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カナブン、ヌリカベになる
2007/07/02
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)
夕方母の部屋を覗くと、母はヌリカベになってソファに横たわっていた。
無表情で口を固く閉ざし、微動だにしない。
「ねえねえ、私のことわかる?」と訊くと、黙ってわずかに顎をひく。
今日は調子悪い。血圧、上が59で下がいくつだとか、呟く。
「こういう天気の時は駄目よね」と言ってみるものの、ヌリカベは機嫌が悪い。どうにもこうにも身動きが取れない。
「パンを買ってきてって頼もうと思ったけど、お客さんかと思ってやめといた」と言う。お客さんというのは、私のところへ見えるクライアントさんのこと。
母は、私が思うようにかまってくれないことをつまらなく思っているのだ。
以前私が勧めた介護付有料老人ホームを、やっぱり見学に行くかという話をすると、一度見に行きたいという。
少し前、母がその気になったので資料を取り寄せたところ、私に「もう少しココにいさせてください」と懇願している夢を見た、というので、私はすっかり嫌になって諦めたのだった。
まるで私が追い出そうとしてるみたいじゃない。私は怒った。そしてもう二度と言うまいと決めたのだ。
なぜ私がそのホームを勧めたかといえば、隣駅から徒歩10分以内の場所にあるからだ。「ここならいつでも行き来できるじゃない」という話だ。もちろん見学して体験入所して、いやならやめればいいだけの話。
それでもそんな知らないところにひとりで放り込まれるよりは、つまらなくても慣れたところで、日々愚痴をこぼしながら生きていることを選択するのね。そう諦めていたけれど。
母はたいした食事をとらないので、どんどん痩せていく。だけど妹夫婦と軽井沢に行けば、うな重をぺろりとたいらげ、呆れるくらいにおしゃべりになるというのだ。だから不可能なのではない。今の環境が圧倒的につまらないだけだ。
母の夢はきっと、娘たちが裕福な暮らしをする専業主婦で、毎日のように自分の相手をしてくれて、いろんなところへ連れて行ってくれて、買い物にもつきあってくれて、そんなふうだったら良かったんだろうな。
だけど三人娘の誰ひとりも、そんな運命は辿らなかったんだから仕方ないよ。別に辿りたいとも思わないけれど。
「知らない環境の中へ、アンタなら飛び込める?」と母は訊く。「私最近、どこでも平気よ」と応えると、「アンタ、性格変わったわね…」と言う。母はいつでも私が、自分と同じだと思っているのだ。
昔から私にだけは自分の価値観を流し込み、自分と同化させてしまっているので、私がどういう感情を抱いているかということにはまるで頓着していなかった。私のことは知っているつもりになっているので、私に関心を向けてきたことがなかった。
まったくひどいよなあ。今さら恨んでなんかいないけれど、自分が娘を育ててみて、私は初めて、母の私への無関心さを思い知った。もちろんそんなこと、母は気づいていないけど。
たっぷりと溢れていると思い込んでいた母の愛情の裏に、時折びっくりするほどの冷たさと残酷さが隠れていることに気づいた。
そしてそれは母自身が、本当の母親の愛情を知らずに育ったからなのかと思えば、誰が母を責められようか。そんなふうに思った。
母の顔を覗くのは重い。だけど相手をしないと罪悪感が募る。できない時にはできない、できないことはできない。冷たいけれど、どこかで線引きをしないと、自分が駄目になりそうだと思う。「これはアナタの生き方の問題でしょ」と、今になって突き放すこともできない。
痛感するよ。誰かのためにだけ生きてちゃいけない。誰かの心配や要らぬ世話焼きだけのために、時間を費やさない。そして出来る限り自分のことは自分でする。不精をしない。人間は、家事をしなくてはいけない。ご飯をつくろう。いくつになっても、「今日は何を食べようか」と考えたほうがいい。
そしてとにかく、歩いたほうがいい。足腰を鍛えておかなくては、何もできない。
だから私は今日も、妄想散歩に出かけたよ。重たく湿気を孕んだ風が、汗ばんだ背中を冷たくした。歩いていて、あまり気持ちよくなかったな、今日は。私の背中から腰にかけて、ヌリカベが張り付いているように、なんだか重たかった。