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【読書メモ】劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか(山口周)【#92】その2

続きです。

第3章 中堅・若手がオッサンに対抗する武器

社会で実権を握っている権力者に圧力をかけるには「オピニオン」と「エグジット」という方法があります。「オピニオン」とは、おかしいと思うことにおかしいと意見することで、「エグジット」とは、権力者の影響下から脱出することです。まずはこの2つの武器を意識することが大切になります。

劣化したオッサンは、最初から劣っているわけではなくて、ワクワクする仕事を追及することもなく、システムから与えられる理不尽さに対して何年、何十年ものあいだ妥協に妥協を重ねてきた結果として出来上がります。逆に言うと、オピニオンもエグジットもしないのは、不祥事に加担するのと同じです。

では、オッサンに圧力をかけたときに自分のキャリアが危険にさらされることに対してどうするかという対策は直球です。汎用性の高いスキルや知識などの「人的資本」と、信用や評判といった「社会資本」を高めることで自身の「モビリティ」を高めておくことです。「モビリティ」について、「モビリティが高い」というのは、場所によって自分の正味現在価値が変わらないということで、「モビリティが低い」というのは、スキルや知識の文脈依存度が高く、場所によって大きく自分の正味現在価値が変わるということです。

日本企業に長くいると「人的資本」と「社会資本」が会社の内側に閉じて形成されるので、まったくモビリティが高まりません。社外でも通用する人的資本と社会資本を形成するには、会社の外の人と一緒にいろんな仕事をするというのが一番良いことです。最近は少し緩んできていますが、副業や兼業の禁止が足かせになっています。私としては、収入を増やすための時間の切り売りのような副業ではなく、無償でも良いのでモビリティを高める副業をすることが大切かと思います。

劣化したオッサンを甘やかして、増長させるのがオピニオンとエグジットの欠如、つまり「フィードバックの欠如」です。誰も反論せず、誰も支配下から退出しないことが、自分がリーダーとしてそれなりの人望を持っていると勘違いさせているのです。逆に言うと、オピニオンもエグジットもしない配下の人々が劣化したオッサンを生み出しているのです。そして、劣化したオッサンによる、劣化したオッサンの拡大再生産が起きています。

実際に、数年前にコツコツと人望について調べたことがあります。自分が個人的に嫌悪しているだけなのか、客観的にこの人たちが劣化したオッサンなのかを知りたかったのです。当時は新入社員も含めてほとんどの社員約150人と顔見知りだったので、それなりの話ができる人たち約50~60人に上層部のメンバーについて尊敬できるかどうか、尊敬するところがあるのかどうか、という聞き取りをしていました。すると、ほぼ全員が「人として尊敬できるような人はいない」という結果でした。ただ、「この人のここだけは尊敬できる」という意見は2人からだけありました。一方で、では反論や指摘はしているかという話をすると「恨まれる(仕返しされる)からしていない」「面倒だからしていない」「会社だけで会うので興味ない」という3つの意見で100%でした。つまり、弊社は、劣化したオッサンを増長させて、次世代の劣化したオッサンを拡大再生産しているということが明確になっていて、とても興味深いなと思っています。実利世代もまた劣化したオッサン状態になってしまうのか、追従していた人たちが排除されて、実利に長けた人が立て直すことができるのか。

山口さんはオピニオンもエグジットも行使できな理由は「美意識の欠如」と「モビリティの低さ」を挙げています。確かに、上層部のモラルの低さを見ても何も感じない、もしくは意見したくないので妥協していると、自身の美意識も低下していくことは容易に想像できます。そんな環境に甘んじていれば、前述のモビリティの高い人にはなれないのも明確です。モラルの低い職場でのみ通用するような社会人になってしまいます。社内評価が低くなっても、出来るだけ社外の人たちと仕事をする機会を増やして来た私としては、方向性は間違っていなかったなと思っています。

第4章 実は優しくない日本企業 人生100年時代を幸福に生きるために

この章は短く、日本企業と外資系企業のシステムの差などが書かれていますが、重要なのは「3ステージモデル」が「4ステージモデル」になったということです。100歳まで生きることを考えると、60歳で引退して80歳程度で死ぬという3ステージモデルではなく、基礎学力や道徳を身に付ける0~25歳、様々なことにチャレンジし、スキルと人脈を築く25~50歳、それまで培ってきたものを基に自分の立ち位置を定めて世の中に実りを返していく50~75歳、最後に余生を過ごす75~100歳というモデルです。25~50歳のセカンドステージを「人生の仕込みの時期」としてではなく、とにかく目の前にいる上司から与えられる仕事をこなすだけの過ごし方をしてしまうと、教養も道徳もない劣化したオッサンが生み出されてしまいます。

