人から喜ばれる文章を書くには?日常からメッセージを引き出し「記録」から「作品へ」と変える考え方
自分が書いたもので人が喜んでくれたり、触発されたり、読み手にいい影響を与えられたと感じられることは書く喜びのひとつだと僕は思います。
というのもnoteを書いていると「そんな考えがあったんですね。勉強になりました」や「その言葉に勇気づけられました。ありがとうございます」とコメントをいただけることがあるからです。
言葉は人を励まし癒す力と、貶し傷つける力の両面を持ち合わせています。
だからこそ自分が書きたいことで、自分にしか書けないことで、結果的に人に喜んでもらうという文章を目指したいものです。
では、どうすれば自分の文章で読み手を喜ばせることができるのでしょうか?
あなたが書いた文章が、読んだ人への贈り物(ギフト)となるような「記録から作品へと仕上げる考え方」について書いていきます。
記録から「作品」へと変えるには?
誰かの文章を読んで「よかったな」と思えるのは、そこに感動があったり、おもしろさがあったりしたときではないでしょうか。
ラーメン屋さんに行って「食べたラーメンがおいしかった」の感想だけでは、ただの記録です。
でもラーメン屋さんに行って気づきや発見、教訓などを見つけ、それを文章にしたのなら、それは立派な作品だと僕は思います。
つまり記録から作品に変える方法は、
「それ、わかる」の共感
「たしかにそうだ」の納得
「えっ!そうなんだ」の発見
「その考えもあるな」の気づき
など読み手の心を動かす「何かしらのメッセージ」を文章中に盛り込むことです。
人は1日に6万回も思考を巡らせていると言われ、その中には気づきや発見、教訓なども含まれています。ただ、無意識に忘れ去ってしまっているのでしょう。
古代ローマの政治家カエサルは「人は見ようとするものしか見えない」と言いました。
だから、メッセージを探そうと日常に目を凝らせば、きっとメッセージは探せるはずです。
日常からメッセージを見つけるには?
日常からメッセージを見つけるには、あなたが体験したことの中から、ほかの場合にも当てはまるような法則や教訓を導き出せないかと意識してみましょう。
時代や場所を超えて、すべてのものに当てはまることを普遍性(または普遍的)と言います。
偉人の言葉が語り継がれているのは、物事の本質を捉えた普遍的な教訓だからでしょう。
とはいえ「名言を絞り出さなきゃ!」と身構える必要はありません
おばあちゃんの知恵袋のような「たしかにそうだよな」と思えるメッセージで大丈夫。むしろそのほうが親しみやすく、腹落ちしやすいと思います。
では、実際に僕が体験したことからメッセージを引き出すとどうなるか。一緒に見ていきましょう。
体験したことからメッセージを紐解く
僕の趣味は休日にラーメンを食べに行くことです。
人気店や有名店はもちろん街の小さな中華屋さんまで、まだ行ったことないお店を探しては食べに行きます。
その中でも「また食べに行きたい!」と思うお店と「一度きりでいいか……」と思うお店に分かれます。
あるときふと「その違いってどこにあるんのかな?」と考えたことがあるんです。
それは店主さんの「人柄」。
入店の「いらっしゃいませ」から退店の「ありがとうございました」まで気持ちのいいあいさつ。
テキパキと動きつつも物腰の柔らかな接客。そして、スタッフを気づかいながらの的確な指示。
そのおかげで店内の雰囲気は明るく、一緒に働くスタッフさんも生き生きとしていました。
「場にいい空気が流れている」なんて言いますが、もう一度行きたいと思うお店は、まさにいい空気で満ちていました。
では、このエピソードを普遍化するにはどうすればいいでしょうか?
このようにメッセージはひとつではなく、体験したことからどんなメッセージを紐解くかが「個性」になります。
そこに正解、不正解はなく、あなたがどう感じたか、どう考えたかという意見が大切です。
体験したことから教訓、法則、概念を導き出すのは「一瞬のひらめき」です。
時には捻り出すこともありますが、多くの場合は「そういうことかも!」というひらめき。
それを逃してしまわないためにも常に手元にはメモを用意しておきましょう。
限られた時間で何を書くか?
10分でサッと書けるときがあるかもしれませんが、やっぱり文章を書くのは時間がかかります。
そして、人に与えられた「人生の時間」には限りがあります。
つまり、文章を書くことは文字どおり「限られた人生の時間を注いで書いていく」ということです。
1年は52万5,600分。
1日は8万6,400秒。
貴重な時間を注いで「書く」とするのなら、あなはどのような文章を書きますか?
自分の文章で読み手を喜ばせることはできないかと、今日からちょっと意識してみませんか?