くろちゃん

少しずつ”心”がほぐれていく。そんな言葉や、物事の捉え方を体験ベースに”手記”として残…

くろちゃん

少しずつ”心”がほぐれていく。そんな言葉や、物事の捉え方を体験ベースに”手記”として残しています。

最近の記事

ある一点と、その周囲の愛

「この会社は"ダメ"だ。」 そんなことを言う職員がいることを小耳にはさんだ。 職場の雰囲気か、人間関係か、仕事量か、給料についてか、社長の人柄か。 何が理由かは分からない。 でも、そのたった"二文字"で、会社が評価される事があっていいのだろうか。 この会社だから楽しく仕事ができる、ここにいる人たちと出会えて良かった、人生が変わった、働く楽しさを知れた。 もっと働きたかったのに、命続かぬ者もいたのかもしれない。 そういった人たちの目を見ながら、その"二文字"を言え

    • 歳をとって、良かったと思うこと

      我が子が新しいことへ取り組む。 その過程を、結果を、私は優しくも厳しく見守っていた。 同時に私の脳裏には、過去の自分が映り込み、我が子と姿を重ねる。 そして、やっと理解できた。 あの時の些細な取り組みが、こんなに感動的なものであったのだと。

      • 転びそうなら、受け身の準備を

        大抵の怪我は、放っておけばなんとかなる。 大怪我をするのは稀なことだ。 だから、とりあえずやってみろ。 そんなことを言う人がいる。 でも、怪我は痛いものだ。 それを好き好む人は、そういないだろう。 大切なのは、 受け身を取る準備をしてから、やってみること。 そうすれば、痛みも多少和らぐ。

        • 間違えた時点で、すでに素晴らしい

          人は褒めることが苦手だ。 いつだって、相手の間違いを見つけ出し、指摘する。 その中にある素晴らしさに、気がつかない。 でも間違いは、動き出した人だけが手に入れることができるもの。 だとするならば、間違いを指摘した時点で、その人の素晴らしさに気づいているということに、なるのかもしれない。

        ある一点と、その周囲の愛

          今を生きる、私たちの使命

          いつだって、決断するときは不安でいっぱいになる。 決断した人生も、決断しなかった人生も どうなるかなんて時が経たなきゃ分からないから。 でも、少なくとも決断しようか悩んでいるのは、今のあなた。 先でなにが起ろうと、未来の自分がなんとかしてくれる。 だから、今のあなたは全力で、今を生きれば良い。 それがきっと、今を生きる私たちの使命だ。

          今を生きる、私たちの使命

          喪失と、誕生は、紙一重

          愛は有限だ。 そんな言葉を、耳にしたことがあるだろうか。 目に見えない上に、物質として存在しているのかどうかも怪しいものへ、数の概念を取り入れることは、私にとって受け入れがたい考え方だった。 しかし、今では受け入れることが出来たのか、この考え方は頭の中へ大切にしまわれている宝のひとつだ。 生まれた子供は、親の愛を独占する。 飲んでも飲んでも無くならないコップを眺めながら、無心に口へ運び、満足感を得る。 ただある時を境に、コップの中身は少なくなり、その子供は満足感を

          喪失と、誕生は、紙一重

          正しさと、その芯に、幻想がある

          一日を過ごす中で、怒りの感情に出会わないことはない。 歩道を走る自転車に怒鳴る人。 電車から降りる人に肩をぶつける人。 低速運転の車を煽る人。 どれも、ルールを守らない事への怒りであり、正義感のようにも感じる。 ただ、怒りはそんなに崇高なものではない。 その芯には、自身へ弊害を与えるものを排除する思考がある。 自分が持っている正義感を犯されたことにより、心は乱れ、やがて怒りへと変わっていく。 正義感という名の”ルール”は、いつだってその人の安定化剤になっている

          正しさと、その芯に、幻想がある

          思考と、身体は、交わらない

          死への恐怖が、徐々になくなっていく。 そんな感覚に囚われたことが、皆さんはあるだろうか。 未練がなくなったからか、はたまた幸せを手に入れたからか。 それとも、未来に希望が見いだせなくなったからか。 理由なんて、どんなに思考してもしっくりくるものには出会えない。 しっくり来たのであれば、それは答えが出ないことへの妥協だ。 結論、私の妥協は、守りたいものがあるから。 だった。 死を恐れていたら、守れるものも守れない。 自分を犠牲にする覚悟はあるか。 そういった、決断

          思考と、身体は、交わらない

          始まりと、終わりが、重なる

          なにかを追い求めているとき、心に穴が空いたような感覚を覚える。 そんな経験が、皆さんにはあるだろうか。 欲しかったもの、望んでいた地位、周りからの評価。 ただがむしゃらに追いかけ続け、時間を費やしていく。 そうしていくと、どうやら私たちは徐々に一片の記憶を失っていくようです。 開けていた視界は狭まり、目的しか見えなくなっていく。 物理的な視界に変化はない、だから失ったものにも気がつかない。 Who all this was for. この言葉に出会ったとき、私は

