こちらは、ヨハネパウロ二世が使徒的書簡「ヒッポのアウグスティヌス」にて公布されたものが、2005年2月10日に邦訳されたものを用いております。
※出版元では、現在「品切れ」状態です
このたびは、その第1章「回心」から引用し、着目したいと思います。
アントニウスとは、大アントニオス(ギリシア語: Αντώνιος, ラテン語: Antonius、251年頃 - 356年)のことを指し示してのことでしょう。
ちなみに、わたしは昨年11月末に「入籍」し、10年来付き合ってきた女性と、正式に、法律上も「婚姻関係」を結びました。
2013年夏から付き合い始め、その頃より、わたしは病者である彼女に仕えることが御心に適うのだと、信仰から、そのように識別したからこそ、現在の結婚生活があります。
修道者であったアントニウスも、病者を助けるときは、神との孤独な交わりを離れて、これに専念したと、伝記にしるされています。病者を助けることは、神との親しい交わりより優先されるのです。
アウグスティヌスには、そういった私のような霊的な識別の必要なしに、もっと素直に、修道的生活を送る、その素地が整っていました。
この部分は、アウグスチヌスの『告白録』第8章12巻に詳しいのですが、それによりますと、次の言葉が、机上に開かれた聖書にあったと記されています。
ひきつづき、使徒的書簡『ヒッポのアウグスチヌス』に戻ります。
アウグスチヌスは、修道的生活を目的として、洗礼志願者の列に加わり、受洗しました。もし、ヒッポにて、人々に見出されていなければ、そのまま一人の信徒として終わったかもしれませんが、周囲は、彼を必要とし、391年には助祭に、そして396年には司教に任命されました。
つまりは、アウグスチヌスは、修道生活を捨てて、聖職者となった…ということを意味します。神に仕える道から、キリスト者である信徒に仕える道へ…大きく舵を切ったのです。これも御心だったのでありましょう。
2,000文字を過ぎました。
次回は、本書の第二章「教会博士」から、こちらが5節に分かれており…
理性と信仰
神と人間
キリストと教会
自由と恩恵
キリスト教的愛徳と霊の高昇
上記を、1節づつ、紐解いてゆきたいと願っております。
それでは、またの機会まで、お元気で。