的な関係を社会学的な視点から俯瞰的に分析。
HSPラベルがいかに「ポップ化」されてきたかについて物申した後で、最後に先生の憂慮されるブームの「罪」が語られる、と。

ーーーおおっ。難しそうっ(^^ゞ


1.繊細さに伴う「生きづらさ」に肯定的な物語を与える

繊細であることへの「祝福」と「呪い」。

「繊細で人よりも傷つきやすい。でも、繊細であるがゆえに、人よりも物事の良いところに気づき、感動したり共感したりすることができる」。
こうした「物語性」がHSPブームで語られています。
おそらくHSPが単に「生きづらさ」や「弱さ」を表すだけのラベルであるならば、ここまで人々に広く受け入れられなかったでしょう。

この肯定的な正の物語は生きづらさに苦しむ人々を救う一方で・・・・

本来それ自体に良し悪しはない繊細さですが、HSPを自認する人々の中には、その価値を強調し、HSPを「特別な才能」だと強く信じる人もいるようです。

自分自身がHSPであることを特別視 = 過敏型のナルシズム(自己愛)
みたいモノも生み出してしまう。

今話題のファッション発達障害にもこーゆう側面がありますよネ。こっち(発達障害)のに比べたらHSP界隈で発生してるナルシズムなんてあんまたいしたことない・・・という気がしなくもない(※個人の感想です!すみません!)。
だってあちらはもう「障害」のカテゴリですもん。気質だの性格だのってソフトな領域のハナシじゃない。
障害があるがゆえの「ギフト」。「非凡」「天才」「才能」。
障害というネガがデカいぶん、リターンも派手というか。自己愛の強い人が飛びつきたくなる気持ちもよくわかる。

自己愛が暴走した皆さんがブームに群がっちゃうことにより、本当に障害で苦しんでいる人たちが迷惑している・・・みたいなアレが問題なんですよね?? うんうん、たしかに。そらよくないヨ。お怒りごもっともだ。賛成に1票!

・・・・・とは思うんだけど、んでもねえ、発達障害とかHSPってワードが創り出されたおかげで救われた人、プラスを得てる人も沢山いるわけで(先生もゆうておられましたが。だから功罪なんだろーけども)。現に私も「毒親」ってワードを創作してくれた人に心から感謝しております。どうもありがとう。
ブームには、いいとこもわるいとこもある。要はひとりひとりのモラルや学びや、使い方なんじゃーないかしらねえ・・・って気がします。
が、ーーー難しい問題だ。

2.「5人に1人」という割合

私だけじゃないという安心感。
少なすぎず多すぎす、絶妙な数字。

3.「障害ではない」ラベル

もしHSPが「障害」を表すラベルであったら、HSPを自身のアイデンティティにし、SNSなどで第三者に公表する人はもっと少なかっただろう、と私は思うのです。つまるところ、HSPというラベルが繊細さのポジティブな側面にも着目したラベルであること、そして障害ではなく個人の性格や気質としてのラベルであること、そうした要因がこのラベルを人々に受け入れやすくしたのかもしれません。

ここでチョット自分のことを書けば。
私は己が統合失調症予備軍であることをアピールなどせんぞ!・・・と、思っている。SNS上では自由にあれこれ書いてるけど、それはここが「リアルと切り離された場」であるからだ。個人が特定されるよーなトコ(=リアル)ではこんなこと言ったりしない。
なぜかといったらそれはお得がないからです! 病・障害には、世間が許容してくれる病とそーでない病ってもんがあんですよ。統合失調症はダメなほう(←実際ブームもきとらんし)。んだから私は絶ッ対誰にもしゃべんねーぞと思ってる(リアルでは)。
HSPや発達障害の公表はデメリットよかメリットのほうが大きいんだろな。そうじゃなきゃブームになどならんのよ。

4.直感的に分かりやすいタイプ分け

様々なサブタイプの存在。
「性格診断テスト」的な側面。

各タイプの説明を読んでみると、少なくとも私は、どのタイプを選んだとしても、誰でもどこかしら当てはまる内容が書かれているような印象を持ちました。どのタイプを選んだとしても「自分はこれだ!」「自分のことを言い当てられた!」という感覚を持ちそうです。これはいわゆる「バーナム効果」と呼ばれるもので、巷の心理テストや占いではよく使用されるテクニックです。

