見出し画像

考えながら書くのか。考えてから書くのか。あなたはどう思いますか?

考えながら書くのか、考えてから書くのか。

文章の書き方には大きく2つの種類があるように思います。

「どちらがすぐれているか」というわけではなく、どちらの書き方でも書けるといいなと僕は思います。

今日はそのお話をしていきますね。

考えながら書く

「考えながら書く」をたとえるなら当てのないドライブです。

特に伝えたいこと(=目的地)が決まっていないので、あっちに行ったり、こっちに行ったり自由に思考を巡らせることができます。

それにより、自分でも思いも寄らないところに文章の着地点が見つかります。

文章に精通した先輩の言葉を借りると、

何を書くかあらかじめ知って、書いたことがない。じぶんが惹きつけられる何かがそこにある。その何かを見つけるために、じぶん自身がそれを知りたいために書く。

長田弘(詩人・児童文学作家)

たしかに自分の考えを明らかにするために書くと、忘れていた夢を思い出したり、大切にしている価値観を再認識したり、物事を違った角度から捉えられたりできます。

思考を深めたいとき、感情を整理したいとき「考えながら書く」ことが手助けしてくれるように思います。

一方で「考えながら書く」には

  • 途中で言葉が出てこなくなり続きが書けなくなる

  • 思考が広がりすぎて着地点が見つからなくなる

側面もあります。

でも、途中までしか書けなかった文章や話が二転三転してしまった文章があったとしてもいいと思いせんか?

まったく関係ないと思っていた考え同士が時間が経つことによって結びつくことがあるからです。

また、新しい体験をしたり知識を得たりすることで、ふいに考えの続きが思い浮かぶこともあります。

「考えながら書く」には考えと考えの化学反応が起こる可能性を秘めていると僕は思います。

そんな行き当たりばったり感を楽しみながら、自分を明らかにするために書くのが「考えながら書く」行為ではないでしょうか。

考えてから書く

「考えてから書く」をたとえるなら行き先の決まったドライブです。

伝えたいこと(=目的地)が決まっているので、そこから逆算して構成(最適なルート)を考えます。

伝えたいことによって、

  • なぜそう思ったのかという理由

  • その理由を裏づけるための根拠

  • 光景が浮かぶような具体的な描写

  • 自身の経験と重ね合わせたエピソード

が構成に加わります。

つまり、伝えたいことという目的地を設定し、理由や根拠、情景描写、エピソードといった中間地点を通過しながら向かっていく。

「考えてから書く」ことは理路整然とした文章を早く書くことができる利点があります。

一方で「考えてから書く」には、そもそも伝えたいことがないから書けないという状態になり手が止まることがあります。

たしかにnoteを書く前の僕は生活をしている中で、わざわざ文章にして書きたいことはありませんでした。

でも、noteを書くようになってから日常を注意深く見てみると「あっ!」と心動かされたことがたくさんありました。

「考えて書く」には、伝えたいメッセージがあることが前提です。

そして、伝えたいメッセージとは人や物、自然とのつながりの中で生まれた感動だと思います。

感動は大きく2つに分けられます。

ひとつは本を読んだり、映画を観たり、自然に触れたりして自分の外から得られるものです。

もうひとつは一生懸命に何かに取り組んで、それを達成できたときなど自分自身が何かをやって得られるものです。

つまり、自分の中の感動の正体をつかむためには「なぜそう思ったのか?」「何が心を打ったのか?」を考えながら書くことで明らかにする。

考えながら書いて突き止めた感動の正体を、誰にでもわかるような理路整然とした文章にするために考えてから書くことがあるように僕は思います。

書いては考え、考えては書く

考えながら書くのか。それとも考えてから書くのか。

考えることと書くことの2つの間に、線を引いて、きっちり分けられるものではありません。

でも、もし書く順番があるとしたら、文章を書く起点は、きっと考えながら書くだと思います。

そして、伝えたいこと、伝えるべきことが明確になるから「何を書くか」「どう書くか」の構成を考えられる。つまり、考えてから書くへとつながります。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集