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認知症は母の新たな人生のスタート!

「母が認知症になってね」というと、たいていの人は「お気の毒に」という顔をする。そもそもがノー天気で超ポジティブキャラなので、いや、今、めっちゃ笑えるネタ言おうと思ってたんだけど……、と私の方が戸惑ってしまうことがある。

最初に断っておこう! 社会も人々も「認知症」を怖がりすぎだ! もうそれはコロナと同じで、わからないから恐れてしまうの典型パターンだ。確かに怖い病気ではあるかもしれないけれど、「正しく恐れる」という言葉があるように、まずは認知症にどんな症状があって、どんなことが起きるのかをもっと楽しく伝えてもいいんじゃないか、と私は常々思っている。

だって、母が認知症になってから、母のキャラ変、めっちゃ笑えるんだもの! そもそも私のこのノー天気、超ポジティブは、母から受け継いだものだったんだ!と思うほど、母は認知症になってから超絶、面白い人間になった。

認知症になってからの武勇伝はいくつもあるのだが、その中でもわりと初期にあったパワフルなものを紹介しよう。

母は60歳を過ぎてからフラダンスにはまり、地元の小牧市で行われる教室だけでなく、名古屋駅の百貨店で開催されている教室にも通っていた。もうフラダンスの熱中時代到来だ! 熱中しすぎて、ハワイにまで行ってしまったほど。

だから認知症の兆しが見えていても、もちろんフラダンスを辞めるという選択はなく。また一緒に長年通ってくれていた友人たちも、私たちがサポートするからとのことで、ありがたいことに続けられていた。これがどれだけ母の認知症の進行を防いでくれていたかと思うと、もう感謝しかない。

そう、認知症になっても、できるだけ今までの生活を維持すること、続けられることは続けるのがとても大切だと思う。家族は周りに迷惑をかけてしまうと、つい考えてしまうが、もし地域で見守ってくれる状況が許されるなら、できる限り、今までの生活を続けていくことが認知症の人たちの生きがいにもつながると思っている。

そんなわけで、名古屋まで1時間かけてフラダンスに通っていたのだが、ある日、最寄り駅での待ち合わせに遅れてしまった母は、ある突飛な行動に出た。

最寄り駅から名古屋駅までは電車と地下鉄を乗り継いで1時間だ。いつもの約束の時間の電車に乗れなかった母はとっさに考えた。もう一つ、我が家が名古屋駅に行く時に利用する駅がある。その岩倉駅から名鉄電車で特急に乗れば、名古屋駅までの所要時間は15分。

母は岩倉駅から名古屋駅へ行くことにした。単純な所要時間だけなら、この判断は正しい。しかし、問題は、今いる小牧駅と岩倉駅は6kmも離れているということだ。ここで冷静に判断ができればタクシーに乗って20分、電車の所要時間が15分だから、余裕で教室に着くことができ、レッスンの開始時間にも遅れずに済む。だが、ここでタクシーに乗るという判断が抜け、母は猛烈に自転車をこぎだしたのだ。

齢70歳を超えた老婆である。確かに足腰はフラダンスで鍛えていたかもしれないが、6kmの道のりを自転車で駆け抜けようとは。結局、5kmの地点で疲れ果てたのか、たまたまコメダが目に入ってしまったのかわからないが、母はそこでお茶をすることにしたらしい。

そして、その時点で初めて、自分の携帯に着信が何件も入っているのに気付いた。そう、心配した友達から数回、友達が父に連絡し、父からも数回、かかってきていたのに気づかなかった。そりゃ、暴走していれば、そうだろう。

不謹慎だ!と言われればそれまでだが、私はこの話を聞いた時、自転車で暴走する母が勇ましく、自転車屋の娘を誇りに思ってきた母らしいエピソードだと、お腹を抱えて笑ってしまった。

こうして、ほどなく、父が車で迎え行き、後日、その自転車を父と妹で取りに行き、母同様、父はそこから自転車に乗って、帰宅する羽目になった。その姿は妹曰く、よろよろと今にも倒れそうで、涙が出たそうだ。これにはさすがの私もちょっと涙が出た。

このように、認知症は脳に障害が起きる病気だ。だからところどころおかしなことが起こる。コンピューターでいうところの誤作動?だ。それをまず理解した上で付き合っていくことが肝心。もちろん毎日、こんなおかしなことばかり起きたら、笑ってばかりはいられない。私たち家族も何度も叱ってはいけない母を叱り、さらなる混乱を招いたことは数知れず。ただ、認知症=わけがわからなくなるわけではない。その不可思議な行動にも彼女なりの考えがあり、理由がある。頭ごなしに否定するのは、彼女たちの自尊心を木っ端みじんに砕き、自己否定がさらに認知症を悪化させるということがある。

私は母が認知症と診断された日から、いろいろな本を読んでみたけれど、一番納得できたのは、鳥取大学医学部の教授である浦上克哉先生が書かれた「認知症は怖くない」だ。これは認知症に対する不安感を払しょくしてくれるだけでなく、認知症とどう向き合っていけばよいかを具体的かつ優しくアドバイスしてくれている。

https://www.amazon.co.jp/認知症は怖くない18のワケ-浦上-克哉/dp/4903444171

この本の中に、私を救ってくれたいくつかの言葉がある。

●高齢者10人に1人のありふれた病気

●すぐには深刻な症状にならない

●よい環境で暮らせば、周辺症状は現れないことも

認知症は、ある日突然、何もかもできなくなるわけではない。今までできたことの一部が少しずつできなくなっていく。何もかも忘れてしまうわけではなく、一時的な記憶が抜ける。コンピューターでいえば、一瞬フリーズした状態とでもいおうか。記憶に障害が起きても、私が思うに思考がすべてストップするわけではなく、脳の中では別の部分がその部分を補うかのように働いていたりする。

その一つが言い訳がめっちゃうまくなる。

思わず突っ込みたくなる言い訳がすごい。まさに言い訳の天才だ!

そこを理解して、本人の言うことを頭ごなしに否定しなければ、案外、認知症とはうまく付き合っていける。

父と妹が当初、母の認知症を少しでも遅らせるために、本人に自覚を促そうと注意したり、叱ったりしたことはあまり効果がなかった。だから私はこの本を熟読するよう勧め、私が同居することになった際にも、母のやること、言うことをほぼ否定しない対応で、母との関係はすこぶる良好となっていった。

その結果、母が妹に言った一言、

「直美は50を過ぎて、ようやくいい子になったわ。ここまで長かったわ~~」だと(笑)。

認知症との付き合いは、笑いが不可欠! 心を広くもって、笑いのネタを探しに行こう。

そして、私は、これは母の新たなる人生の幕開けではないか!と思った。言いたいことをいい、やりたいことをし、食べたいものを食べ、嫌なことはすべて忘れ、都合よく書き換え、明るく生きる。

たぶん母はそうやって、自分の認知症を受け入れたのではないかと、私は思っている。


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