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きっと、私にもできることはある

普通の能力はあると思ってたけど、発達障害だった私にはありませんでした。
慢性疾患の多い私は、健康な身体でもありませんでした。
だから、私が思い描いていた「普通の母親」にも「普通の主婦」にも「普通のパート主婦」にも、能力不足でなれなかったんです。
それなのに、「障害者の普通の母親」や「うつ病の夫を支える普通の妻」を目指すなんて無謀だったんです。
本当の私は、病弱な障害者だったから。

どれだけ工夫したって、どれだけ頑張ったって、私は「普通」に届かなくて、その前に体調を崩してしまいます。
感覚鈍麻で頑張るのが好きな私が何度も何度も無理をしたから、このままだと倒れちゃうよって身体が警告しようとして、ひどい頭痛をたびたび起こして私が動けないようにしていたのかもしれないですね。

たとえ気分変調症(うつ状態)が寛解したとしても、病弱な障害者ができることしか、私にはできなかったんです。
工夫して生活した方が楽だけど、どれだけ背伸びしても普通には届きません。
周りの人なら簡単にできることが、私は身を削らないとできなかったから。
無理して生きることを、毎日続けるなんて、できるわけがなかったんです。

そうやって、できない自分を認めて、無理するのをやめたら……。
一体、私は何ができるんでしょうか。

アトピーで肌がボロボロでも手に包帯を巻いてピアノの練習をしなかったら、私は10年もピアノを続けられなくて、ピアノソナタを弾けるようにはなりませんでした。
毎日頭が痛くても学校に通わなかったら、私は高校を卒業できませんでした。
年に数回めまいで倒れてもバイトに行かなかったら、私は大学1年から4年まで、週1のコンビニバイトを続けられませんでした。
頭痛や腹痛や吐き気があっても出勤しなかったら、私は1年半も事務職で働けませんでした。
ふらふらで倒れそうでも頭が痛くて吐きそうでも役所へ行ったり通院に付き添ったりしなかったら、息子は療育を受けられませんでした。
たびたび頭痛で寝込んでも作り続けなかったら、私は趣味でプログラミングしてゲームを作ることはできなかったのに……。

無理するのをやめたら、体調が悪くても頑張らなかったら、私は何もできなくならないでしょうか。
自立訓練では、生きているだけでいいんですよ、って言われたけど、それだと家庭崩壊してしまいます。
うつ病で休職中の夫にも、障害のある小学生の息子にも頼れません。

……だからといって病弱な障害者の私が、身体を壊しても家事や育児を頑張り続けて、家族の暮らしを支えるのだって、おかしいのかもしれないです。
そんなに頑張らなくていいんじゃないでしょうか。
私の思い描く「普通の母親」や「普通の主婦」の役を降りた方がいいのかもしれません。

だけど、頑張らないで生きるって、どうすればいいんでしょう?
ヘルパーさんを利用したいと、お願いすればいいんでしょうか。
訪問看護も頼みたいと、主治医に相談すればいいんでしょうか。
息子の育児は、放課後デイの利用日を平日だけでなく土曜日も増やしたから、これまでより楽になるかもしれないです。

そうやって、いろんなことをやらなくなって、私は何をするんでしょうか。
B型事業所での作業……?
体験前のやりとりをするだけで、頭痛が悪化して体調を崩している私に、B型事業所での作業はできるんでしょうか。諦めた方がいいのでは、と迷います。

……家事も育児も外注してやらないで、障害者雇用も趣味も諦めて、体調を崩さないように何もしない人生って虚しくなりそうです。
一時的に休むのではなく、ずっとそういう状態だとつらいです。
私にできること、本当に何もないのでしょうか?

無理すればできた、ってことは、無理しなければ体調を崩さなくても少しはできる、ってことだと思います。
ゆっくり時間をかければ、たくさん休憩すれば、作業量を減らせば、少しずつなら私にもできるかもしれないです。
私の思い描いた「普通」っていう「理想」には届かなくても。
きっと、私にもできることはある気がします。

過集中しがちな私には難しいかもしれないけど、アラームで頻繁に休憩を挟みつつ、1時間の作業で終わりにする練習を、B型事業所でやってみたいです。
体調を崩さないで作業しても、何かを作れるようになりたいです。
自立訓練施設は遠すぎて行くだけで疲れるので、やっぱりB型事業所に移って頑張りたいです。

頑張るとはいっても、無理することを頑張るんじゃなくて、無理しないことを頑張りたいです。
体調を崩さないで暮らすために、努力の方向性を変えたいです。
ASDだから環境の変化は苦手だけど、頑張ることは好きなので、そのうちできるかもしれない、って信じたいです。
諦めたくないです。