「団結」の薄気味悪さ
こんばんはのようなこんにちは、くろだです。
今日もnote、読んでいってくださいな。
ということで早速だが、「団結」というものについてあなたは何を思うだろうか。
「優勝目指して頑張るぞ!!」と、学生時代の体育祭や合唱祭を思い出すだろうか。
働いている人ならば、売上目標というものを目指して「団結」することもあるだろう。
最近で言うならば、応援している候補者が当選できるように「団結」しただろうか。
社会という群れを形成するヒトにとって「団結」というものは大きなものだ。
しかし、僕はなんだか薄気味悪さを感じるのである。
というのも、僕が個人か見知った少人数で行動することの多い人だからだろう。
映画とか買い物とかカラオケとか、一人で全然行けてしまう。
「人を誘わないと絶対ムリ!」という考えがあることに驚いたくらいだ。
人の気持ちを考えず、自分の思ったとおりに動ける環境ほど楽しいものはない。(もちろん人と過ごす時間も楽しいが)
ただ、そんな人であっても「団結」というものを最初からおぞましいと感じていたわけじゃない。
学生時代はそれなりに集団の中で生活をしていた。
体育祭のクラス競技も足を引っ張らないように頑張った。
合唱祭だって、なんとなく声を出して歌っていた。
目立ちも悪目立ちもしない、そんな学生であったと思う。
だから「団結」というものを嫌悪せず、呼びかけがあったら呼応する。
そのくらいの距離感で接していたものだった。
いつから「団結」というものをおぞましく感じ始めたかは覚えていない。
だけど、政治とか世界情勢とかに興味を持ち始めた時には、すでにそういう感情があった。
支持者がいて、その人を応援するために「団結するぞ」ならわかるのだ。
よくわからないのは、「支持者を支持しない人は人間じゃない」と言わんばかりに他の候補者とその支持者を攻撃するために「団結」すること。
この色が少しでも見えたら、例え支持していても表明しないことにしている。
だってそんな攻撃性の高い集団と同じように見られたら損だもん。
僕は割とマイノリティー側にいることが多い人だ。
トレンドなんて知らない。
自分の好きなものを好きなだけやるのが楽しいのだから、「それもう流行ってないよ」なんて関係ない。
「マイノリティー」というか「自己中」なだけだね。
ただ「自己中」でいるためには、相手も同様に「自己中」でいることを許容しなきゃいけない。
「僕はいいけどお前はダメ」
これがまかり通る世界だとはさすがに思っていないから。
だけど攻撃性の高い「団結」は、「自分はいいけど他はダメ」を地でやっている。
そうやって攻撃すれば反発されて、さらに強い攻撃をしてさらに強い反発が来る。
そうなることは見えているし、そんな場所に僕が自己中でいられるところはない。
それが肌感でわかるから「おぞましい」と感じるのだろう。
この考え方は、何か名前が付いている思想なのだろうか。
僕が知ってる用語だと「表現の自由」かな。
僕の「表現の自由」を守るため、相手にも「表現の自由」があることを許容して、互いに踏み込んではいけない領域を設定する。
簡単に言えば「自分がやられて嫌なことは相手にもしない」っていう、親から教わったことである。
「殴っていいのは殴られる覚悟があるヤツだけだ」も追加かな。
「それ、そのままやり返えされてもいいの?」
そう思ってしまうことを平気でやる人がまぁまぁいる世の中で、僕は僕の自己中を貫けるだろうか。
団結なんてしなくていい。
各々ぐちゃぐちゃに表現し回れ。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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