【終戦の日】国の戦争と国民の戦争
こんばんはのようなこんにちは、くろだです。
今日のnoteも読んでいってくださいな。
と、いつも書いてるあいさつを書いたが、今日は「戦争」の話をするので苦手な方はここで読むのをやめてね。
さて、8月15日は「終戦の日」である。
日本の戦争が終わった日であり、日本が負けた日。
これ以降、日本で戦争は起きていない。
悲しい歴史である。
僕らはこれをもう二度と繰り返してはならない。
そう思ってる僕がいる。
一方で「だから防衛力は持っておかないと」と思う僕もいる。
「戦争をしないために防衛力を持つ」
なんとも苦しい、ダブスタのような状態である。
今日はこの「矛盾」の話をしたい。
と言っても、自分なりに筋は通っている。
それは「国が行う戦争」と「国民がする戦争」の違いだ。
国はなぜ戦争をするのか
それは「正義」のためである。
ロシア・ウクライナ戦争でロシアは「虐げられているロシア系住民のため」という”正義”を、ウクライナは「攻めてきたロシアから国を守るため」という”正義”をそれぞれ掲げて戦っている。
国が戦争するとき、そこにはその国の”正義”がある。
そして”正義”を遂行するには「力」がいる。
兵士の数や武器の数と質みたいな「戦う力」もそうだし、その国同士の経済的な繋がりで「戦争を回避する力」も必要である。
例えば、日本と中国は政府同士の仲は悪目だが、経済的な繋がりはとても大きい。
だから「この経済的な繋がりを手放してまで台湾侵攻をするのか」という疑問はある。
日本という国にとって、この時間は防衛力を持つチャンスである。
台湾の先には沖縄がある。
つまり台湾有事が起きれば、日本が巻き込まれるのは必定。
日本は国として「日本を守る」という正義がある。
だから「防衛費増額」なんていう話が出てくるのだ。
国民の戦争
国が戦争するのは「正義」のためであった。
では、その国に住む国民が戦争をするのはなぜか?
これは完全に巻き込まれてだと思う。
政府が政治をミスったから、備えるのを怠ったから。
だから戦争が起こり、国民が巻き込まれる。
まぁ、その政治家を選んだのは国民なのだけど(ロシアとか中国はそれも微妙)。
だから悲惨なのである。
誰が好き好んで戦地に行きたいか。
誰が好き好んで人を殺したいか。
誰が好き好んで愛する人を残して死にたいか。
誰もそんなことしたくないのである。
しかし集団心理とは恐ろしいもので、みんなが銃を持てば自分も持ってしまうし、みんなが発砲すれば自分も引き金を引いてしまうし、みんなが突っ込めば自分も突っ込んでいってしまう。
戦争が起きれば、割を食うのは国民なのである。
だから僕は戦争が嫌なのだ。
難しいダブスタ
ここまで自分の知識と言葉をフル活用してアウトプットしてみた。
まだまだ知らないことばかりであるが、「変にダブスタしている理由」は自分なりに解釈できた。
国がやる戦争は「国を守るため」の手段であり、国民の戦争は「巻き込まれるもの」である。
だから「国を守るため」には防衛力は欠かせない。
だけどその防衛力は使われないことを願っている。
「そんな使わないものに税金を使うな」という話も出るだろう。
しかし、いざというときに使えなければ「国」そのものが無くなる。
僕らは国が無くなる経験をしたことがない国の人間だ。
だから「国が無くなる」というものを肌感で感じにくい。
こればかりは歴史を学ぶしかない。
植民地になった国はいくらでもある。
戦わない、明け渡す、支配される。
これはこれで悲惨なのである。
だから日本は在ってもらわなくてはならない。
そのための防衛力。
しかし戦いたくはない。
征きたくない、殺したくない、死にたくない。
国民としては戦争が無いのが一番なのである。
それが今年で79年になる。
世界情勢が慌ただしい昨今で日本はどうすれば戦争の無い時代を続けられるのか。
世界はどうすれば平和になるのか。
というドデカい問題を僕はどうにもできないけれど、僕が楽しく生きられる世界くらいは作らないとなと思う。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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