私は私であれ。
どうしても許せないことがある。でもそれも手放してしまいましょう。さっさと許して水に流してさようならしましょう。
と、なんべんも思ったが許しきれない私は毎日ことあるごとにそれらを思い出してはねちねち思いにふけった。
どうやったって、許せん。
それしかないや。
頭にくる。
さっさと流すこともできずいつまでグジグジ引き摺るのかと自分に腹さえたつ。けれども。
許せん。
しつこい怒りとさっさと許して終わりにできない自分の懐の狭さに辟易する。
そして私は毎日引きずり出してきては許せん!とすることをやめた。そしてもう、許す許せない問題もそこへ置いてしまうことにした。
いちいち思い出してはなぜ私はこんなに心が狭いのだろうか?なぜ許せないのだろうか?と考えたけど答えは出ない。出せないままだ。
もっともっと悩み抜いたら考え抜いたら答えは見つかるかもしれない。それすらももう今の私は嫌になった。
どうしてかわからんが、許せんものは許せん。
だけどそれを日常的に引きずり出してきてとやかく言うのはもうやめようと決めた。
どうやったってどうにもならないBOXに入れておこう。許せないからといって赦せないことに苦しむ必要はもうない。許すも許さないも自分が決めていいことだ。誰かがとやかく言おうと構いはしない。
許せない私は最低でもないし卑劣でも非道でもない。心が狭いとかそれすらももう、考えるのもやめよう。
とにかく自分の心の平和を一番にしよう。
自分勝手かもしれない。けれど私の怒りを誰が代わりに引き受けてくれるのか?
私の生んだ怒りは私のものだ。だからそれが火を吹いてあたりを焼き尽くす前に手を打っておく。それがいい。
何もかもを許して聖人のようにはなれないけど私が私であれればそれがいい。