見出し画像

ブランド体験を翻訳する——「感覚」をグローバルに分かち合うために、言葉のプロが考えていること

「コーヒーの粉に中央からぐるぐるとお湯を注ぎます」……こんなコーヒーの抽出レシピを英語にするとき、どんな翻訳が行われているのでしょうか?

京都から世界へコーヒーカルチャーを発信するKurasuには、コーヒー会社には珍しく「翻訳者」がいて、日本語のみならず英語でもボリューミーに発信をしています。立ち上げ初期から現在に至るまで、“言葉”でKurasuのグローバルな活動を支えてきたAyaに、Kurasuにおける「翻訳へのこだわり」を聞きました。

\関連記事/

伝えたいことを、温度や手ざわりごと伝える

——Ayaさんは2016年から現在に至るまでKurasuで翻訳をされているそうですね。どのようなものを翻訳しているのでしょうか。

出典:Kurasu グローバルサイト

Kurasuのグローバルサイトに載せる商品説明文やキャッチコピー、サブスクリプションの冊子に載せるパートナーロースターへのインタビュー、抽出レシピなどを翻訳しています。また、英語でのカスタマーサポートや、週1回配信している日本と英語のニュースレター(メールマガジン)の作成も行っています。

——翻訳をするときに大事にしていることは何ですか。

伝えたいことが、その温度や手ざわりを失わず、伝わるようにすることです。翻訳理論の一つに、翻訳には4段階のプロセスがあるというものがあります。

(1)話者/作者の中にある内容が文章(原文)になる
(2)原文の読者がイメージを受け取り、解釈する
(3)原文の読者が、その解釈をもとに別の言語(ターゲット言語)で内容を表現する
(4)ターゲット言語になったものをその言語の話者が受け取る

つまり、もとの文は3つのステージを経てようやく、訳文の読者に届けられるということですね。

翻訳をするときは、まず元の言語(原文)の意図をできるだけ正確に読み取り、必ず伝えるべき内容はどれなのかを見極めます。同時に「なぜ話者/作者はこのタイミングでこの言い方/書き方をしたのか、それを言う/書くことで何を伝えたいのか、どう受け取ってほしいのか」を考えて、それらがもっとも効果的に表れることを目指しています。

翻訳はアウトプットの能力(他言語での表現力)が必要と思われがちですが、実はインプット(原文の読解力)がとても重要です。話者/作者の意図を正確に汲みとらず、字面だけを翻訳すると、違ったふうに伝わってしまうことがあるからです。

その人は何を伝えたいのか、どう受け取ってほしいのか。それをきちんと原文で理解し、自分の中で消化して、はじめて加工ができると考えています。

——コーヒーにおける「香り」や「味わい」などの感覚的な表現を、異なる言語でどのように表現するのでしょうか。

コーヒー業界では、香りや味わいの特徴を表現する際に「フレーバーホイール」を用いることが一般的です。フレーバーホイールとは、フレーバーの種類をチャート化したもので、いわば、コーヒーを語るうえでの「共通言語」のようなものですね。

業界内で「こういったフレーバー、こういった質感は、この単語で表現しましょう」と決まっているおかげで、共通言語的なアプローチができます。

とはいえ、味覚は主観的なものなので、同じ言語でも伝えることはすごく難しいです。私が感じている味と相手が感じている味が同じかどうか、確かめることはできませんから。空の色を言葉で伝えるのが難しいのと同じですね。

SCA Coffee Taster’s Flavor Wheel / 業界では、現在使われているフレーバーホイールの語彙選択が北米の文化に偏っているという指摘や、現地版のフレーバーホイールをつくろうとする試みも見られます。

私は、ふだんから「日本語の表現から受け取った身体感覚に相当する英語は何なのか」と考えてアプローチをしています。

日本語はオノマトペ(擬音語と擬態語の総称)が多く存在する言語です。「じわじわ」と「じゅわじゅわ」という言葉のニュアンスは、すこし違いませんか? 「じわじわ」からは冷たい不快感を連想することもあれば、遠赤外線的な温かさを連想することもあります。「じゅわじゅわ」は、私の感覚では、熱い肉汁のイメージです。

そこから、「英語で同じような感覚を想起させる言葉って何だろう?」と探していきます。最初に思いつく単語は「juicy」かもしれません。でも同じjuicyでも、レモンのjuicyと桃のjuicyでは印象が違いますよね。

また、「酸っぱい」を表す英単語で一番有名なのは「sour」だと思いますが、ほかにも「tangy」「tart」「acidic」などがあり、酸っぱさの種類によって使い分けられています。

私自身は英語のネイティブスピーカーではないため、英単語に結びついている身体感覚はネイティブスピーカーほどにはありません。なので、どんなシーンでその単語が使われていたかを思い出したり、リサーチしたりして、しっくりくる言葉を探します。

ある言語を別の言語に変える行為だけが翻訳なのではなく、コーヒーを飲んで自分の身体的な感覚を言葉にすることも翻訳であると私は思っています。言ってみれば、すべてのコミュニケーションは翻訳です。無自覚的であれ、日本語の中でも翻訳は発生しています。

——「Kurasuらしさ」を維持するために意識していることはありますか。

Kurasuでは、すべての文章を画面の向こうにいる方へのメッセージと思って書いています。素直な気持ちで「こういったものがいいと思っています。だから一緒に楽しみましょう」と書けば、Kurasuらしい親しみやすさや温度感が伝わる文体になるんじゃないかな、と。

