家族が認知症と診断された時の心は、まさに梅雨空だった(前編)
どんよりとした梅雨空が続く。さらにはここ数年は豪雨もあり、各地での被害に心痛むことが多い。しかし、この季節の変動を私たちはコントロールすることはできない。無慈悲に思える自然災害は、長い歴史の中で何度も繰り返されてきた。そのたびに私たちは自分やその周りの家族、生活を振り返ざるを得ない。それと同様、認知症の進行も私たちにはコントロールできない。そしてそれを知った家族は、自分たちの生活を振り返ることを余儀なくされるのだ。
認知症の症候はふとした日常の崩れからだった
認知症への誤解の一つに、ある日突然、何度も同じことを言う。訳が分からなくなる。異常行動を繰り返すようになると思われていることがある。しかし、それはあまりに身近だった家族が異変に気付かないことが多く、知らず知らずのうちに進行していたということも多い。
日々の忙しさで、家族のことなどじっくり観察することがなければ、容易に見過ごしてしまう小さな変化が多い。だから、気づいた時にはかなり認知症が進行しているというのが現状だと母の主治医は語っていた。
離れて暮らしていたからこそ気づけた母の異変
私が母の異変を感じたのは、久々に息子と帰省した日の夜ごはんだった。父は、その日まだ帰宅しておらず、母だけで出迎えてくれたのだが、夕飯のタイミングで家に到着したにも関わらず、ご飯の用意が何もできていなかった。普段から料理が好きではない母なら不思議に思うこともなかったかもしれないが、料理好きを自慢に生きてきた母にとっては、首をかしげる行動だった。そして、出てきた言葉が「何もないんだけど、ラーメン食べる? お茶漬けならあるよ」だった。戦前生まれの母は、私たち世代のように夕食をラーメンで済ませることは在り得ず、お茶漬けは夜食であっても、夕食にあらずというような人だった。
それでもすかさず、「今日は忙しくて、ばたばたしていて、買い物も行けていない」という至極全うな言い訳をするので、そうだったのか~と納得はしたものの、孫が帰ってくると喜んで、「何食べたい?」といそいそと料理をするいつもの母はそこにはいなかった。
家族の反応はまちまち、身近であるほど受け入れがたい認知症
早速、私にとってちょっとした驚きともいうべき出来事を、妹に電話で話すと、「たまたまだよ~。年寄にはそんなことはよくあるよ。久々に会ったからそう思うんだよ」と一蹴された。ただ、私の違和感はそれだけではなかった。到着早々にいつ帰るかを聞かれて、答えるのだが、滞在中、そのことを何度も聞いてくるのだ。それをみんながいるところではなく、私と二人きりの時にだけ聞く。そうして何度もカレンダーを見る。それが何回も続くので、私はカレンダーに記入した。するとちょっとホッとしたような顔になった。
認知症と判断されてからわかったことだが、認知症の脳の中には、「自分のこだわりやひっかかりにしつこくこだわる」というのがあるように思う。私たちの帰省がいつなのか、母にとってはとても重要で、覚えておかなければいけないことだという認識はあるが、すぐに忘れてしまう。そのひっかかりを何度も何度も繰り返す。こういったことが要所要所で起こるのだ。何も気にならず、スルーしてしまうことと、自分が気になって仕方のないことの区別はどこなのか、それは本人のみぞ知る。
結局、カレンダーに書いたにも関わらず、同じ質問を繰り返してくる母に、そのたびに「カレンダーに書いたよ」と見せては納得させていた。
少しずつ記憶が抜けていく。それはまるで砂時計のように
これは本当に初期の初期だ。でも私にとっては大きな変化だった。料理好きの母が料理をすることを忘れるというのは大きな驚きだったし、何より、本人が相当ショックを受けていたような気がする。認知症初期はスコンと抜けた記憶と正常な記憶の狭間で揺れ動く。その量がどんどん増えていくような気がする。まるで砂時計の砂が落ちていくように。
