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夢と詩があって人生、詩と夢があっての文学

岩波文庫の日本近代短篇小説選の中から一つを読むのが毎晩の習慣となっている。
今日は大正篇から宇野浩二「屋根裏の法学士」を読んだ。

作品の最後によれば、主人公の三作は「この世を軽蔑」したために「この世」から「軽蔑」し返されたのだという。

つまり、三作の低迷の原因は、「この世を軽蔑」したことにある。

彼の母に象徴される第一部を見ると、少年時代の三作がどのように過ごしてきたか窺うことができる。

それは、概ね出世には目もくれず、作家を目指し続けてきた三作の姿だ。

そして、おかみさんに象徴される現在の三作は、母への仕送りの義務から解放されると、それをきっかけに気持ちの変化が起こる。

それ以来、経済的負担が減ったことによる安心感に押し流されるように今まで書くことを熱望していた「大人の小説」を書く意欲を喪失してしまう。

また、三作は、作家になることを思い描いてから、お伽話や翻訳以外のもの、つまり「大人の小説」を全く書き上げていない。

後に、語り手によって"勇気"、"常識"と共に"根気"がないことも指摘されている。

三作が作家を志すのは、文学への深い憧憬がもたらすものではなく、むしろ作家という立場や創作活動を行うことで得られる世間に対する優越感に惹かれるからではないか。

ということが、過去の象徴"母"と現在の象徴"おかみさん"を通じて描かれている。

このような感想では、深刻な物語のようであるが、あくまで嘲笑的な語り手と、誇張された主人公を含めた登場人物の姿によって、ユーモラスな作品になっている。

寝る前の一編の小説が、わたしの心を豊かにし、日々の苦しさを忘れさせてくれる

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