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ヒッポのアウグスティヌス 結び

わたしは、今、教皇ヨハネパウロ二世による使徒的書簡『ヒッポのアウグスティヌス』を手にしています。※出版社では現在「品切れ」です

前回は、そちらの「序文」を取り上げましたが、今回は巻末にある「結び」から引用して、ご紹介したいと思います。

わたしは、アウグスチヌスの回心を思い起こし、またこの比類ない人物の思想のパノラマを簡単に描き、わたしたちが皆、ある意味において教会と西欧世界の両方において、彼の子であり、弟子であると感じています。もう一度、わたしはわたしの熱意を述べたいと思います。それは彼の教えが研究され、広く知られなければならないということです。そして、この偉大な博士であり、司牧者である彼の権威ある教えが、教会と全世界で、信仰と文化の向上のためにつねに繁栄するよう、その司牧的熱意は手本とされるべきでしょう。

『ヒッポのアウグスチヌス』結び より引用

ヨハネパウロ二世の「教会と西欧世界の両方において、彼の子であり、弟子であると感じています」という言葉は、私自身からすれば、決して大袈裟ではないと感じます。それほどまでに、西欧のキリスト教は、その多くをアウグスティヌスから受け取っているのです。

では、ここ日本ではどうでしょうか?

信仰の土着化(インカルチュレーション)が唱えられるなかで、なにが、キリスト教が、日本に「馴染む」のを阻害する要因として働いているのか?

その鍵を探したくて、わたしは個人的に、西欧キリスト教世界に、おそらく最も影響を与えたであろう「アウグスティヌス」という人物にこだわっているのです。彼の言説が、キリスト教が日本に馴染むのを防いでるのではないか?とさえ疑っています。と同時に、彼の言説に、日本におけるキリスト教拡大の鍵が隠されているかもしてない、とも期待しています。

21世紀、明治時代に禁教令が解かれてより100年以上が過ぎて、日本のキリスト教は、どこへ向かおうとするのか?

その鍵は、土着化(インカルチュレーション)に、かかっていると思っています。西欧からキリスト教を「輸入」する、舶来品としてのキリスト教の時代は、とうの昔に終わりました。

わたしたちの世代が、次世代に、何を残せるのか?

その真価が、発言する、キリスト者、一人ひとりに、問われている、そんな気がしています。

次回は、本書の第一章「回心」を取り扱いたいと思っています。

では、またの機会に、お元気で。

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