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全ては自分の選択の上に成り立っている

※注意


この事例は、割りと恵まれた家庭に生まれたのに、被害者意識でいる人間の哀れな自白です。
生まれに関しては自分の選択ではないのでどうにもならないと思います。
こんなの前提条件が合わない!とかそういうのはお門違いなので、読んでイライラしてしまったら紙に書いて分析してみるといいですよ

なぜ自分はこんなにも不幸なのか

なぜこんなにも思い通りにならないのか

なぜこんなにつまらない人生なのか

そもそもなんのためにに生きているのか?  

と 考えてしまうことがままあるだろう。

考えたことがない人もいるだろうが、私は結構な頻度で考える。

なぜそんなことを考えてしまうのか?

ある瞬間にふとひらめいたことを書き記したい。

きっかけ

気付きは突然だった。

ある日嫌なことがあり、ストレスが頂点に達した私は死にたくなったし
自分の不幸さを嘆いていた。

そんなとき、
「あれ?でもこの不幸は自分が選択してきた結果じゃないか?」
という方向に初めて意識が向いたのだ。
30余年。これに気付くのにずいぶん時間がかかった。

この気付きとともに、私の無意識下を流れる被害者意識に関して目が向くようになった。

なぜ被害者の意識でいるのか?

出自の影響

この事を推測するに、私の育ちに原因があったと今では考える。
私の両親は公務員で、生活に関しては何不自由なかった覚えがある。
しかしながら、生まれ育った場所は地方の田園地帯。
いわゆる田舎で価値観が凝り固まった地域であった。

他の家庭に比べれば両親はマシだったとは思うが、それでもやはりステレオタイプから抜け出すことはできず、両親の世代の価値観に強く影響を受けた。

「安定」「地味」がスローガンだった私は、地元で真ん中レベルの高校を選び、安定した職業につけそうな大学・学部を選び、そうそう潰れないような会社に入社した。

もしかしたら人から羨ましく思われるくらい安定した人生を歩んでいるのかもしれない。

しかしこんな感じでも、自殺願望か破滅願望がいつも隣りにいた。

自分のやりたいことが見つけられずにいた

自分のやりたいことがわからなかったのだと思う。

なにせ、根底にあったのは自分を喜ばせたいのではなく
親を喜ばせたかったからだ。親を喜ばせることが自己肯定につながったからだ。

無意識との乖離は思っているよりも心身ともにダメージを与えていたのだ。
それが負の願望につながってしまっていたのではないか?と考える。
結果的に、自分で道を選択してきたように見えて、親が喜ぶ選択をしてきたのだ。

そしてこれに関して、親は全くそういう意識がない。
「お前はすべて自分で選んできた。すごいことだ」なんて言われた(実話)

親を信仰していた私には最大級のご褒美ではあったが
これ、どうなの?

被害者ヅラ

ダラダラと書き記したが、
表面的には自分で選択してきたように見えるが
自分の中では消去法でしょうがなく選択して生きてきたのだ。

そこに主体性がないので、自分で選択したという実感がない。
無意識下では被害者意識が芽生え自分は不幸であるという考えに至るのだ。

結果は原因があるから生まれる
当たり前の事だと思うが、これを実感していない人結構いると思う。

選択がすべてを作る

こうだよなぁ、という思いつきを以下に記したい。

身体の状態が選択の結果である。というのが一番わかり易いと思う。

まず、体を作るのは食べ物だ。
体にあったものを正しく正確に食べ続ければ健康でいられるはずだ。
不摂生を繰り返せばそれに応じて、体は不調をきたしやすくなる。

病気になりやすさということであれば遺伝病も選択の結果だ。
解釈が広がってしまうが遺伝子も選択の歴史で、先祖を辿ればどういった選択をしてきたか?で決まる。

ある事象が延々と続き、結果として噴出するのは
自明であると言えるだろう。


三十路、自律する

社会にでて、結婚もした。
親から離れて過ごす時間が増えたことで少しずつ自律した考えが生まれた。自分の欲求をメタ認知する能力が芽生えてきた。
その状態で行う選択は今までとは少し違ってきた。

もしも地元に戻り、両親と暮らしていたら
いつまでも不幸だと思い、被害者ヅラしていたかもしれない。
もしかしたら思考を止めて、幸せだと思っていたかもしれない。

今の私にとってそれは不幸ではあるが、当事者になれば不幸ではないかもしれない。

ただ確実なのは、被害者ヅラし続けていたであろう、と言うことだ。
そうならなくて、本当に良かったと思う。


選択するということはこれからの自分を積み上げるということだ。
言い方を変えれば、自分は選択が積み上げたものだ。

もしそれが何かしらの影響をうけていたとしても
選択した事実は変わらない。それが選択するということだ。

もしもネガティブな感情が湧いたら、
選択した結果でしかないと考えれば少しは楽になるのかもしれない

※補足
自己責任という強い言葉で締める気は毛頭ない。
結果である事象なんだと考えればよい。というお話だ。


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