あなたは「大人」?それとも「子ども」?
大人と子どもの違いってなんだろう?
僕は「成人」に分類される年齢である。
僕は二十歳で成人と言われてた時の成人であり、初めてのビールはものすごくまずかったことを記憶している。
しかし「大人になった」という認識はない。
お酒はほとんど飲んでないし、たばこは未経験のたばこ童貞。
未だに「自分は大人だ」と口にしなければ自分の年齢がわからなくなるくらいである。
かといって「まだ子どもか」と言われるとちょっと違う。
わがままではあるけど、時と場所はわきまえているつもりだ。
先日坂道を上っていると、向かいから自転車で坂を下る親子とすれ違った。
すると親子の後ろから車が来た。
別に大したことのない日常である。
しかし子どもがしきりに「車が来た!危ないよ!車が来た!」と叫んでいた。
なぜあんなに叫ぶのだろう。
今の僕はそう思うが、その子どもの感情は昔の僕も感じたことがある。
たしかに後ろから迫る車に気がついていない親が心配になる。
しかし親が車に気がついていない訳ないのよ。
それを当時はわかっていなかった。
自分が後方におり、後方の目となり危険を察知したら親に伝える。
家族は隊であり、自分はその一角を構成している隊員。
戦隊ものや仮面ライダー、今時は『鬼滅の刃』もそういうのに影響を与えているのかな。
とにかくこの荒波を一家全員で乗り切る。
そのためには自分がしっかりしなくては!
そんな気持ちが子どもにはあるのだ。
だから他人がいようとお構いなしに叫ぶ。
しかし大人はそれをしない。
赤の他人にこうやってnoteのネタにされることを「恥」と思うから。
そこまで大げさには考えなくとも、後ろの車くらいで一家が転覆しないことはわかっている。
それよりは今の物価高騰の方が危機なのだ。
大人と子どもの違い。
それは「自分の視点でものを見る」か「自分は人からどう見えているかを見る」かの違いである。
子どもは「自分に価値がある」と思うから声高に主張を叫ぶ。
大人は「自分は社会との繋がりで生きている」という感覚があるから、車が避けることを信頼しているし、物価高騰を懸念する。
少し大人の説明が下手に感じる。
これは僕が「子ども」だからかもしれない。
こうやってnoteを書いている身である。
自分の視点に「価値がある」と思っているからそういうことをするのだ。
僕が「大人」だったら、聞かれたことにのみ答え、言われたことをやる生き方をしているだろう。
しかし現代、聞かれたことを答えるのはChatGPTがやってくれる。
言われたことをやるのは機械の方が正確である。
さて、「大人」は必要か?
これは年齢の話ではない。
もちろん体の成熟度の話でもない。
性能の話である。
周りの目を気にして行動を起こさないでいる「大人」より、自分の想いに素直でいる「子ども」の方が楽しいのかもしれない。
ただ、「子ども」でいることが正解だという話でもない。
時代的に「子ども」でいる方がブルーオーシャンなだけである。
ほら少子化だし。
子どもが増えれば「子ども」でいることの価値は下がる。
純正の子どもがいるんだから偽の「子ども」は必要無いでしょ。
その純正の子どもが少なくなっている。
だから大人と言われる年齢で「子ども」の性能を持ってる人がのし上がる。
伝えたいビジョンは浮かんでいるけど上手く言語化できないな。
これらを表現できるほどの知性も経験も無いってことかも。
やはり僕は「ガキ」である。
以上!くろだでした。
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