第5章 なぜ年長者は敬われるようになったのか

なぜ暗黙の了解として「年長者は尊敬すべきである」という意味不明な命題が世界中にあるのかということを分析しています。

実際にコンピテンシー(高い業績につながる行動特性)スコアのデータからは、年長者ほど能力が高いという傾向はありません。山口さんの勤務先で行われた調査においても、全般的なスコアと年齢に統計的な相関は見られませんでした。

合理的な根拠がないのに信じられているということは、ただの「信仰」です。年長者に向かって反論する際に感じる心理的抵抗の度合いは、民族によって差があります。これは権力格差指標=PDIと定義されています。すると、PDIが低い、部下が上司に反論しやすい国ほどイノベーションランキングが高いという結果が得られています。そもそも画期的なアイデアを生み出す人は若い人が多いことが挙げられます。

PDIが高い(格差が大きい)国ほど、組織上のポジションが与えられれば、人望や尊敬、あるいは信頼関係などを抜きにしても、人に命令し、組織を動かすことができるということになります。これが、組織の上層部にいる人材を甘やかして増長させることは容易に想像できます。

マックス・ヴェーバーの「職業としての政治」の中で、人が人を支配するときの根拠が挙げられています。カリスマ的支配(本人の資質)、伝統的支配(従来からの習慣)、合法的支配(システムによる権限規定)の3つです。しかし、現在世界中で進行している「権力の終焉」というプロセスの中で、かろうじて合法的支配のみが残っているようです。企業や事業の短命化が更に進むと、システムについても終わりを迎えると考えられています。

ジェフリー・フェファーは「「権力」を握る人の法則」の中で、組織内で出世して権力を得た人は、優秀だから出世したのではなく、野心的かつ政治的に動いたから出世したのだと指摘しています。出世した人を敬うべきだと考えている人は、「強欲で権力志向が強く、プライドを捨てて上司におべっかを使う人を尊ぶべきだ」と同義なのです。

推論、思考、暗記、計算などの「流動性知能」と、知識や知恵、経験知、判断力などの「結晶性知能」について、流動性知能のピークは20歳前後にあり、結晶性知能のピークは60歳前後にあることが分かっています。しかし、現在のようにたった10年で景色や力学が大きく変わってしまう世の中で、「年長者ほど能力も見識も高い」という前提は、おそらく今後は成立しえないでしょう。

第6章 サーバントリーダーシップ 「支配型リーダーシップ」からの脱却

では、逆に劣化したオッサンにならないためにはどうしたらよいか?という答えが、権力に頼らない「支援的なリーダーシップ」つまり「サーバントリーダーシップ」という概念です。

支配型のリーダーは、現場の実情や市場の競争状況と乖離した過去の知識や経験を基にして独善的に指示するばかりで、現場からの声を傾聴することがなければ、その組織の士気はこれ以上ないほどに停滞し、無気力状態に陥ると書かれています。まさに弊社で起きていることですし、多くの会社で起きていることでしょう。山口さんはその状況を「ソコソコの大学を出てソコソコに働いている」のに、家庭でも会社でもリスペクトされず、邪魔者扱いされるという状況を生み出した「社会」に対して、一種の怨恨を抱え込んでいると言っています。劣化したオッサンは尊敬されないので、自分の命令を聞かせることにこだわり、指示が間違っていても言い訳ばかりで、でも対価となる報酬は人よりも多く欲しがっているという印象です。売り上げが下がっているので、職員のボーナスを減らしても役員報酬は満額確保するという弊社のスタイルが正にそれだと思います。

では、サーバントリーダーシップはどうなのか。オッサンたちがサーバントリーダーシップを発揮するには、若手・中堅がイニシアチブを取って動こうとすることが大切なようです。リーダーシップというのは関係性の概念なので、リーダーとフォロワーの両方がともに変わることが必要だということです。

しかも、サーバントリーダーシップには良いところがあります。それは、フトコロさえ深ければ、サーバントリーダーは「バカでも構わない」のです。具体的な知識やスキルは無くても支援はできます。その人が持つ人脈や金脈をフルに使って、若手・中堅のイノベーションを支援することが大切なのです。

第7章 学び続ける上で重要なのは「経験の質」

著者は、人間の成長は学習という概念と深く関係しており、学習は「経験の質」に関わっていると書いています。「経験の量」ではありません。「学習とは変化することである」というのは単なるメタファーではなく、物理的な事実です。つまり、人の脳が変化するということです。

30年間同じ仕事をしてきた人は、30年の経験があると言いたがりますが、著者は「1年の経験から学び、あとは同じことを29年繰り返した」と言うべきだと、辛辣に語ります。学習を駆動させるには、色んな仕事を、色んな人たちと、色んなやり方でやったという「経験の多様性」が、良質な体験をもたらすことが大事なのです。チクセントミハイによると、類稀な業績を残した人々は、高齢になっても創造性を維持し続けているという特徴を持っていました。彼らは常に「人生のアジェンダ」を明確に設定して、それをクリアするために日々、学習を続けていました。劣化したオッサンは「1年の経験から学び、同じことをウン十年繰り返した」結果として、劣化してしまったのです。しかも、多くの企業において「経験の質」を決定する仕事の割り当ては、管理職であるオッサンたちによって規定されてしまうという悲劇です。

