「文化学院創立の地」
自由主義貫いた学校の跡
★ジャンル【学校】
★場所 千代田区神田駿河台2-5
★最寄駅 JR御茶ノ水駅
★解説文
「1921年4月に文化学院は、西村伊作 与謝野鉄幹 与謝野晶子 石井柏亭らによってこの地に創立され、その他山田耕筰 河崎なつ 有島生馬 高浜虚子らが教鞭をとった。その後、菊池寛 川端康成 佐藤春夫ら著名な文学者もつづいて加わった」
★解説
JR御茶ノ水駅西口を出て、明大通りを下ります。明大の角を右に曲がり「とちの木通り」に入り、T字路を過ぎると右手にBS11(日本BS放送)の本社があります。その入り口に「文化学院」と掲示してあり、下の植え込みに解説板が建っています。
レトロモダンなかつての校舎エントランスは保存してあります。校舎の設計は解説文にもある創設者の一人・西村伊作(にしむら いさく)ですが、保存工事は坂倉準三事務所が行いましたが、坂倉準三(さかくら じゅんぞう)は西村の娘婿でした。
文化学院は1921年創立で2018年に閉校し、最後は専門学校、高等専修学校でした。
創設の4人は、「国の学校令によらない自由で独創的な学校」を作る、ということを目標に「小さくても善いものを」「感性豊かな人間を育てる」などを方針として掲げます。こうした自由主義的・西洋文化的方針は戦時中には弾圧の対象にもなりました。
きっかけは西村の娘が小学校を卒業して進学する学校を探したものの、西村の教育方針に適った学校がなく、このため新しい学校を作りたいと与謝野鉄幹(よさの てっかん)、晶子(あきこ)夫妻や石井に相談を持ちかけたことでした。
国の干渉を避けるため、あえて各種学校とし、運営はすべて西村の資産で行われました。4年生の中学部は日本で初めての男女共学を実施しました。
1923年の関東大震災で全焼しますが、残った校舎を使ってすぐに授業を再開し、後継となる校舎は1936年から37年にかけて完成しました。
しかし自由主義的教育や天皇批判などが不敬罪とされ、1943年に学院は閉
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