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ヒッポのアウグスティヌス 第1章 回心

こちらは、ヨハネパウロ二世が使徒的書簡「ヒッポのアウグスティヌス」にて公布されたものが、2005年2月10日に邦訳されたものを用いております。
※出版元では、現在「品切れ」状態です

このたびは、その第1章「回心」から引用し、着目したいと思います。

 とはいえ彼の人生行路は、まだ終わっていませんでした。アウグスチヌスの心には、以前に計画していたものが再浮上します。すなわちかつて学んだ知恵を再度獲得するために、地上的なすべての望みを捨てて完全な自己奉献をすることでした。もはや言い逃れできないくらいに、ここまで激しくもとめてきた真理が、彼にとって確かなものとなりました。にもかかわらず、その決意を遅らせる理由を求めて、彼は躊躇しました。彼を地上的な望みに結び付けていたきずなは協力でした。それは、名誉、金銭、結婚であり、とくに最後のものは生活の歩みのなかで、彼にとっては当然のものとなっていたからです。 
 それゆえに、アウグスチヌスは、自分の結婚は禁じられていないと知っていました。しかし彼は、結婚以外の形でなければ、カトリック教徒になることを望みませんでした。彼は、優れた家族の考えを放棄することで、彼の魂の「すべて」をもって、洗練された愛と知恵に自己奉献 することを願ったのです。この決断は、彼のもっとも深い願望に一致するもので、彼に深く根付いていた慣例とは相反するものでした。そのうちアウグスチヌスは、偶然知ることになった、西方で広がり始めていたアントニウスとその修道士たちの生活規範に、心を動かされたのです。

『ヒッポのアウグスチヌス』より引用

アントニウスとは、大アントニオス(ギリシア語: Αντώνιος, ラテン語: Antonius、251年頃 - 356年)のことを指し示してのことでしょう。

ちなみに、わたしは昨年11月末に「入籍」し、10年来付き合ってきた女性と、正式に、法律上も「婚姻関係」を結びました。

2013年夏から付き合い始め、その頃より、わたしは病者である彼女に仕えることが御心に適うのだと、信仰から、そのように識別したからこそ、現在の結婚生活があります。

修道者であったアントニウスも、病者を助けるときは、神との孤独な交わりを離れて、これに専念したと、伝記にしるされています。病者を助けることは、神との親しい交わりより優先されるのです。

アウグスティヌスには、そういった私のような霊的な識別の必要なしに、もっと素直に、修道的生活を送る、その素地が整っていました。

わたしはもはや女性やこの世のいかなる望みも求めず、あの信仰告白の上に立っていました。

『ヒッポのアウグスチヌス』より引用

この部分は、アウグスチヌスの『告白録』第8章12巻に詳しいのですが、それによりますと、次の言葉が、机上に開かれた聖書にあったと記されています。

「享楽と泥酔、淫乱と好色、争いと妬みを捨てて、イエス・キリストを着るがよい。肉の欲望を満たすことに心を向けてはならない。

『告白録』第8巻12章29節より 引用

ひきつづき、使徒的書簡『ヒッポのアウグスチヌス』に戻ります。

 このときからアウグスチヌスには新しい生活が始まりました。彼は学問的研究期間を終了して‐ぶどうの収穫時期が近づいていたので‐カッシアクムの観想的生活に身を寄せ、休暇の終わりに教授職を辞めて、387年の初頭、ミラノに帰りました。そこで洗礼志願者名簿に名を連ね、聖土曜日の夜(4月23、24日)アンブロジオ司教の説教から多くのことを学んだ彼は、その司教によって聖なる水で洗礼を受けたのです。
「かくて洗礼を受け、過去の生活についての思い煩いは、わたしたちのもとから逃げ去ってしまいました。その当時、わたしは人類の救済についてのあなたの思し召しの深さをつらつらと考えて、不思議な甘美さのうちに飽くことを知りませんでした。」
彼は心からの激しい感情を表しながら付け加えます。
「讃美歌や聖歌を聞きながら、甘美に響き渡るあなたの教会の声に感動し、何と激しく泣いたことでしょう。」
 洗礼後、アウグスチヌスの一つの望みは、主に仕えそして生活するという「聖なる決意」に従って、その友人とともに住むにふさわしい場所を探すことでした。それを彼は、生まれ故郷、アフリカのタガステに見つけました。そこは、オスティア・テベルニアにて母を亡くした後、ローマで修道院運動について数か月間勉強してから、やってきたところでした。彼はタガステに着き、自らの心労から身を離し、「自分に従ってきた人々とともに神のために生き、夜となく昼となく神のおきてを瞑想しつつ、断食と祈祷と善業とをもって神に仕えていた」のです。

『ヒッポのアウグスチヌス』より引用

アウグスチヌスは、修道的生活を目的として、洗礼志願者の列に加わり、受洗しました。もし、ヒッポにて、人々に見出されていなければ、そのまま一人の信徒として終わったかもしれませんが、周囲は、彼を必要とし、391年には助祭に、そして396年には司教に任命されました。

つまりは、アウグスチヌスは、修道生活を捨てて、聖職者となった…ということを意味します。神に仕える道から、キリスト者である信徒に仕える道へ…大きく舵を切ったのです。これも御心だったのでありましょう。

2,000文字を過ぎました。

次回は、本書の第二章「教会博士」から、こちらが5節に分かれており…

  1. 理性と信仰

  2. 神と人間

  3. キリストと教会

  4. 自由と恩恵

  5. キリスト教的愛徳と霊の高昇

上記を、1節づつ、紐解いてゆきたいと願っております。

それでは、またの機会まで、お元気で。

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くり坊
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