また、インクルーシブ、サステナブルなど、Kurasuが目指しているもの、大事にしているものを損なうことがないよう、言葉の選び方にも気をつけるように心がけています。

英語圏では、ジェンダーに関する諸問題に対して日本よりも高い意識を持つ国が多いです。日本語で当たり前に使われる言葉であっても、海外では前時代的だと違和感を持たれたり、指摘されたりすることが珍しくありません。ですから、たとえば原文で、本筋ではない部分に「男のロマン」とあったら、翻訳するときはその人にとって、「男のロマン」と表現する感情・感傷や喚起されるイメージは何か?にフォーカスした表現にして調整しています。(そういった言葉のチョイスも含めてその人を表現すべき場合は、そのままにすることもあります。)

また、職種などへの先入観で性別・性自認を決めつけないことも心がけています。「生産者の○○さん」についてのエピソードを三人称で書くときも、何も考えずheを使うのではなく、本人が発信している(つまり自認している)主語/目的語がネット上にないかを調べて、あればそれを使うように意識しています。

翻訳の難しさと楽しさ。言葉の内包的意味を想像する

——Kurasuに入った最初の頃と最近を比較して、変化を感じることはありますか。

私は2016年にKurasuに入って、今年で9年目になります。外国人のお客様についていえば、最初の頃は、日本が好きで、日本に注目している人が、「へぇ、日本にこんなブランドがあるんだ」と見つけてくれるケースが多かったです。でも、最近はKurasuの知名度が高くなってきて、純粋にコーヒーが好きでKurasuにたどり着いてくれる人が増えてきました。

国内では、2021年に海外のコーヒー器具専門のオンラインサイト「Kigu」※が始まり、これまでのKurasuでの品揃えとまた違った角度でコーヒーを楽しむ方がこんなにもたくさんいるんだ、と実感できました。コーヒーフェスティバルや百貨店での催事といったリアルイベントも大盛況で、コーヒーを愛する人が増えているのだなと肌で感じています

Kurasuのお客様はコーヒーリテラシーの高い方が多いです。しかし、インクルーシビティ(社会的包摂)を考えたとき、コーヒーを好きになったばかりの方にも、詳しい人にも魅力的に思ってもらえるように、どちらもおろそかにすることがない書き方を心がけています。

※2024年10月1日、KurasuとKiguのウェブサイト・オンラインショップは統合しました。(→詳細

——翻訳をしていて、難しさを感じたことがあれば教えてください。

ウクライナへの飛行機が飛ばなくなり国際便の配送が止まってしまい、その状況をKurasuグローバルサイトのお知らせに書いたことがあります。そのとき、ウクライナのお客様から「situation(状況)という単語でぼかさずに、war(戦争)という単語を使ってほしい」と言われました。

言葉を曖昧にすることで影響がおよぶ立場の人たちがいるのだと実感し、改めて言葉選びの難しさを感じました。しかし、断定的な言葉を使うのは、こちらの立場を表明することにもつながります。つまり、会社としての立ち位置や姿勢を示していく話になるんです。

すぐに結論を出すことはできませんが、世界で紛争が起きている中、言葉一つ取っても言外の意味がさまざまで、受け取り方も人によって違うのだということを肝に銘じました。

——逆に、翻訳をしていて楽しいと感じるのはどんなときですか。

思い入れのあるものについて書くときは、すごく楽しいです。それが好きだという気持ちは書く文章にも自然と表れるし、読み手にもそれが伝わると思っています。そういった文章を書けるように、原文に深く興味を持つように心がけています。

私は「翻訳は調べものが8~9割」だと思っていて。たとえば、別の仕事で日本舞踊の会報を翻訳することがあるのですが、動画で作品を観たり、そのトピックについて調べたりすることに、かなりの時間を使います。

なぜこの作品がそれほど愛されているのか、海外ではどんなふうに受け取られているのか。原文の解釈に時間をかけて腹落ちさせないと、別の言葉で紡ぐことはできませんから

ストーリーには力がある。翻訳で広がっていく世界

——翻訳を通じて、お客様にどのような価値を伝えたいと考えていますか。

Kurasuが描くビジョンに沿った誠実な内容を発信していきたいし、翻訳もそれが反映されるものでありたいと考えています。世界中の人に届くものを作る立場として、今Kurasuがどんなことをしたいのか、どういったことを伝えたいのか、どんなふうに見られたいのかをいつも感じ取っていたいです。

そんな「Kurasuらしさ」を違う言語でも体験してもらえたら、翻訳をする者として、こんなにうれしいことはありません。

——最後に、Ayaさんがこれから成し遂げたいことを教えてください。

コーヒー業界で働く女性にスポットライトを当てたストーリーを発信することです。長く続いている有名なカフェのオーナーは男性であることが多いですが、バリスタやロースター、インポーターとして活躍する女性はどんどん増えてきています。生産段階に目を向けても、コーヒー農園の働き手は女性が多いです。

自分が女性だからというのもありますが、「コーヒー業界でこんな仕事をしている女性がいる」とロールモデルを紹介することで、世の中の女性たちに新しい道を示せたらいいなと思っています。この「コーヒー×翻訳」のシリーズを読んだ方が、「翻訳者としてコーヒー屋さんで働く道があるんだ」と思ってくれる可能性だって、あるかもしれませんよね。

\こちらもどうぞ!/