砂時計
さらさらと流れ落ちていく
くびれたガラスの中を
絶え間なく
時の流れを
具現化するかのように
早くもなく遅くもなく
時のせせらぎのように
何度も逆さまにされ
上から下へ
ひたすら砂を運ぶ
あの砂の一粒一粒は
何度も何度も
流れ落ちる間に
全ての砂の粒と
巡り会うのだろうか
流れる時の中で
一つの砂の粒が
全ての砂の粒と
巡り会うまでに
何度流れなければ
ならないのだろうか
出会いと別れ
再会と別離を
繰り返しながら
延々と
時の欠片と化す
時の流れに逆らわず
身を委ね留まざること
時を駆ける旅人の如し
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今日は詩をお届けするよ~♪
前から思ってたけど、1日24時間て短すぎるよなぁと最近それをより強く感じる。だって、もう年の瀬なんだよ?
早すぎる~(´Д`)マダナニモシテナイヨォォォ!!!
そうやって日々年々過ぎていった過去で溢れ返り、この瞬間でさえいつかは色褪せていくんだろうなってガラにもなく考えることがある。
日が短くなるに連れ、考えも気持ちも沈みがちなんだろうね。だからこそ、敢えて集中できることを探して余計なことを考えないようにしてる。
考え始めたらキリがないし、そんな状態で考えたところでいい答えが見つからないことはわかってるし。
それでもふと突然、自問自答が始まる。
答えがない問いをもう一人の自分に浴びせられ、心がノックダウン寸前になることもある。
いつだってもう一人の自分は容赦ない。
それもあってか、誰かと話すのは心地いいとより思う。自分の想像範囲外から来る言葉や出来事などといったことは全ていい刺激になる。
良くも悪くもそういったものは心地いい。
それに何より言葉にすることで自分の中の考えが整理されたり、自分が向かうべき方向性、目指したい未来を描きやすくなる。迷いや不安を無くすなんて不可能だ。共に歩んでいくことしかできない。
でも、それでいいんだ。
迷いながらも進んでいくことで、見えてくるものは必ずある。不安だからこそ、それを取り除くために工夫を凝らす。それらから様々な予想だにしない転機や出会いが生まれる。
これを人生と呼ぶんだと今はそう考えてる。
今という瞬間から逃げる時があってもいい。
現実から目を背けたっていいんだ。
いつかまとめて向き合うときが来る。
その時までに逃げて装備を整えて、迎撃したらいい。
四苦八苦して、踠きながら足掻きながらイメージの向こう側を目指して進んでいけばいい。
どれだけ進んだか、どれだけ速く進んだかなんてどうでもいいんだ。
どうやって進んだか、どのように乗り越えたか、それが大事なんだと思う。
自分一人で乗り越えられる場合もあれば、周りの手を借りて進める場合もある。
手を差しのべてくれるその想いは、無下にしてはいけない。そしていつかその人が必要なときに、手と想いを差しのべてあげられたらいい。
縁というものは本当に不思議だ。
その時気付けなかったとしても、時が満ちればあるべき姿で現れたり。
最初は本当に些細なきっかけだったのに、気が付けば親密になっていたり。
そうしてやがて絆が生まれ深くなる。
そして、離れ離れになったりまた再会したり、新たな出会いが訪れたり。
全てが必然であるかのように、満を持して縁はやおらカタチを成していく。
人も砂時計の砂の粒と何ら変わらない。
偶然なんてこの世にはないのかも知れない。
あるのは現実と見え隠れする理由だけ。
砂時計を逆さにするタイミング、傾きの角度によって出会う砂が変化するように、人にもまた全てのことに隠された理由があるんだろう。
その理由でさえも時が満ちれば姿を現すのかも知れない。
その理由がわかるタイミングも縁の一部とするならば、縁とは本当に不思議なものだ。
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m