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発達障害は年齢と共に「治らない」んだよ

「発達障害って、大変なのは子供のうちだけでしょ?」
「年齢とともに治るんでしょ?」

健常者の中には、こういう事を言ってくる人が多い。
「大人の発達障害」も、「子供のうちに回復しなかったせいでの後遺症」みたいに捉えられてたり。
子供の癇癪と同じと思われてるんだろう。

成長すればましになる。大人になれば治る。
発達障害は癇癪や知恵熱じゃないです。

一生完治はしないし、年齢とともに自然に改善されるものでもない。


「発達障害は年齢ともに治る」と思ってる人たちに告ぐ。

治らない。

治りません。

治んねえから障害なんだよ。

発達障害は治らない

健常者は発達障害当事者に改善を促して見守るんだけど、一向に良くならないのを見て首をかしげる。

「治療法が合ってないんじゃないか?」と。

という事で健常者は当事者に対し、「発達障害の治し方」としていろいろな方法を試してみるけど、当然効果は全く出る事はない。

そこではじめて障害である事が分かり失望・ブチキレる。

「治んねえんなら最初からそう言えよ!!!!」

と。

言いました。「発達障害は障害なので、治りません」って。

なのに聞く耳持たなかったのはそっちだろうがよ、「絶対治る!!」「気合いで頑張ろ!」じゃねえよ何度も治らねえっつっただろ!!!!

こういう思いをした当事者も多いんじゃないかな。

健常者に言われがちな事

発達障害者が言われがちな事として、

「皆も協力するから、頑張って一緒に治していこう!」

頑張って治るものじゃない。

「しっかりとしつければ発症しない/治るだろ」

家庭や学校のしつけや育て方の問題じゃない。

「気の持ちようだよ」

それでどうこうできないから障害なんであって。

「知的障害?ダウン症?」

全くの別物です。

「アスペってやつか」

確かに分類的にはそうだけどさ。

「障害持ってるなんて全然見えないよ!」

全然障害者です。

「発達障害とか凄い!高IQ・天才なんでしょ!?」

凄くねえし、大半は凡人or馬鹿。

「才能を発掘・活かそう!」

発掘できるもんじゃないし、あったとしても活かすのは難しいんだよ。

「それはあなたの個性だから大事にしよう!」

ほとんどはこんな個性認めてもらえないんだよね……

「物忘れとか遅刻とかは私もよくするから大丈夫だよ」

回数・酷さはあなたの比じゃないから大丈夫。

「辛いのは皆同じ!」

一人一人全く違うっての。

「ただの甘え」

甘えてません。

「ちゃんと努力してんのか?」

努力してます。

「自称だろ」

ちゃんと病院で診断を受けました。

「誤診だろ」

ちゃんと受けたっつってるだろ疑うなよ。

「弱者アピール乙」

好きで弱者やってる訳じゃない。

「発達障害って言えば何でも許してもらえるからいいよね~」

お前ら許してくれねえだろ。

「周りの環境を整えたら治るはず」

電波障害じゃないんだからさ。

「食事や水が悪いから障害になるんだ」

食いもん変えただけで脳みそが変わるか。

「体内の働きが悪いんじゃない?」

内臓の問題じゃねえし、腸活とか菌活とか勧めてこないで。

「良いジムとかトレーナー紹介しようか?」

お門違いなんで結構っす。

「頭打った後遺症?」

先天性の障害です。

「障害を持って生まれたのは前世のカルマ。浄化の為に祈事を唱えて」

スピリチュアルは呼んでない。

etc………

こちらの発達障害について真剣に受け止め、向き合おうとしてくれる人もいるけど、上記のように無理解・無関心、もっとひどいと説明しても一切理解しようとしない人もいる。

悲しい事に後者が圧倒的に多い。

自分の中の発達障害のイメージでしか当事者を見ないから、
何度も何度も「発達障害は治るものじゃない」と説明してるのにも関わらず、「治していこうね!」とか「治療・リハビリ頑張ろうね!」と言ってくる人の多い事多い事……

「発達障害は甘え」という声がまだまだ根強いのも、こういうせいなんだろうなと思います。

発達障害は「ましになる」?

発達障害について「治りはしないが、ましになる」という言葉があるけど、この言葉が広まったのも、健常者に期待を抱かせてしまう要因なのかもしれない。

健常者は「全快」が全ての大前提になってる。

「ましになる」を、健常者は「回復する」と解釈してるんだと思う。
だからそのまんま、「回復するという事はいずれ治るだろう」
=「適切な治療と本人の強い意志があれば、必ず治る」。

当事者にとっては「不治」が全ての大前提で、

「治らない中でも辛い薬物治療やトレーニング・カウンセリングを繰り返す事でやっと自己認識ができるようになり、だんだんとそこそこの・ある程度のコントロールができるようになっていく」との認識なんだけど、

そこで両者で大きな隔たりというか、ズレが生まれてる。

当事者の言う「ましになる」
=「回復もしないし治りもしない。だがある程度のコントロールはできるようになる」

健常者の思う「ましになる」
=「回復する=いずれ治る

こういう認識や前提の誤解によって、
健常者は「ましになるっつってただろうが!!期待させやがって!!」となるんだと思う。

当事者による「発達障害から「回復」しました」みたいなタイトルのエッセイや体験談も見かけるから、こういうのも余計に健常者の期待を煽ってるんだろうな……

何度も言うけど、発達障害は治りません。

不治の障害なんです。

壮絶な薬物治療やトレーニングを経ないとましにならないし、そのましになるというのも決して回復するという意味じゃありません。
あくまで自己認識・自己コントロールの方法がだんだん分かってくるって意味での「ましになる」です。

発達障害は一生決して治りません!!!!

健常者には、どうかそこのところを分かってほしい。

当事者として、健常者へのお願い

「じぶんの思う発達障害」のイメージで当事者を見ない・語らないでほしい。
いつか治るかな~、治るといいな~、なんて期待は持たないでほしい。期待を押しつけないでほしい。

「治せよ」なんて言わないでほしい。

それを前提に発達障害当事者と向き合ってほしい。

こう言うと、「障害者は傲慢だ」「図々しい」とか言ってくる人がいるけど、
こうやってこっちから言わねえとお前ら分かろうとしねえだろ。

まあこんな事言ってくるような人間は、障害者を理解しよう、向き合おうなんて気持ちははなから微塵も持ってないんだろうけど……

健常者が言う「発達障害って治るんでしょ?」に、悪気はない事は分かってる。
ただ誤解してるだけな事も知ってる。

でも、発達障害は治るものじゃなく、
年齢や生活環境等による自然回復も見込めません。

「頑張って治していこう」等の何気ない誤解の言葉が、当事者を傷つける事も多い。

家族や友達、恋人が発達障害で、
どういう言葉をかけた方がいいのか、どういう対応をすればいいのかと困ってる健常者も多いと思うけど、

自分の中のイメージだけで決めつけず、まずはおおざっぱにでもいいから、発達障害について調べてみてほしい。

そして是非とも当事者とも話し合って、双方の理解を深めていってほしい。


健常者の皆さんは、どうか「発達障害は治らない」事を前提に、当事者を見守ってくれると嬉しいなって思います。



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