理由
人間は理由を欲する生物
生きる理由 死ぬ理由
好きな理由 嫌いな理由
悲しい理由 楽しい理由
そんなに理由が知りたいかい?
そんなに理由が欲しいかい?
理由がないものにだって
意味はあるのに
理由を待っていたら
何もできない
何もわからない
理由がなくても
人は人を好きになる
理由がなくても
目の前に道は広がる
理由がなくても
人は生きていける
でも
知らず知らず
求めてしまう
僕も人間なんだ
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久々に昔の詩をご紹介しまーす(*^^*)
人という字は、人と人が支え合っている姿が字になりました。
金八先生はそんな風に漢字の成り立ちを切り口に人間について教えてくれました。
その先に続く言葉はもはや思い出せません。
でも、これは本当は違っているみたいですね。
人間の進化過程などを教科書で見たことがあると思いますが、まさにあんな人を横から見た姿が漢字になったそうな(´Д`)イマサラダヨォォ!!!笑
これを知ったとき、よく真実はいつも1つだとメガネをかけ蝶ネクタイをした少年は決めゼリフを放ちますが、金八先生が真実の方で、もういいと思ってしまいました。
まぁきっと嘘も方便という精神で、贈った言葉が一人歩きした結末なのでしょう。
僕は金八先生の言葉の方が明日を生きる力になると思います。
みんなが遣えばそれが言葉になるように。
みんなが歩けばそこが道になるように。
みんなが思えばそれが真実になると思います。
きっと歴史上にはそんな真実はたくさんあることでしょう。
人の気持ちや時代による偶然とか些細な理由があったとして、偽りの事実を語り継がれてきたとしても、今それを解明されたとしても、何一つ変わらない明日を生きると思います。
歴史を解明することで、何かを得て明日に活かすことができるなら、明日が豊かになるのなら、それはとても素晴らしいことです。
理由を知って明日を生きる力が無くなるのなら、それは明るみに出てくるべき事実ではなかったと思います。
人の生きる真の理由が仮に明らかにされたとして、それを知ったからと言っても変わらないと思います。
何にも変わらないと思います。
その目的に忠実に生き直すなんてできるわけもないですしね。
わかってはいるのです。
わかっているはずなのに、知らず知らず理由を求め真実を追い求めてしまうのはもはや本能に近いものなのかも知れません。
人間とは何て面倒な運命を仕組まれた生命体なのでしょう。
複雑だからこそ、一筋縄では行かない面白さや奥ゆかしさがあるのでしょうか。
その反面、面倒になったり疲れたり自暴自棄になったりしてしまうんでしょう。
人間らしさは忘れずに生きていたいものです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました(*^^*)