この帰省での体験が気になり、妹や弟に相談し、そして父に話をした。妹弟は認知症について調べ始めてくれたが、父は一向に認める気配がなかった。それは自分の配偶者が認知症になるという恐怖から逃れたかったからなのではと思う。父がそのことを認めたのは、専門医にかかってからだいぶたってのことだった。
ただの物忘れなのか認知力の低下なのか、その判断は医者でも難しい
私がラッキーだったのは、当時まだあまり認知症が周知されていない時代に、認知症の家族をケアした人の話を聞けたり、実際に認知症と診断された方と接する機会があったからだ。本当に認知症といえど、進行の具合はまちまちだし、その出方も千差万別だなと思う。ただ、私の実体験から言えば、どんな病気も「早期発見、早期治療」という言葉通り、これは認知症にも当てはまるなということだ。
冬休みの帰省から半年たち、ゴールデンウィークの帰省時、やはり母のおかしな言動は続いていたし、老人ボケで済ませられる気もするが、同じことを聞く頻度は確実に増えていた。認知症の初期症状と言われる、「買い物時に小銭計算が認識できず、紙幣で払ってしまい、やたら財布に小銭が増える」や「家事を面倒くさがる」なども出てきていた。どれも、それほど生活に支障をきたすレベルではないので、ややもするとそのぐらいは老化で片づけてしまう人がほとんどだ。
ましてや本人は絶対に自分が病気であることは認めない。いや、認めたたくないため、病院に行って検査しようなどは頑として受け入れない。家族はそこが一つの山場になると思う。
認知症を受けいれるために、まずは家族が認知症を恐れないこと
すったもんだのあげく、妹や弟が根気よく説得し「予防のため」や「定期健診」など、いろいろなことを言ってなだめすかし、ようやく病院の診断を受けてくれることになった。その際も「予防で受けるなんて、私の周りではそんな話は聞いたこともない」「じゃ、何でお父さんは受けないの!」と至極全うな問答が延々続くのだが、とにかくこの時点での家族の対応は、焦らず、怒らず一に根気、二に根気だ! 「やはり行かない」と受診を拒否し、キャンセルしたなどはよくあること。ただ、その関門さえ潜り抜け、専門医に見てもらえれば、早めの対策、早めの心の準備が家族側にもできるのだ。診断結果はやはり「アルツハイマー型認知症」で、小脳の縮みもあるため、早い段階で、歩行が困難になるかもしれないと診断された。
ただ、主治医から言われて嬉しかったのは、「この時期に連れてくることは本当に稀。認知症に入りかけたこのタイミングで、薬を飲めば、進行を緩やかにすることができる」との言葉だった。母にさんざん泣かれ、息子である弟は「母親を認知症扱いして」と非難までされたが、連れてきてよかったと思い、妹や弟と胸をなでおろした。そう、父以外は……。このタイミングに治療をスタートしたことで、進行が早いと言われるアルツハイマー型で、5年以上、通常の生活が送れたことは主治医も改めて驚いていた。もちろんそこには家族や周りのサポートがあってのことだが。
これからの時代、「認知症とどう向き合っていくか」が、大きな課題だと思う。できるだけ早期に発見し、徐々にこの病気にみんなが慣れていくことは必須だ。忘れることも多いが、その抜けた記憶の穴を家族や周りがサポートしていけば、暮らしていけることもわかった。これからの時代は、そんな対応が当たり前になっていくと思う。それは「認知症」に限らず、「がん」でも「糖尿病」でも、「気候変動」でも、「ウィルス」でも、同様に思う。私たちは変化を恐れる生物だが、変化を受け入れた人々には、その先の未来がある。新しい生き方、新しい生活は、受け入れるまで葛藤が続くが、受け入れた時点で、一歩前に進めているのだと思う。私たち子どもは、母の認知症を受け入れ、それぞれのできることを考え始めた。
しかし、その後一番の課題となったのは、年老いていく父のメンタルケアだったのだ。
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