5.自分の「モヤモヤ」に「答え」をくれる

「生きづらさに名前がつく」 → ラベリングによる自己受容の促進。

HSPはその名伏しがたい「モヤモヤ」に「答え」を与える役割を担っているのかもしれません。「答え」のみならず、障害ではなく、生まれ持った性格であり、そしてポジティブな側面もある。HSPブーム下で語られるこうした背景も加わって、自分自身のことや自身の「生きづらさ」を説明するラベルとして受け入れやすくなっているのではないかと思います。

HSPラベルとそれに出会った人とのダイナミックな関係性
 → 「ループ効果」

ループ効果とは

科学哲学者イアン・ハッキング提唱概念
①人々の分類や記述に関する新たな知識の創出
②それらの一般社会への浸透
③当事者(カテゴリーに分類された人)による知識の自己適用や修正や拒絶
④当事者たちの意識や行動の変更
⑤それによる分類や知識の変化
この①~⑤がループする。

当事者とラベルとの相互作用により、ラベルは変化する!(=ラベル自体も動的な概念)
「○○型HSP」も元々のラベルが変化したものだろう(by.飯村先生)
こういうのMBTIにもありますよね。aとかtとか細かいやつがお尻にくっついてる。


ポップ化されて広まったHSP

学術的な定義とのズレ問題

・・・・こんなん誰も気にしてなさそう、って雰囲気はわかります。面白くてホットでブームなら乗る!みたいな。

ポップ化されたHSPの考え方では、学術的な定義を超えて、HSPであることに「価値づけ」をする傾向が見られます。
学術的には感受性が高かろうと低かろうと、つまりHSPであろうとなかろうと、それ自体に「価値」や「望ましさ」はありません。科学的にどちらか一方が必ず優れているとは言えないのです。

みんな褒めてもらいたいんですよ。
スゴくて特別な自分でありたいのです。
ええ、ええ。

典型例として紹介されてた本。↓

「あなたが繊細で傷つきやすいのは才能がありすぎるから」
「繊細さんの4つの才能」
  ↓
「高い共感力(エンパス)」
「鋭い直観力(インチュイティブ)」
「優れた視力(ビジョナリー)」
「豊かな表現力(エクスプレッシブ)」

※後半3つにはほとんどエビデンスがない。また「エンパス」とはスピリチュアルな領域でよく使用される言葉だが、感受性の高さは共感性の高さと相関があるものの、心理学概念としての共感性とスピリチュアル用語としてのエンパスは異なる。・・・・のだそうです。

感覚刺激に対する反応問題

感受性の個人差、置かれた環境の質、精神的健康の低さ(生きづらさ)
 ↓
これらはそれぞれ別の概念あるいは要因。それなのに・・・・

しかしHSPブーム化では「HSP=生きづらい」といったようにHSPと生きづらさが独立ではなく、まるで「セット」のように説明されることがあります。


いやもう完全にセットだと思ってました。なんなら軸、柱くらいのイメージでした。
特にこの領域の本をマジメに読んだことのない私のような人間には、本屋さんやSNSのフレーズ1個2個くらいしか目に入ってきません。

「HSP」「生きづらい」

ほとんどこの2フレーズで終了。頑張ってもういっこ「繊細さん」が加わる程度です。ええ、ええ。
たぶん発信する側だけの責任じゃない。「チラっとしか見ないやつらの半端さ」による弊害もわりにデカイのではないでしょーか。ごめんなさい。

○○型HSPタイプ分け問題

タイプ分けの妥当性を支持する実証的研究はない。

偏見・差別・誤解を助長問題

「HSPは障害だ!」的誤解
一部のHSP自認者が「非HSP」に向ける優越感(「繊細ヤクザ」)
一部のHSP自認者が「障害」「障害のある人」へ向ける嫌悪感
などなど、HSP当事者に向けられる差別偏見だけでなく、自認者側からの差別偏見の問題も生じている。

感受性の多面性問題

心理学的な構成概念のややこさ、取り扱いの難しさ?
(※プロ仕様の問題提起ゆえパス)

HSP自認がむしろ自己理解や他者理解を狭める可能性問題

単純な二極化(HSPかそれ以外か)
なんでもかんでもHSPのせい
→自他を観察する際の視点から多様性が失われるってことじゃないかなー。

玉より石が多いHSP情報問題

ご利用は慎重に!


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