【心得帖SS】わたしを、甘やかさないでください。(後編)
恥ずかしい過去の回想に思わぬ時間を要してしまった。ここで、現在のワタシの立ち位置の変化について語ろうかな。
四条畷紗季、29歳。
(非常に長い名前の)食品製造販売会社⚫︎⚫︎支店営業二課に所属している。
上司は先述の京田辺先輩、もとい京田辺一登課長。今ではすっかりイケオジの雰囲気が出てきつつある。
(て言うか課長のプライベートって結構謎なんですけどっ!べっ別に興味は無いからいいんですけど!でも部下として…部下として必要最低限のことは知っておきたいというか…)
「何が必要最低限なんですか?サキさん」
「うっ、何でもないわ、タツヤ君」
爽やかな雰囲気を出した20代半ばの優男が、私に向かって声を掛けてくる。
彼は同じ課の2つ後輩、住道タツヤ君。
若手社員の中では頭一つ抜けて仕事の能力が高く、バランスも良いオールラウンダー型の営業マン。一見チャラそうに見えるけど、実は大学迄陸上部に所属していたガチの体育会系。こんな私にも(姉のように)敬意を表してくれる。ホント、先輩で良かった!
あと3人を加えたメンバーで営業二課は構成されているが、どうも最近課の中で私がドジっ子認定されてしまったようだ。
…まあ、思い当たる節は幾つかある。例えば…。
『サキサキ、この間ファックスで来た写しを添付していた請求書、そろそろ原本届いたかな?』
総務部の友人、星田敬子が私のデスクまでやって来た。
『あ、おケイ。さっきちょうど郵便が届いたところだよ』
封筒にハサミを入れて、中に入っていた請求書を取り出す。
(あ、念のためコピーを取っておこう)
会計伝票用の台紙に請求書を貼り付けて割印を押した私は、敬子から受け取ったファックス請求書の写しも手にしてコピー機に向かった。
次回以降の処理がスムーズに行くよう、両面印刷で会計伝票と請求書をまるっとコピーする。
(よし、これで安心っと)
幾分気を抜いた私は、つい何も考えずにコピー機の横にあったシュレッダーに不要となった紙を突っ込んだ…突っ込んだのは…あれっ?
『サキちゃん、それ請求書の原本っ!』
『ええっ⁈ホントだっ!』
敬子の叫び声でハッと我に返ったとき、既に請求書の原本は完璧に細断されてしまっていた。
『あの…京田辺課長、これって上司に一筆書いて貰ったら写しのままで本社経理部通りませんかね?』
『なる訳ないだろう。早く先方に電話して』
取引先の事務担当者に事情を話して平謝りすると、大爆笑されたがすぐに請求書を再発行してくれることになった。
(暫くあの会社に行けないなぁ。トホホ)
「うん、これはドジっ子と言われても仕方ないな」「そうですね。ウチの姉がすみません」
「誰が姉ですか。課長も真顔でドジっ子って言わないでください」
京田辺、タツヤとのやりとりに他の課員も笑い出す。他部署からウチの課はここ最近で一番仲の良いチームと言われているようだ。
そんな輪の中で自分が居るポジションは、ずっと優等生だった学生時代から若干の違和感を感じながら、それでいて喜ばしい感じがしていた。
そして長い回想は終わり、前編冒頭のシーンに戻る。
「…私って、ホント恵まれていますね」
面接シートに目を落として、ポツリと呟く。
「どうして、そう思うんだ?」
言葉の意味を探るように、京田辺課長が尋ねてくる。
「今回の異動のお話…おそらく課長が相当根回ししてくださいましたよね?」
「さあて、どうかな」
悪戯っぽい表情を浮かべる彼に(…オトナはずるいなぁ)と少し頬を膨らませる。
「では、改めて確認するが…」そう前置きをした上で、京田辺が話の核心に迫った。
「四条畷さん。今回のオファーを固辞したい理由は、何かな?」
自分でも、よく分かっていた。
若手社員の誰もが憧れる、本社マーケティング専門部署への異動。その先のキャリアにとっても、悪くない未来が待っていることを。
だからこそ、今の私がキチンと言葉にしなくてはならないんだ。
「京田辺課長…お願いがあります」
私は正面に座った彼の目をまっすぐ見据えた。
「わたしを、甘やかさないでください」
私の言葉に、京田辺課長は幾分真意を測りかねている様子だった。
それに促されるように、私は言葉を続ける。
「課長はハッキリ仰らないと思いますが、今の自分が本社部署に異動できるレベルに届いていないことは、私自身が充分認識しています」
ひと呼吸置いて、話を重ねる。
「お気持ちはとてもとても、涙が出るほど嬉しかったです。それでも…私の未来は、私自身のチカラで掴み取りたい!」
感情がぐるぐる渦巻いて涙が堪えられなくなりながら、何とかここまでの台詞を搾り出す。
「…わがままな部下で、本当に申し訳ございません」
下を向いた私の頭に、ポンとした感触が伝わってきた。
「…すまない。何故かこうしたくなった」
優しく置かれた手を離すと、京田辺課長は言葉を続けた。
「今は届いていないとしても、届かない、とは思っていないよ」
「…え」
「四条畷さんは、これから必ず次のステージに上がっていく。そのタイミングを決めるのは誰でもない、自分自身でありたい。そういうことだね?」
「はい」
ぐしっと涙を拭って、私はコクリと頷いた。
「すみません。そして、いまの私を評価していただき有難うございます」
京田辺は大きく息を吐き「分かった」と応えた。
「あ、さっきの頭ポンポンはハラスメント案件にしないでね」
「しませんよぉ…もう、雰囲気ぶち壊しですぅ…」
数分後、大分落ち着いて来た私は、いつの間にか面接時間を大幅に超過していることに気が付いた。
「すみません、1時間以上も話し込んでしまって」
「今日は四条畷さんが最後だから大丈夫だよ」
居住まいを正した私は立ち上がり、応接室のドアに手を掛けた。ドアノブをじっと見つめながらポツリと言葉を溢す。
「京田辺課長…もう暫く、課長の部下で居てもいいですか?」
幾分自身無さげな私の問いかけに、彼は胸を張って力強く頷いた。
「ああ、もちろん!」
翌朝、いつものマイタンブラーを片手にオフィスに入った私は、自席の机に封筒が一通載っていることに気が付いた。
何気なく手に取ってみて、ぷっと吹き出す。
「…何処に売ってるんですか、これ」
半目猫が組体操をしているデザインが大きく描かれた封筒には、メールを印刷したものだろうか、1枚の手紙が入っていた。
四条畷紗季さん
あなたの前に在る道は、一本ではありません。
私たちの目の前には、常に色々な選択肢が拡がっています。
ご自身の気の持ち方次第で、飛躍の機会は何度でも巡って来ます。
人生前向きに考えながら、とことん楽しんでいきましょう。
引き続きチームの牽引役、宜しくお願いいたします。
京田辺一登
「…甘やかさないでください、って言ったのにな」
(課長にとって私はきっと、手の掛かる姪っ子みたいな存在なのだろう)
本人が出張中につき不在のマネージャーデスクを恨めしそうにチラリと見て、私は手紙を大切に折り畳み封筒に戻した。
いつからだろう。
彼の姿や言葉を思い出す度、胸の中がモヤッとしている自分が居ることに、何となく気が付いていた。
この気持ちには未だハッキリとした名前は付いていない。それでも…。
「…名付けるのは誰でもない、私自身なんだ」
軽く頬を叩いて気合いを入れ直した私は、本日行われるプレゼンテーションの最終確認をするために、パソコンの起動ボタンを押下した。
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