人材育成の世界では有名な「70:20:10の公式」というのがあります。個人の能力開発の70%は、実際の生活経験や職業上の経験、仕事上の課題と問題解決によって発生します。直接学習と呼ばれます。次の20%は、職場や学校などで模範となる人物(ロールモデル)から直に受ける薫陶(対人的学習)や観察と模倣から起こります。間接学習と呼ばれます。最後の10%が、学校や研修などのフォーマルなトレーニングです。つまり、「職場で良い経験をする」ことが、個人の成長にとって決定的に重要だということです。

人材が育成できていないということは、よい業務経験を積ませてあげられていないということです。イコール、よい業務経験を積めるような重要なポジションに年長者が居座って全然どかないからです。もう一つは、リーダーシップが停滞しているからです。良いリーダーが良い体験によって作られ、次の世代に良い体験を与えて次のリーダーが育成されます。戦後の第一世代、彼らから直接体験を受けた第二世代まではいたのですが、第三世代(劣化したオッサン世代)を育てられず人材プールがスッカラカンになっているのが現在です。

権力は弱体化するときに、その支配力を強めようとします。昨今の「劣化したオッサン」による各種の傍若無人な振る舞いはまさに、終焉しようとしている権力システムがあげている断末魔の叫びだととらえることもできます。弊社では、昨年の夏に「部長職」がいなくなりました。なぜなら、役員が部長を兼ねるからという説明でした。一方で、仕事は出来ないので各部署には今までなかった「副部長」を新たに置いています。そして、仕事はできないのだけれど最後の部長決裁だけは役員が行うという謎のシステムになりました。その後に同じ役員が役員決裁を行うので、欄外に副部長の決裁印を押して、部長の欄には役員の印鑑、役員の欄にも同じ印鑑を押すという、2重押印システムで動いています。いまだに誰も2回押す意味が分かっていません。このシステムが支配力を強めるためだと考えるととても腑に落ちます。劣化したオッサンたちによる権力支配の終焉が迫っていることの証左だと希望が持てます。

青年時代は知恵を磨くときであり、老年はそれを実践するときである。(ルソー)で思い出しました。弊社では勉強するための本を買うのが禁止になっています。2~3年前に新入社員が入ってきたときなどに、新入社員教育が弱い会社であることやOJTが行き届かないまま放置されることが多いので、必要な専門知識や、取ることを会社から奨励されている資格の本を新入社員に買い与えて自主的に勉強してもらう機会を増やしていました。すると、勉強するための本は買わないでくださいと会社から通達が出るという前代未聞なことが起きて、現在も勉強するなら自費でこっそり買わないといけません。勉強したりスキルを向上させることを禁止されるという、言われてことだけ繰り返した結果出来上がった劣化したオッサンが支配する会社です。おそらく、勉強されると自分たちの無知がバレるので、何とか食い止めようとしているのだと思います。

第8章 セカンドステージでの挑戦と失敗の重要性

最後に「4ステージモデル」についての話が出てきます。3ステージモデルに比べると、人生のピークがかなり後ろにシフトするのが特徴です。つまり、仕込みの時間が長くなります。セカンドステージの過ごし方が、数十年後に到達できる人生の高度を大きく左右することを意味します。大切なのは「学びの密度を上げる」ということになります。「同じ入力に対して、より良い出力を返せるように自分というシステムを変化させる」ことです。

ポイントの一つ目は、何かを止めないと色々なことにチャレンジすることが出来ません。セカンドステージにおいては、自分はいったい何ができるのか?ということを見極めていくことが必要です。良質なチャレンジをするためには「見せかけのチャレンジ」に自己満足しないように気を付けなければなりません。セカンドステージで大切なのは、成功することではなくてチャレンジすることです。本当のチャレンジとは何か?「ストレスがかかってない状態であれば、それはチャレンジではない」ということです。

2つ目のポイントは、学びの量は失敗の回数に正相関すると言えます。失敗のダメージが小さいセカンドステージでたくさんチャレンジして、自分なりの「失敗マニュアル」を作ることでサードステージで大胆なチャレンジができるようになる土台を作ることが大切です。

3つ目のポイントは、「逃げる勇気」です。挫折して逃げるけれども、ただでは逃げない。盗めるものはできるだけ盗んで、次のフィールドで活かすことが大切です。フィールドを越境して移動しているからこそ、知識や経験の多様性が増加して、やがてユニークな知的成果の創出につながります。それなりに頑張っているけれどもしっくりこない人は、「逃げる勇気、負ける技術」が無いからなのではないかと考えてみることも必要です。

最終章 本書のまとめ

簡単に本を振り返ることができるので、助かります。

おわり


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クロネコ@太極拳から学ぶ会
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