【推しの子】伏線は回収されてようやく伏線となる
こんばんはのようなこんにちは、くろだです。
今日のnoteも楽しんでいってくださいな。
『推しの子』が完結した。
僕はジャンプ+で追っている勢なのだが、最終話だけはヤンジャンでポイントを使って読んだ。
感想を聞かれると困る。
僕の記憶力はザコなので、先週描かれた話すら覚えていない。
作品は通しで読んでようやくわかるものなので、単行本の最終巻が出てから感想は言いたいと思う。
だけどおもしろい作品だった。
最初は「転生ものか……」と離脱してしまったが、アニメ化して改めてマンガを読んだらハマった作品だ。
そこから木曜日の楽しみになり、「ネタバレが流れてくるから」と言う理由でTikTokをアンストしたほどである。
noteでも時々ネタにさせてもらったし、そういう意味ではお世話になった作品である。
終盤に関しても特に不満は無い。
アクアが亡くなるのは悲しいけれど、物語としては流れがある。
「おもしろかった」で読み終えられる作品だった。
しかし世間では否定的な意見もある。
その代表例は「伏線が回収されていない」というものだ。
今回はこれをテーマに書こうと思う。
結論から言ってしまえば、伏線は回収されてようやく伏線となる。
だから「回収されない伏線」など存在しない。
『推しの子』で例えてみると、ルビー宛てのDVDには何が映っていたのか。
これは単純にルビーへのお誕生日メッセージなんじゃないかな。
違う何かなら描写するはずであり、描かないということは単純に解釈していいということである。
ツクヨミとは一体何者なのか?
これは「何者か」でいい。
解決しないまま時が進んでいくことは世の常であり、最終話もそんな感じで流れていった。
「わからない」が正解であり、「これじゃない?あれじゃない?」と考察し続けることが正解である。
最近の人間はすべてを理解した全知全能の神にでもなったつもりなのだろうか。
僕はこの世の1%はおろか、0.000000000……1%もわかっていない。
僕がこの世から消える時、この0が二つくらい取れていれば上出来である。
そのくらいこの世は未知であり、おもしろいものである。
そんな世界で「わからない」が一つ増えたところで、うろたえる必要は無い。
僕は原作至上主義者である。
どんな結末となろうとも、原作が言っていることがすべてである。
その上で、どんな感想を持つのかは僕ら一人一人の勝手である。
「おもしろかった」でも「つまらなかった」でも、それは各々で持てばいい。
今回のnoteを書いたは「伏線が回収されていない」という批判に疑問符が付いたからである。
伏線は回収されてようやく伏線となるのだから、「伏線が回収されていない」という状態はありえない。
何と言うか「本当に推しの子を読んで来たのか?」と言いたくなる。
その言葉一つ一つが黒川あかねをどうしたのか。
まぁ「炎上に終わりは無い」とも描かれていたし、それも『推しの子』読者なのだろうね。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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