人の色恋に対する接し方が変わった
「え~お前、〇〇のこと好きなん笑」
人の「誰かが好きだ」という気持ちをからかった過去がある。
中学生の頃だろうか。
修学旅行中に告白した友達のことをからかった。
「からかう」というものは、ある程度仲が深まった相手に対して行う「イジり」というか「心をつっつく」ようなノリである。
ノリと言ってもしょっちゅうからかえば”イヤな人”になってしまうので、頻度と加減が大事なのだが、当時の僕はタイミングと加減を間違えたと思う。
たしか友達はフラれたはず。
「好きです」と気持ちを伝えただけなのか、「付き合ってください」と交際まで申し込んだのかは覚えていないが、事が終わったあとそいつは落ち込んでいたから。
そんな状態の人に対して「〇〇のこと好きなん笑」と煽るような言動は、まぁまぁなやらかしである。
そんな思春期丸出しの中学時代を経て高校に入ると、周りにカップルが増加した。
「俺、彼女できたんだ」と部活の仲間に告げられた時は、「そうなんだ。おめでとう」と祝福の言葉を投げられるくらいには成長した。
今もそうである。
スズキ感謝さんの「好きな人からチョコをもらえるだろうか」というドキドキした気持ちを綴っているこのnoteを読んで、僕もそわそわしているのである。
チョコをもらえるように祈っているし、もらえなくても「もらえるような人になる」と決意を表していることに感銘を受け、応援したいと思っている。
少なくとも「お前チョコ欲しいの笑」と冷やかすような、ダサい中学生男子の僕はここにはいない。
それが不思議なんだよね。
恋愛や異性、そして性欲を「いけないもの」、「変なもの」と捉えていた中学生の僕の感情が、どういうわけだか高校生になって薄れていき、今の僕は感じられなくなっている。
その理由が「誰かを好きになったから」だったら、文章として王道の展開を描けるのだが、中学高校で誰かを好きになったことはなかった。
「好きがわからない」から「からかう」っていう行動は、幼稚だが原理としては成り立っている。
だけど「好き」がわかっていないのに、それを軽んずることが無くなったのはよくわからない。
正直、もうここで終わってもいい。
本当に結論が無いんだもん。
「人を好きになる」ってことを経験したからからかわなくなったとか、からかわなくなったことで「人を好きになれた」とか、そんなストーリーが無いんだもん。
もしかしたら、そんなストーリーを欲しているからかもしれない。
「無いものねだり」というやつである。
引用したnoteような恋愛の実録でも、アニメやマンガみたいな創作でも、「恋愛」というものはいいなと思う。
上手く行ったらぽかぽかとした温かな気持ちになるし、叶わなかったら苦しくなるし、土壇場の大逆転があったとしたら「リア充爆発しろ」とつっついてみたりしてね。
「恋愛」という設定は、自分を物語の主人公にしてくれる。
なるほどね!
主人公に憧れていて、「羨ましい」って思ってるのか!
憧れをバカにするってことはしないもんね。
だからからかわなくなったんだ。
人って不思議なくらい恋愛するよね。
どこで習ったんだろう。
僕もしてみたい。
恋してみたい。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【引用noteとその後について】
【あとがき】
「恋愛経験が無い」って恥ずかしいことなのだろうか。
書いてて少し恥ずかしいんだよね。
初対面の人と話す時に「趣味は?」みたいな好きなことを聞く場面があるでしょ。
そこで「趣味無いです」って答えられたら会話の糸口が無くなるじゃん。
そんな感じの「取っ掛かりが無い人」になってる気がして恥ずかしい。
でも、こればかりは巡り合わせだとも思う。
そうやって巡り会えて、恋ができている人は、それを大切にしてな。
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