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宇宙の祭祀をつかさどる者

人は宇宙の司祭になれる。

己が帰依する存在に祈りを捧げて

宇宙がただ在ることに気づく

そんな司祭だ。


もし己の存在や務めに

疑問があったり

世界のために

何か有意なことをしたいのなら

司祭になることをお勧めする。


具体的な仕事の内容はなにか?

祈りを捧げることだ。

己の心に素直になって

祈りたいことを祈ればいい。


だが司祭ならば

定時にも祈るように頑張らなくてはならない。



毎日決まった時間に

(生活に無理が生じない回数でいい)

祈りを捧げることで

そこに固有の独特な波長が生じる。




その波長は

宇宙のそれと共鳴しうる。


共鳴し合った波長は

新たな波長を産み

宇宙に拡がっていく。


それにより

目に見える何かが変わることは

ないかもしれない。


ただ産まれた波長は

宇宙の精神を

革新していく。


それは善きことなのか?

私には分からない。



だが宇宙精神が祈りを欲して

その望みが、一自我とされる存在を通して

発露されたということは

尊いことだと思う。



司祭は祈りを通じて

宇宙を体現して

その望みを叶えたのだ。





司祭ならば

多少は修行をしなければならない。


難しいことではない。


己にとらわれないように

欲望を節制すること。


こう話すと大業なことに聞こえるかもしれないが

食事は腹八分にする。

適度な睡眠時間を決めて、惰眠を貪らない。

過度に性的な妄想にふけらない。

そのようなことだ。


気をつけないといけないのは

無理な節制を試みて

己から起きる欲望を

返って大きくさせることだ。




欲望は、強引にフタをすることで、より強大となる。

それらを無制限に肥大させなければ

まずはよし。



フタをすることを強く意識することも

己への依存を高める原因にもなる。



肝要なのは

欲望と付き合っていくことである。


でも仲良くなりすぎてもいけない。

不戦不和。

少しだけ、欲のことを分かってあげる。

そんな方針でいいだろう。




毎日歩くのも大切なことになるだろう。

外に出て宇宙の気を

体内に取り込む。



足裏を通して

大地の温もりを

感じとる。


風のささやきを肌で感じて

植物の匂いを嗅ぐことで

悠々たる自然に気づく。



そのようなウォーキングを通して

そこに在る世界への気づく一助とする。


そして、その世界の内に私があることを、喜びとする。

喜びは司祭の幸福ともなる。



歩いていることに集中すると

ふと私が霧散することがある。

私が私という信念から解き放たれるのだ。


解放の精神も司祭は司る。




以上、宇宙の司祭について

心構えや

行った方がよいことを

思いつくまま書き連ねてみた。



誰かの生きる参考になれば

とても嬉しい。


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