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③『何者かになりたい』熊代亨(2021・イースト・プレス)/ 第3章 アイデンティティと何者問題

前章までのまとめ。

第1章 「承認欲求」をモチベーションとした何者問題へのアプローチ
第2章 「所属欲求」をモチベーションとした何者問題へのアプローチ
それぞれに固有のリスクがあるが、どちらも自分自身の技能や人間関係を広げるためのモチベーションとしては貴重。「どう遠ざけるのか」より「どう活かすのか」が問われる・・・・と。

そして第3章は!

アイデンティティ

「何者かになりたい」とは「アイデンティティを獲得したい」のことである

アイデンティティとは「自分はこういう人間である」という自分自身のイメージを構成する、一つひとつの要素のこと

何者かになりたい

=「まだ手に入れてないアイデンティティが欲しい」
=「アイデンティティの一部と言えるような肩書きやアチーブメントが欲しい」

何者にもなれないと悩んでいる状態

=「アイデンティティが足りない状態(であることが多い)」

ふむふむ。しっくり!

何者問題のピラミッド(p.74図4)
頂点→「何者か」
三角の上半分→「何者かになりたい」
下半分→「何者にもなれない」
(このゾーニング、上昇志向 とやさぐれ・・・みたいな印象だなあ〜(^^;;)

アイデンティティという言葉は20世紀の中頃に心理学者エリクソンによって提唱された概念。これ以前の人はアイデンティティという言葉や概念を知らなくても生きていたし、こうしたことを意識しない人は今でもいる、と。

たとえば地元で育って、地元に就職して、昔からの人間関係にずっと馴染めていて、仕事にもパートナーにも困ることのなかった人などは、「何者にかなりたい」などと意識もしないでしょう。
江戸時代の武士の嫡男(イエを継承する立場にある子ども)などもそうです。自分がイエを継ぐと決まっていて、そのために日々努力も重ねていて、それにふさわしい人間関係に囲まれているような嫡男なら、「自分は何者でもない」とはまず考えなかったでしょう。

なるほど、たしかに。
アイデンティティ獲得への「渇望」や「貪欲さ」みたいなモノは人にもよりけり。個人差があるんでしょうね。

もしかしたら人間と鳥を並べたりしちゃイカンのやもしれませんが、これ、昨日読んでた『くらべてわかる文鳥の心、インコの気持ち』。

インコは情が深くてフレンドリー。仲間を欲する傾向が強い。
一方、文鳥はインコほどの情には欠けるものの独立心が強く孤独に強いんですって。こんなかんじで、鳥にも個性があるそうなのです。
こういうの読むと思わず人間に当てはめて眺めてしまう。これでいくと、インコよりも文鳥のほうが承認欲求や所属欲求を沢山必要としない・・・・ように見える(パッと見の印象ですが)。

私、無職の主婦なのでほとんど「家族」にしか所属してないし、日々誰にも承認されてない。noteですらもぼっちです。
こういう状況ってたぶん「社会から取り残されたよう(哀れな主婦の描写によく使われるフレーズ)」ってやつだと思うんですけど、そんなん全然バッチコーーイ!!(←今の人知らなさそう笑)。むしろ忘れててもらえたら世間から雲隠れしたまま毎日好きなだけ本が読めて死ぬまでハッピー。
たぶん私、各種欲求をセルフで賄える分量が多いんだろうなーと思うんですよ。文鳥的主婦生活謳歌型人間。長っ。
(※ただし金銭面は別!夫がいないと生きていけない。ありがとう夫っ。死ぬまで感謝します!)。

ーーーと、あんまりこういうこと書くと間違いなく嫌われるハズなんですけども、私、どっこのコミュニティにも属してないので遠慮心配一切ご無用、空気など読まなくてよし。人様にご迷惑がかかるわけじゃないし、好きなこと書いてやる!! ワハハ!!
(※コイツ心底気に食わぬッッ!!という方はお読みになられませんように。自衛の時代ですよっ)

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

おそらく上にズラズラと書いたあれやこれやの全てが私のアイデンティティってことなんでしょうネ。
ね、先生。どうですか先生。
せんっせーーーーい!!(アルコール入ってます。正気に戻ったら消すかも)
ぼっちの弊害はこういう時、だーれも相手してくれないところ笑


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