「なんで」ではなく「なぜ」と言う
あるとき出会った言葉が、今でも忘れられません。
それは「幸せ」というものについての言葉でした。
そもそも”幸せ”なんて言われると宗教チックな感じがして一歩引いてしまうのですが、それは幸せを別世界のものとして捉えていたからかもしれません。
もっと身近に、幸せというものを考えさせてくれる言葉でした。
「他人に幸せを求めないこと。」
この言葉を思い出すたびに、過去の自分が脳裏によみがえります。
・こうなったのは親のせいだ。
・それをやめて欲しい。
・先に言ってくれよ。
・なんでこんなに出来ないの?
自分の思い通りにいく世界があるのだとしたら、その世界にいる私は幸せなのだと思います。
でも、そんな世界はない。
思い通りに行かない、自分の考えがなかなか実現しないのが現実。
そんなとき、自分の落ち着く世界、思い通りにいく世界、幸せな世界を求めて周囲を変えようとする。
気がつけば、他人に幸せを求めている自分がいました。
幸せを手にすることができるのは、自分しかいない。
だから私は、「なんで?」と言うのをやめました。
他責の言葉は使わない。
いつだって、何が起きても、「なぜ?」と言う。
幸せを掴むことが出来るのは、自分だけだから。