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パソコン入力に見る日本が被る文化的不利益

最近、PCのキーボードを打つ度に思うのは「どうしていちいち、漢字と英字の切り替えをしてるんだろう」ということだ。私たちはいったい、1日に何度、Alt+半/全を叩いているのか。

切り替えをするだけならともかく、日本語入力だと思って打っていて、画面見たら英字だということに気が付いて、全部消して再度打ち直す・・・などとなったら、その無駄なこと、甚だしい。1回1回は大したことなくても、これが1日に何度もあれば、累計すれば夥しい回数になるはずだ。

仮にコンピュータというものが最初から日本語入力を前提に作られていたら、こんな無駄なことしなくてよくなる。最初からすべてを日本語入力として、今でいう全角文字だけにしておけばいいだけだ。

もちろん英字や数字も全角だけでよい。

それだとキレイに表示できないじゃないか、という声も聞こえそうだが、いやいや、そこは全角入力しても半角の幅で表示するフォントがあればいいだけで、入力の問題でない。

文字コードだって、今使っているようなUnicodeで最初から設計されていれば、Windows系とUNIX系で文字コード変換できなくて文字化けするようなこともなかったのかもしれない。

昨年から仕事で使っているERPパッケージがあるのだが、この日本語版の一部の機能で、中国語フォントでないと正しく表示できない、という事象があった。

このERPパッケージは米国で作られたもので、各国語版があるのだが、日本語版は中国で作られている。そのために上記の事象が発生してしまったのだろう。

やはり日本で使うものは、日本で作らなければならない。

こんなことになっているのは主に米国でコンピュータ技術が進歩してきたからだが、その背景には政治や経済が米国中心だということがあり、さらには産業革命以降、英国など欧米を中心に世界の価値観が構築されてきた、という時代の流れがある。

また中国語フォントの問題でいえば、IT関連技術が中国など新興国が日本を上回る勢いで発展している、という現実がある。

政治や経済で遅れをとるということは結局は文化的にも不利な立場に置かれ、こんな不利益も被るということだ。

若い人にも、政治経済を決して縁遠い他人事だと思わないで欲しい。

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