”言ってること”より”やってること”
「私はネットマーケティングが得意なので、御社に入社したらネットを活かした戦略で売上を伸ばしたいと思っています。」
この言葉、信用できるだろうか。
僕はできない。
この世の中「〇〇マーケティング」をプロフで謳い、「何万稼ぐ」系の発信をするビジネスアカウントがごまんといる。
noteを始めたての頃は、そういうプロフィール文が書かれているアカウントによくフォローされていた。
大方、フォロワー数を増やすためのフォローであり、僕の文章には微塵も興味がない人達だと思うが、僕もフォロワー数のためにフォロバしたのでお互い様である。
そして大抵の実績は嘘である。
もし、本当に稼いで”幸せ”になっているのなら、日本はもっと明るいはず。
が、実際はそんなことは無いし、なんだか知らないが胡散臭いのだ。
という感じで、SNSでそういうことをされると「嘘くさいな」というセンサーが反応するのだ。
でも面接ってそういうことする場所だよね。
「ネットマーケティング」というわかりやすいものじゃなくても、「人と話すのが好き」とか「一つのことをやり抜ける」とか、自分で自分の長所を言うことほど信用できないことはない。
人の評価は主観ではなく客観で決まる。
どれだけいいことをして、頑張っていて、いい人であっても、一度の間違いが「その人」の評価となる。
だからどれだけ自分の長所を言ったとしても、雇った後の働きがすべて。
やたら理屈立てて話しているけど、要は「面接嫌だ」って話。
自分で自分のことを話せるほど、僕は僕をわかっていない。
というか人類の中で「自分」が一番わからない。
わからないものをアピールしろと言われてもわからないのだ。
とはいえこれまで受験したしアルバイトの面接だってしてきた。
嫌々ながら聞かれてことに答えて、進学したし、アルバイトもさせてもらった。
面接をした先生や面接官の人は、僕の何をわかり、なぜ僕を採用したのだろう。
言っちゃあなんだが、平凡な男である。
頭は悪い、顔もよくない、体型も秀でてない、運動は好きだが突出していない。
できることは「やれ」と言われて嫌じゃないことをやることくらい。
「やれ」と言われたからやっただけなのに、「真面目だね」と言われた日には頭がパンクする。
それは「やれ」と言ったあなたが優秀なのであり、僕は言われたことをしただけ。
なぜ褒める?
いや、「真面目だね」って実は他に褒めることが無いから言われる言葉なのだろうか。
わからない。
となると一番信用できるのは「行動」である。
「真面目だね」と言った上司は僕に危害を加えてこない。
悪口を言われているという噂もないし、適度な距離感で接することができる。
特に快不快もないので、考えなくていいのかもしれない。
となると面接は、その時の発言を聞いているのではなく、ここに至るまでの過程を見ているのかもしれない。
「どれだけ練習してきたのかな」
「どれだけ調べてきたのかな」
「どんな人なのかな」
たった数十分ではすべてを知ることはできないが、「お前となら一緒にやれそうだ」という”感情”を行動から感じたい。
そう考えると、変に怯え、怖がる必要なんて無いなと思う。
嘘はダメだが多少誇張して自分の長所を言うくらいして「面接しにきた」ってことをアピールすればいい。
動きに”その人”が集約されている。