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「いいnoteを書こう」なんて気概は捨ててしまえ

こんばんはのようなこんにちは、くろだです。

今日のnoteも楽しんでいってくださいな。


9月に365日の毎日投稿を終え、そこからは週1を目安に投稿を続けている現状。

「週1」と言っても「noteの毎週投稿が途切れないように」というのが基準なので、例えば12月2日に投稿したら12月15日までに投稿できればいいことになる(今年のね)。

これはほぼ2週間空けていることになる。

それを「週1で投稿している」と言っていいのだろうかと疑問符はつく。


ならばせめて内容はいいものを出そう。

人でなしを自称する僕だけど、せっかく時間を使って読んでもらうのだから何かを提供できるnoteでありたい。

そういう気概は持っている。

が、人はおもしろいもので一丁前の気概を持ち出すと行動が鈍るのだ。

今回の僕はネタの選定を始めた。

「最近は政治系の話を書いてないからそれにしようか」
「推しの子最終巻出たからその話もしたいな」
「最近YouTubeのことについて語りた過ぎる」

結果、どれにも手を付けられず日曜日になってしまった。


「内容がいいもの」って何だ?

文量が多いnoteだろうか。

それとも視点が鋭いnoteだろうか。

言い回しが秀逸なnoteだろうか。

きっとどれもが「いいもの」の具体例となってもいいものなのだろう。

しかし僕が「いいもの」と思っているものが、人にも「いいもの」と思ってもらえる保証はどこにある?

「人が時間を使って読む」ということを考慮するならば、多少は自分の意見を抑えて共感を得られるような言動も必要となる。

そんな芸当が僕にできるのか。無理だろ。


「内容がいいものを出そう」

殊勝な心がけだが、それで何も書けなくなるのならそんな心は捨ててしまえ。

ハードルは目いっぱい下げるべきだ。

現に毎日投稿をしていた頃はそれができていたはず。

だって「いいもの」なんて選んでいたらネタが枯渇するよ。

どうでもよく、くだらなく、でも少し言いたいなということをひたすら打つ。

僕にとってはそれがnoteである。

そりゃあ読んでほしいとも思うし「ためになった」と言われたい。

だけどそれで何も出せなくなるなら本末転倒だろ。


YouTube運営で大事なことは「チャンネルのテーマを一つに絞ること」らしい。

つまり一つのチャンネルで言えることは一つだけ。

作って、装って、ひたすら人に奉仕する。

「それが成功する方法だ」と言われたら仕方が無い。

ただ、それはとてつもなく息苦しい。

僕には僕がいる。

ひたすら自分の言いたいことばかりをぶちまけられる僕がいる。

このnoteでやっていることをYouTubeでやったら怒られるんだろうな。

「怒られる」というか「見られない」って感じ。

見られないのは悲しい。

動画を作るって結構大変だから、作ったものは見て欲しい。

だから作るよ。

noteでさんざんぶちまけられるから。

そんなnoteを僕から奪わないでくれよ。

好き勝手に書ける楽しい時間なんだ。

文字数制限のない自由な空間なんだ。

「内容がいいもの」なんて制約を、僕がかけないでくれ。


こうやって適当なことを書くことで、今後出すnoteの期待度を下げられる。

勝手に上がるの厄介だよな。

そういうのはお金だけにしてくれよ。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。

ではまた👋


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