漫画が教えてくれた、家事の本当の意味
わたしは58歳、IT企業に勤める会社員です。長年、システム開発に携わり、特に外国為替システムの担当をしていた頃は、現地との時差の関係もあり、ほぼ24時間体制で働いているようなものでした。
仕事は大好きでしたが、その分、家事にはほとんど何もしてこなかったのが現実です。
妻には、子どもの教育をはじめ、家事全般を任せきり。
そんな生活を送る中で、定年後の将来のことを考えると、このまま家事を何もできないのはまずいと考え始めました。
そこで、数年前に勇気を振り絞って妻に相談し、マンションのゴミ出しから始めることに。
小さな一歩でしたが、ゼロからイチになった喜びは大きく、大きな達成感がありました。
そんな折、テレビドラマ「ミステリ―と言う勿れ」を観ました。
田村由美さんによる大人気漫画を原作としたドラマです。
大学生の主人公 久能 整クンが事件についてだけでなく、まったく関係のないことでもひたすら長文で語り続けるスタイルです。同時に、彼の語りによって事件が解決に導かれたり、行き詰まっていた関係者の心が救われる物語です。
ある事件の捜査のなかで、赤ちゃんが生まれたての刑事が整クンへ不満めいた相談をします。
・俺は外で刑事としてがんばってる
・俺も家事をやっている
・今日だってゴミ出しをやったのに、妻は不機嫌だ
そこで、整クンは淡々と赤ちゃんの世話の大変さと「ゴミ置き」と「ゴミ出し」は違うことを的確に説明します。
このシーンに、私はハッとしました。
自分がこれまでやっていた、玄関からマンションのゴミ捨て場へ袋付めのゴミもっていくことは、正に「ゴミ置き」で、それに至るまでには見えない家事があり、それらを含めて「ゴミ出し」なんだ。
衝撃を受けた。
なんたる勘違い。
妻に聞いてみました。
「これって、「ゴミ置きだよね」」と。
妻は笑って「そうよ。ゴミ置きよ」と応えた。
「それで、いいの?」
「それが、いいわ。
あなたは変わろうしている。
わたしが指図することじゃない。
マネジメント能力はあるんだから、家の全体を見るようになれば、
いつかわかるわ。そしたら、変わるでしょ。」
わたしの好きな家事は、妻公認の「ゴミ置き」である。
想像していなかった未来だ。
家の管理職へ昇格するにはこれから何年もかかるかもしれない。
けれど、担当者として精一杯、自分の責任を果たしていこうと思う。
見えない家事の尊さをかみしめつつ、妻に愛想をつかれない間は。
(1022文字)
一人暮らしであれば、家の心地良さも家事もすべて一人(自分)です。
家の心地良さだけではなく、健康もすべて一人(自分)です。
でも、どうでしょう。お子さんが生まれた瞬間に赤ちゃんは独りでは生きていけません。子を産む母親は妊娠が分かったときから出産するまでカラダと時間をかけていやおうなしに変わらざるを得ないと思います。
なので、赤ちゃんの環境(食事、掃除、健康)を整える戦闘態勢、一歩前に出る動きは母親のほうが優れており、母親のパートナーは手伝うという意識になるのだと思います。
生きているうちは母親が中心なんだろうと思います。
母親に生かされているからです。
一人になったときに家事ができるような大人が増えるとよいとおもいます。
空気、水、太陽と同じように生まれたときからあると錯覚すると、その前提を変えることは難しい。
「山の上の家事学校」が学校や職場で読まれる未来を想像したいものです。