          始まりと、終わりが、重なる

          言い訳したって、いいと思う

          言い訳することを、私たちは強く嫌う。 正直に答えなさい、とか 隠さず話しなさい、とか 本当の部分を掘り出そうとすることが、とても多いように感じる。 そうして、言い訳は悪者になっていく。 でもそもそも、言い訳は悪者なのだろうか。 自分が犯した過ちから、自分を守るためにしているのだから、ただの防衛反応のようにも感じる。 むしろ、人の本当の部分を引っ張り出す行為の方が、よっぽど悪者ではないだろうか。 なんて、少し堅苦しい書き方をしてみました。 言い訳をしたとしても、

          言い訳したって、いいと思う

          指摘するよりも、励ましたい

          仕事仲間がちょっとした間違いを起こしたとき、 指摘するかどうか、悩むときがあります。 もうやり終えた仕事を、まだ終わっていないものと勘違いして準備をしてしまう。 今日起きたのはそういった間違いでした。 終わっていることを掘り返すわけですから、当然その処理をする必要が出てくる。 こちらとしても仕事が増えるので、効率を考えれば指摘するべきなのかと思うこともあります。 でも、終わっていることを分かりやすく提示しなかった自分も悪いし、 しっかり仕事に取り組む姿は素晴らしいし

          指摘するよりも、励ましたい

          ダメな自分に、ダメじゃないって伝えるために

          noteの更新が、こんなにつらく感じることは今までありませんでした。 言葉や想いが頭の中を巡り、取り出そうにも掴めないような感覚です。 なにかを言葉にして伝えたいのに、書き残したいのに。 でもきっと、今の私はこの事実を書き残したいと思っているのかもしれません。 やりたいけど出来ないとか、そんなことを思うとき、もしかするとやれないこと、やりたくないことを自分で受け入れることが大切なのかなと感じることがあります。 誰だって出来ないときはつらい気持ちになる。 だからあえて

          ダメな自分に、ダメじゃないって伝えるために

          つらいだけではなく、楽しいもあったはず

          話すときは相手の目を見て、 相手の話をしっかり聞いて、 質問を適度に混ぜながら、 自分の事は話しすぎないこと。 なんていろんな本で読んだけど、そう簡単にはいかないようです。 繊細であるが故かもしれませんが、どうしても相手のこころを過度に読み解こうとしてしまい、なかなか言葉が出てこなくなる。 相手が笑ってくれたら安心するけれど、反応が乏しいとすごく不安になります。 そんなにつらいなら、やっぱり話さなければ良かったとつい思ってしまうこともあるかもしれません。 でも

          つらいだけではなく、楽しいもあったはず

          やりたくない、の先にある欲望

          今日は久しぶりに料理を作りました。 豆板醤に甜麺醤、醤油に砂糖。 豚肉にキャベツとピーマン。 中華料理は難しいイメージがあったので、なかなか手を出さなかったのですが、やってみると案外簡単で。 思っていた何倍も、簡単に感じました。 想像するだけだと、難しく感じる。 頭の中で形作られたイメージは、現実よりも強固で、とっつきにくいものになる。 でも、欲には勝てない。 どうしても食べたいものがあれば、緊張して中々入れないお店にも入ることが出来る。 体が動かない時は、そ

          やりたくない、の先にある欲望

          些細な幸せと、揺れ動くこころ

          最近はすごく、心が乱れている。 そう感じます。 noteでいろいろな方の記事を見て、standFMでいろいろな方の声を聞いて、 いろいろな生き方を見て、 自分はどうしていきたいのか。 そんなことばかり考えています。 少し前までは、もっと自由な時間が欲しいとか、もっとお金が欲しいとか、もっと有名になりたいとか、 そんなことを考えながら、それが叶わないと幸せになれないとまで思っていました。 でも最近は、朝の通勤電車も苦じゃないし、会社員として働くことも苦じゃないし、お

          些細な幸せと、揺れ動くこころ

          理想と現実、そして受容

          この時期は、薬剤師の卵が実地研修にくる季節。 心躍らせながら、歩んだ道のりを今でも覚えている。 誰かのためにつくす、とか。 地域に貢献したい、とか。 人の役にたちたい、とか。 前向きで、大きな想いを胸にその門をくぐる。 でも、その先に安息の地はない。 現実という壁が、高く高くそびえ立つ。 そしてときに、その壁は人の心を打ち砕く。 理想と現実の境界に、翻弄される。 でも、全員が全員ではない。 この壁を、ものともしない人が何人もいる。 それは、受容力。

          理想と現実、そして受容