生きてること自体がコンテンツ
文章を読むのも書くのも僕は好きだ!
今はそう心から言える気がします。
子どもの頃から読書好きな母の影響を受け、また自身も本に興味を示してよく学校の図書室に通い詰めていました。
とくに小説が好きで、ちょっと嫌なことがあったり、悩みがあると物語の世界は僕をいつも優しく包み込んでくれます。
どこでも本を開いて活字に書いてある世界にのめり込むだけでこんなに落ち着くのはなぜだろうと思うくらい、僕は読書にのめり込んでいました。
でもいつしか、「読む」ということだけでは物足りなくなってしまった自分がいたのでしょう。
どうしたらこんな世界が書けるだろう?
自分もこんなふうに誰かを魅了する文書を書きたい!!
そう思って細々とプロットっぽいものを書いていた頃を思い出します。
また、社会や自分に対する思いを綴った詩や短歌などもよく書いていました。
でも、その文章を書いて誰かに見せるというのはあまり自信がないと思っていました。誰かが見ていいと言ってくれる文章なのかと自分の文には迷いがありました。
そして自分になんか文章的才能はないと勝手に諦めていました。
でも最近、小説を書いてみたり、このnoteというサービスに出会ってから気づくことがありました。
それは、文章を書くよりも内容(コンテンツ)をいかにどう自分の中からひねり出すかということです。
それは文章の能力を向上させること以上に難しいもののような気がしていました。
でもそうじゃないんです。コンテンツを探すのは難しいけれど、意外に簡単だということに気がつきました。
自分の生きて感じること自体がコンテンツなのです。
カフェに行って、このパンケーキ美味しいを美味しいと感じた。
こんなことを日常でやっている。
友人とこんな話をして解決策を見出した。
これ自体が、コンテンツになりうる存在だったのです。
そんなことをnoteのクリエイターの方々の文章を読んだり、自分で書いたりして感じました。
もちろん、生業にしているようなクリエイターさんが書く文章は普段、どんな考えを構築しながら生活しているのだろうと思うくらい書く言葉や考えはとても魅力的です。
そういうふうになれるように自分も自分の中の考えや体験をもっともっと育てて行かなければならないなと思います。
この文章を読んだ人は、ぜひ自分の思いを文章にして欲しいです!一緒に言葉を書いてnoteを盛り上げていきましょう!!
またすでに書いている人は、僕がどんな文章をこれから書いていけるのか見守ってくれると嬉しいです。
よろしくお願いします!!
この記事を読んでいただき、ありがとうございます。それではまた!